空中バンクともいわれるいわき平競輪場を舞台に5日間にわたって争われてきたオールスター競輪の決勝。並びは山崎-佐藤-佐々木の福島,武田-神山の茨城栃木,海老根-石毛の千葉,吉田-大塚の西日本。
佐藤がSを取って北日本の前受け。以下,西日本,茨城栃木,千葉で周回。残り3周の周回から海老根が上昇,これに武田が続いて残り2周で前を叩くと山崎は引きました。打鐘を迎えると武田が海老根を叩いて,その外から吉田が発進してかまし先行。武田が絶好の3番手に入り,山崎は7番手で一列棒状で残り1周。バックから武田が先捲り。しかし後方から動いた山崎のスピードが素晴らしく,あっさりと前を捲りきるとそのまま後ろを寄せ付けずに優勝。マークの佐藤が2着。3着は接戦でしたが外の海老根が神山を捕えました。
優勝した福島の山崎芳仁選手は6月の弥彦記念以来の優勝で,ビッグは昨秋の共同通信社杯以来の11勝目,GⅠは昨年の全日本選抜以来で7勝目。オールスターは初優勝でグランドスラムにひとつ近づきました。ここは地元での開催ということで準備も万端であったのでしょうが,とにかく強かった。普通は一列棒状の7番手は絶望的位置ですが,今回はそんなことはまるで関係ないくらいの仕上がりにあったようです。
5月も中旬になってくると,父の状態は目に見えるほど日増しに悪化していきました。それまではしていた送迎もしなくなり,近所のコンビニエンスストアへ行く以外の外出は,週末の中央競馬の馬券を買いにWINS横浜へ出掛けるだけになりました。父の部屋も僕の部屋と同様に2階にありましたから,必要があれば1階まで下りてくるということはありましたが,要するに1日のほとんどを自室で横になって過ごすというようになったのです。食事の方も,最初のうちは時間が遅れるだけですんでいましたが,この頃になりますと量の方も明らかに減ってきていました。また,妙に甘いものを好むようになり,たとえば父は清涼飲料水などはそれまではほとんど口にすることはなかったのですが,コーラなどを好んで飲むようにもなりました。そういえば僕に低血糖のひどい症状が発生したとき,何とか下りていった1階のテーブルの上には菓子パンがあってそれを食べたわけですが,この菓子パンも父が朝食として摂るためにおいてあったもの。それ以前はきまって食パンでしたので,このことからも父が甘いものを好むようになったということが分かります。
父はⅡ型糖尿病でしたので,そのための定期的な通院というのがありました。Ⅰ型糖尿病の僕の場合は,何か重大な異変がない限りは2ヶ月に1度でしたが,父の場合は同様の異常がないなら3ヶ月に1度。その通院が実は5月にあったのです。今となってははっきりとその日であったと記憶しているわけではないのですが,この近辺の状況から考えますと,たぶんそれは5月17日,つまり僕がМ先生に持続効果型のインスリンの注射量の微調整を指示された日の1週前だったと思います。
もうほとんど外出はしていなかった父ですが,この日の通院には行っています。もっとも馬券を買いに行くことはまだできていたわけですから,これは当然といえば当然かもしれません。そしてこのとき父は,腹の張りのこと,そしてひどい腰痛のことに関してはМ先生に伝えたそうです。父自身はこのとき,自分が何らかの消化器系の疾患を抱えていると思っていたようなのですが,М先生はそうではないのではないかという返事をしたとのこと。もちろん細かいやり取りに関しては僕のあずかり知らぬところですが,とにかく父はそのように解釈したようです。
佐藤がSを取って北日本の前受け。以下,西日本,茨城栃木,千葉で周回。残り3周の周回から海老根が上昇,これに武田が続いて残り2周で前を叩くと山崎は引きました。打鐘を迎えると武田が海老根を叩いて,その外から吉田が発進してかまし先行。武田が絶好の3番手に入り,山崎は7番手で一列棒状で残り1周。バックから武田が先捲り。しかし後方から動いた山崎のスピードが素晴らしく,あっさりと前を捲りきるとそのまま後ろを寄せ付けずに優勝。マークの佐藤が2着。3着は接戦でしたが外の海老根が神山を捕えました。
優勝した福島の山崎芳仁選手は6月の弥彦記念以来の優勝で,ビッグは昨秋の共同通信社杯以来の11勝目,GⅠは昨年の全日本選抜以来で7勝目。オールスターは初優勝でグランドスラムにひとつ近づきました。ここは地元での開催ということで準備も万端であったのでしょうが,とにかく強かった。普通は一列棒状の7番手は絶望的位置ですが,今回はそんなことはまるで関係ないくらいの仕上がりにあったようです。
5月も中旬になってくると,父の状態は目に見えるほど日増しに悪化していきました。それまではしていた送迎もしなくなり,近所のコンビニエンスストアへ行く以外の外出は,週末の中央競馬の馬券を買いにWINS横浜へ出掛けるだけになりました。父の部屋も僕の部屋と同様に2階にありましたから,必要があれば1階まで下りてくるということはありましたが,要するに1日のほとんどを自室で横になって過ごすというようになったのです。食事の方も,最初のうちは時間が遅れるだけですんでいましたが,この頃になりますと量の方も明らかに減ってきていました。また,妙に甘いものを好むようになり,たとえば父は清涼飲料水などはそれまではほとんど口にすることはなかったのですが,コーラなどを好んで飲むようにもなりました。そういえば僕に低血糖のひどい症状が発生したとき,何とか下りていった1階のテーブルの上には菓子パンがあってそれを食べたわけですが,この菓子パンも父が朝食として摂るためにおいてあったもの。それ以前はきまって食パンでしたので,このことからも父が甘いものを好むようになったということが分かります。
父はⅡ型糖尿病でしたので,そのための定期的な通院というのがありました。Ⅰ型糖尿病の僕の場合は,何か重大な異変がない限りは2ヶ月に1度でしたが,父の場合は同様の異常がないなら3ヶ月に1度。その通院が実は5月にあったのです。今となってははっきりとその日であったと記憶しているわけではないのですが,この近辺の状況から考えますと,たぶんそれは5月17日,つまり僕がМ先生に持続効果型のインスリンの注射量の微調整を指示された日の1週前だったと思います。
もうほとんど外出はしていなかった父ですが,この日の通院には行っています。もっとも馬券を買いに行くことはまだできていたわけですから,これは当然といえば当然かもしれません。そしてこのとき父は,腹の張りのこと,そしてひどい腰痛のことに関してはМ先生に伝えたそうです。父自身はこのとき,自分が何らかの消化器系の疾患を抱えていると思っていたようなのですが,М先生はそうではないのではないかという返事をしたとのこと。もちろん細かいやり取りに関しては僕のあずかり知らぬところですが,とにかく父はそのように解釈したようです。