秋分の日に放映された第18回銀河戦決勝。収録は8月20日で,その時点での対戦成績は佐藤康光九段が31勝,丸山忠久九段が25勝。
丸山九段の先手で一手損角換り1-Ⅱから,先手が早繰り銀,後手は8筋を伸ばしていくよくある将棋。先手は2筋で銀交換。丸山九段は本戦2回戦でもこう指しています。
ここで☖3六歩☗3八金☖4五銀というのが多かった指し方ですが,後手はすぐに☖4五銀と出ました。以下☗3八金☖3三桂☗7七銀☖3六歩に☖5五角を避けて☗5五銀(第2図)。
ここで後手は☖1五角と打っていきました。単純な攻めですが受け難しいよう。先手は長考して☗1六歩と催促。☖3七銀☗同桂☖同歩成☗1八飛に一旦☖2六角と逃げ,☗2七歩☖3八と☗2六歩の取り合いに☖2七金(第3図)と打ち後手は飛車を召し取りました。
感想戦の様子だとここでは丸山九段は不本意な展開と悲観していたよう。ここで☗6六銀上と逃げ道を作りましたが,下に逃げることを考えた方があやはあったよう。実戦はこれ以下,後手が一方的に攻めきって勝ちました。
佐藤九段は一昨年以来3度目の銀河戦優勝。ここのところタイトル戦の挑戦者決定戦とか棋戦の決勝ではあまり負けたのを見たことがないような気がします。
癌との闘いというステージを千日手という形で終え,新たな人生の指し直しを迎えることになった父に残されていた時間は,みなと赤十字病院の外科のО先生によれば長くてあと1ヶ月。つまり長くても8月の上旬くらいまでということでした。となれば,父がやっておきたいと思っていることをやらせるというのが最良の判断ということになります。実際,父は横行結腸癌であるということを知らされたときに,それが何であるのかは明言しなかったものの,まだやり残したことがあるという意味のこと言っていました。もう残り時間は僅かですから,早めに退院させた方がいいということになります。
ただし,この場合に問題というのがいくつかありました。そのうち最大のものは,まだ父が,自分は横行結腸癌であるということだけを知っていて,それが肝臓をはじめ他の部位にまで転移しているということについては知らなかったということ。要するに自分の病気は治ると思っていたことです。しかしこの段階に至っては,これについても告知した方がいいのではないかと僕は思いました。外科のО先生はこのことについてはあくまでも家族に任せるという態度。母は僕にどうしたらいいだろうかと聞いてきましたので,僕は自分の考えを伝えました。母はそれに同意して,僕の方から父に伝えてほしいと言いました。ということで僕の方から告知することになったわけです。
後に記す理由などがあり,実際に父に伝えたのはこの日ではなくて翌翌日となる7月9日の金曜日。大腸癌が肝臓などに転移していること,そのために肝機能が衰えてしまい癌の治療ができないということ,残されている時間は,もちろんこれは人間のことだからはっきりとは分からないけれども1ヶ月程度と考えておくべきだということ,だからもしもやっておきたいことがあるなら早めにやっておいた方がいいし,会っておきたい思う人がいるなら早めに会っておいた方がいいということ,そしてそのために,早いうちに退院して家に帰った方がいいということを,1時間ほどかけて説明しました。父がその説明をどの程度まで理解できたかは分かりませんが,最後に父は僕に対してありがとうと言いました。
外科のО先生からはいつ退院してもいいと言われていました。告知も済みましたので,土曜ということで異例ではありますが,翌10日に父は退院して家に帰ってくるということになりました。
丸山九段の先手で一手損角換り1-Ⅱから,先手が早繰り銀,後手は8筋を伸ばしていくよくある将棋。先手は2筋で銀交換。丸山九段は本戦2回戦でもこう指しています。
ここで☖3六歩☗3八金☖4五銀というのが多かった指し方ですが,後手はすぐに☖4五銀と出ました。以下☗3八金☖3三桂☗7七銀☖3六歩に☖5五角を避けて☗5五銀(第2図)。
ここで後手は☖1五角と打っていきました。単純な攻めですが受け難しいよう。先手は長考して☗1六歩と催促。☖3七銀☗同桂☖同歩成☗1八飛に一旦☖2六角と逃げ,☗2七歩☖3八と☗2六歩の取り合いに☖2七金(第3図)と打ち後手は飛車を召し取りました。
感想戦の様子だとここでは丸山九段は不本意な展開と悲観していたよう。ここで☗6六銀上と逃げ道を作りましたが,下に逃げることを考えた方があやはあったよう。実戦はこれ以下,後手が一方的に攻めきって勝ちました。
佐藤九段は一昨年以来3度目の銀河戦優勝。ここのところタイトル戦の挑戦者決定戦とか棋戦の決勝ではあまり負けたのを見たことがないような気がします。
癌との闘いというステージを千日手という形で終え,新たな人生の指し直しを迎えることになった父に残されていた時間は,みなと赤十字病院の外科のО先生によれば長くてあと1ヶ月。つまり長くても8月の上旬くらいまでということでした。となれば,父がやっておきたいと思っていることをやらせるというのが最良の判断ということになります。実際,父は横行結腸癌であるということを知らされたときに,それが何であるのかは明言しなかったものの,まだやり残したことがあるという意味のこと言っていました。もう残り時間は僅かですから,早めに退院させた方がいいということになります。
ただし,この場合に問題というのがいくつかありました。そのうち最大のものは,まだ父が,自分は横行結腸癌であるということだけを知っていて,それが肝臓をはじめ他の部位にまで転移しているということについては知らなかったということ。要するに自分の病気は治ると思っていたことです。しかしこの段階に至っては,これについても告知した方がいいのではないかと僕は思いました。外科のО先生はこのことについてはあくまでも家族に任せるという態度。母は僕にどうしたらいいだろうかと聞いてきましたので,僕は自分の考えを伝えました。母はそれに同意して,僕の方から父に伝えてほしいと言いました。ということで僕の方から告知することになったわけです。
後に記す理由などがあり,実際に父に伝えたのはこの日ではなくて翌翌日となる7月9日の金曜日。大腸癌が肝臓などに転移していること,そのために肝機能が衰えてしまい癌の治療ができないということ,残されている時間は,もちろんこれは人間のことだからはっきりとは分からないけれども1ヶ月程度と考えておくべきだということ,だからもしもやっておきたいことがあるなら早めにやっておいた方がいいし,会っておきたい思う人がいるなら早めに会っておいた方がいいということ,そしてそのために,早いうちに退院して家に帰った方がいいということを,1時間ほどかけて説明しました。父がその説明をどの程度まで理解できたかは分かりませんが,最後に父は僕に対してありがとうと言いました。
外科のО先生からはいつ退院してもいいと言われていました。告知も済みましたので,土曜ということで異例ではありますが,翌10日に父は退院して家に帰ってくるということになりました。