元日本テレビの倉持隆夫アナウンサーの印象に残るフレーズとして,右往左往というのを紹介しましたが,全日本プロレス中継全体を通していうなら,最も視聴者の記憶に残っているものは,おそらくは倉持さんよりずっと後に実況を担当することになった,福沢朗アナウンサーが,打撃系の技が決まった後に言う,ジャストミートということばでしょう。
それが福沢さんにとって初めての実況であったのかどうかは定かではありませんが,僕は最初に福沢さんの実況を視たのはブッチャーが絡んだ試合でした。この実況がそれまでにはなかったような,何というかエキセントリックなもので,この時点で僕の脳裏に福沢さんのことが強く印象付けられました。後に福沢さんは,自身の提案であったのかどうかはこれも定かではありませんが,全日本プロレス中継の枠内にプロレスニュースというコーナーを作り,福沢ジャストミート朗という名前でそう書かれた鉢巻をしめて活躍するようになったのは,覚えていらっしゃる方も多いのではないかと思います。
結果的にいますと,福沢さんはアナウンサーのキャリアという観点からは,このプロレス中継を踏み台にしたような形で,だから実際に実況に携わった期間というのは,倉持さんとか,その後にチーフ的な立場になった若林アナウンサーなどよりはずっと短かった筈です。ただ,福沢さんが実況している期間というのは,全日本プロレスにとっては,最良の時代であったのではないかと思います。
僕のプロレスキャリアが始まった頃,おそらく新日本プロレスは最良の時代を迎えていた,あるいは迎えつつありました。そしてそれには,その当時の実況を担当していた古舘アナウンサーの功績というのも大であったと僕は思っています。そしてそれと同様に,この時代に全日本プロレスの人気が沸騰し,やはり最良といえる時期を迎えたことには,福沢アナウンサーの活躍というのが大いに作用したのではないかと僕は思っています。
ここでもう一度,この7月7日の時点での父の状況というのを整理しておきましょう。
父の癌は肝臓に転移していました。その大本となったのは大腸で,横行結腸癌でした。したがって治療のためにはこの癌を切除する必要があります。しかし,すぐに切除するには癌が大きすぎるので,抗癌剤治療を先に行い,この癌を小さくしなければなりません。抗癌剤治療のためには肝機能がある程度まで正常である必要があります。しかし父の肝臓は正常に機能していませんでした。それは肝臓に癌が転移していたからです。これで最初に戻り,結局のところはこの連鎖が無限に続くということになります。このような無限連鎖というのが,実はある否定的要素を含んでいるということは,連鎖の仕方こそ異なれど,たとえば第一部定理二八とか,第二部定理九からも明らかです。しかし外科のО先生からこの話を聞いたとき,僕の精神に浮かんだのはこの無限連鎖ということばではなく,千日手ということばでした。
将棋では,もしも同じ手順が3度繰り返されますと,一局の将棋の中で同一の局面というのが4度出現することになります。すると千日手ということになり,この将棋は無勝負としてそこで終了。先手と後手を入れ替えて改めて別の将棋を最初から指して決着をつけることになります。今月の王位戦の第六局というのはこの典型的な例でした。本来は白黒をはっきりつけるべきゲームである筈の将棋において,このルールがやはりある否定的要素を含んでいるということは,一目瞭然ではないかと思います。
決着をつけるべく指し続けた将棋を無勝負とし,改めて最初から指し直すということは,千日手局となった将棋というステージから降りて,指し直し局という別のステージに立つということを意味します。このときの父の状況もまるでこれと同じでした。すなわち父は,癌を治療するという人生のひとつのステージからは降りて,新たなステージに立たなければならなかったのです。そして指し直し局が千日手局よりも短い持ち時間で指されるように,父の持ち時間は大きく減っていました。父にとっての新たな舞台というのは,初手から秒を読まれているような舞台だったのです。
それが福沢さんにとって初めての実況であったのかどうかは定かではありませんが,僕は最初に福沢さんの実況を視たのはブッチャーが絡んだ試合でした。この実況がそれまでにはなかったような,何というかエキセントリックなもので,この時点で僕の脳裏に福沢さんのことが強く印象付けられました。後に福沢さんは,自身の提案であったのかどうかはこれも定かではありませんが,全日本プロレス中継の枠内にプロレスニュースというコーナーを作り,福沢ジャストミート朗という名前でそう書かれた鉢巻をしめて活躍するようになったのは,覚えていらっしゃる方も多いのではないかと思います。
結果的にいますと,福沢さんはアナウンサーのキャリアという観点からは,このプロレス中継を踏み台にしたような形で,だから実際に実況に携わった期間というのは,倉持さんとか,その後にチーフ的な立場になった若林アナウンサーなどよりはずっと短かった筈です。ただ,福沢さんが実況している期間というのは,全日本プロレスにとっては,最良の時代であったのではないかと思います。
僕のプロレスキャリアが始まった頃,おそらく新日本プロレスは最良の時代を迎えていた,あるいは迎えつつありました。そしてそれには,その当時の実況を担当していた古舘アナウンサーの功績というのも大であったと僕は思っています。そしてそれと同様に,この時代に全日本プロレスの人気が沸騰し,やはり最良といえる時期を迎えたことには,福沢アナウンサーの活躍というのが大いに作用したのではないかと僕は思っています。
ここでもう一度,この7月7日の時点での父の状況というのを整理しておきましょう。
父の癌は肝臓に転移していました。その大本となったのは大腸で,横行結腸癌でした。したがって治療のためにはこの癌を切除する必要があります。しかし,すぐに切除するには癌が大きすぎるので,抗癌剤治療を先に行い,この癌を小さくしなければなりません。抗癌剤治療のためには肝機能がある程度まで正常である必要があります。しかし父の肝臓は正常に機能していませんでした。それは肝臓に癌が転移していたからです。これで最初に戻り,結局のところはこの連鎖が無限に続くということになります。このような無限連鎖というのが,実はある否定的要素を含んでいるということは,連鎖の仕方こそ異なれど,たとえば第一部定理二八とか,第二部定理九からも明らかです。しかし外科のО先生からこの話を聞いたとき,僕の精神に浮かんだのはこの無限連鎖ということばではなく,千日手ということばでした。
将棋では,もしも同じ手順が3度繰り返されますと,一局の将棋の中で同一の局面というのが4度出現することになります。すると千日手ということになり,この将棋は無勝負としてそこで終了。先手と後手を入れ替えて改めて別の将棋を最初から指して決着をつけることになります。今月の王位戦の第六局というのはこの典型的な例でした。本来は白黒をはっきりつけるべきゲームである筈の将棋において,このルールがやはりある否定的要素を含んでいるということは,一目瞭然ではないかと思います。
決着をつけるべく指し続けた将棋を無勝負とし,改めて最初から指し直すということは,千日手局となった将棋というステージから降りて,指し直し局という別のステージに立つということを意味します。このときの父の状況もまるでこれと同じでした。すなわち父は,癌を治療するという人生のひとつのステージからは降りて,新たなステージに立たなければならなかったのです。そして指し直し局が千日手局よりも短い持ち時間で指されるように,父の持ち時間は大きく減っていました。父にとっての新たな舞台というのは,初手から秒を読まれているような舞台だったのです。