とくに王座戦となると超人的な強さを発揮し続けている羽生善治王座に藤井猛九段はどう挑むのか。第59期王座戦五番勝負が開幕しました。対戦成績は羽生王座が29勝,藤井九段が14勝。千日手が2局あります。
振駒で羽生王座が先手。藤井九段は四間飛車から角交換。後手が3筋の位を取り,先手が2筋,後手が4筋の歩をすんなりと交換するという珍しい形に。互いに玉を十分には囲わないままというか囲えないまま本格的な戦いに突入して飛車交換となりました。
手番は先手なので先に▲3二飛。後手も△2九飛。▲5二金と俗に打ち込んだのに対して△8五桂。▲6八金寄△6一香と互いに受けの手を指してさらに先手は▲8六銀(第2図)と逃げました。
これで後手からは適当な継続手がなく,困っていたよう。ということは飛車交換から桂馬を打って攻め合った判断が誤りだったということではないかと思います。この後,たぶん先手に見落としがあったのではないかと思いますが,うまく修正してそのまま押し切りました。
羽生王座が先勝。前人未到の19連覇に好発進。第二局は22日です。
糖尿病や糖尿病性網膜症でお世話になっていたみなと赤十字病院で診察を受けたいということは,父の希望ではありましたが,これは同時に僕たち家族の願いでもありました。これには僕の家庭の事情というのが左右しています。
すでに何度か説明していますように,この時点で僕の家には父も含めて5人が暮らしていました。そのうち祖母,母の母は要介護4。これはもとをただせば僕がまだ学生の頃でしたから,今から20年ほど前に脳内出血で倒れたときの後遺症。その後もいくつかの疾病に罹患した末,現在のような状況に至っています。また,僕には6歳下の妹がいますが,彼女はダウン症という重度知的障害。ふたりとも,常に保護が必要な状態というわけではありませんが,5人のうちのふたりは日常的になにがしかの介助は必要だったのです。このために,もしもすぐに救急車を呼んで,万が一どこか遠くの病院に運ばれてしまい,そこで入院などということになれば,家族の負担,この場合は要するに僕と僕の母の負担ということになるわけですが,これがかなり大きくなってしまいます。みなと赤十字病院の場合,歩いて行くというには少しばかり距離がありますが,車ならば家から15分もあれば着きますから,そんなに遠いというわけではありません。また,入院した際の介護が手厚く,家族の付き添いというのはまったく必要がありませんでしたので,そうした面の負担も軽減できることは明らかでした。もちろん父自身もこうした家族の状況というのは熟知していたわけですから,医療の態勢とか診察を受けているとかいったことをどうこういう以前の問題として,みなと赤十字病院を希望したのはごく自然なことであったと思います。
6月5日に父が下りてきたのは午後になってから。それから病院の手配などもしましたので,実際に病院へと向かったのは午後1時前後だったのではないかと思います。僕は免許を持っていないので,母が運転も兼ねて父に付き添い,僕は自宅で待機することになりました。このとき,祖母はショートステイで不在でしたので,家に残ったのは僕と妹のふたりだけだったということになります。
振駒で羽生王座が先手。藤井九段は四間飛車から角交換。後手が3筋の位を取り,先手が2筋,後手が4筋の歩をすんなりと交換するという珍しい形に。互いに玉を十分には囲わないままというか囲えないまま本格的な戦いに突入して飛車交換となりました。
手番は先手なので先に▲3二飛。後手も△2九飛。▲5二金と俗に打ち込んだのに対して△8五桂。▲6八金寄△6一香と互いに受けの手を指してさらに先手は▲8六銀(第2図)と逃げました。
これで後手からは適当な継続手がなく,困っていたよう。ということは飛車交換から桂馬を打って攻め合った判断が誤りだったということではないかと思います。この後,たぶん先手に見落としがあったのではないかと思いますが,うまく修正してそのまま押し切りました。
羽生王座が先勝。前人未到の19連覇に好発進。第二局は22日です。
糖尿病や糖尿病性網膜症でお世話になっていたみなと赤十字病院で診察を受けたいということは,父の希望ではありましたが,これは同時に僕たち家族の願いでもありました。これには僕の家庭の事情というのが左右しています。
すでに何度か説明していますように,この時点で僕の家には父も含めて5人が暮らしていました。そのうち祖母,母の母は要介護4。これはもとをただせば僕がまだ学生の頃でしたから,今から20年ほど前に脳内出血で倒れたときの後遺症。その後もいくつかの疾病に罹患した末,現在のような状況に至っています。また,僕には6歳下の妹がいますが,彼女はダウン症という重度知的障害。ふたりとも,常に保護が必要な状態というわけではありませんが,5人のうちのふたりは日常的になにがしかの介助は必要だったのです。このために,もしもすぐに救急車を呼んで,万が一どこか遠くの病院に運ばれてしまい,そこで入院などということになれば,家族の負担,この場合は要するに僕と僕の母の負担ということになるわけですが,これがかなり大きくなってしまいます。みなと赤十字病院の場合,歩いて行くというには少しばかり距離がありますが,車ならば家から15分もあれば着きますから,そんなに遠いというわけではありません。また,入院した際の介護が手厚く,家族の付き添いというのはまったく必要がありませんでしたので,そうした面の負担も軽減できることは明らかでした。もちろん父自身もこうした家族の状況というのは熟知していたわけですから,医療の態勢とか診察を受けているとかいったことをどうこういう以前の問題として,みなと赤十字病院を希望したのはごく自然なことであったと思います。
6月5日に父が下りてきたのは午後になってから。それから病院の手配などもしましたので,実際に病院へと向かったのは午後1時前後だったのではないかと思います。僕は免許を持っていないので,母が運転も兼ねて父に付き添い,僕は自宅で待機することになりました。このとき,祖母はショートステイで不在でしたので,家に残ったのは僕と妹のふたりだけだったということになります。