ヨーロッパの競馬の秋の最大のレースは来月3日にフランスのロンシャン競馬場で行われる凱旋門賞。今年は日本から2頭が渡仏。日本時間昨日深夜に同じ芝2400mの前哨戦があり,2レースに1頭ずつ参戦しました。
まず3歳馬によるニエユ賞GⅡ。ここには今年の皐月賞を優勝したヴィクトワールピサ。このレースはペースメーカーがいましてその馬が引っ張る形。出走した7頭はほぼ一団。ヴィクトワールピサは中団からレースを進め,最後の直線に入るところでは一旦は最後尾まで後退。そこから大外に持ち出されていい感じで上がってきたのですが,直線半ばでは力尽きる形となり4着。レースぶりからは距離が少し長いのではないかというような印象を受けました。
続いて4歳以上のフォワ賞GⅡ。こちらには宝塚記念を優勝したナカヤマフェスタが出走。このレースは勝ち時計がニエユ賞より5秒以上も遅いことからもうかがえるように超スローペース。掛かり気味の6頭がほぼ一列に並ぶようなレース展開で,ナカヤマフェスタは3番手から。直線で前の2頭に外から並び掛けていくというレースになりましたが,逃げた馬が驚異的と思えるような粘り腰を発揮し,捕まえきれずに2着。ただ,宝塚記念は人気薄での勝利ではあったものの,それがフロックではなかったということだけは示すことができたのではないでしょうか。
本番となる凱旋門賞は日本時間で10月3日深夜。当然ながら前哨戦より強いメンバーとなりますので,厳しい戦いとなることが予想されますが,力を十分に発揮できる状態で出走してほしいと思います。
検査の結果,父は一刻の猶予もならないという状況でしたので,すぐに手術をする必要がありました。このために9日の水曜に主治医であり執刀医でもあるО先生から病院に呼び出されました。なお,あらかじめ説明しておきますが,僕は網膜症の検査でО眼科に通っていますので,そこのО先生,そしてこの主治医のО先生,さらに後にもうひとり別のО先生というのが出てきます。混同の恐れもありますので,この主治医に関しては,みなと赤十字病院の外科のО先生と表記することにします。
実は9日の午後というのは僕はどうしても外せない仕事がありました。ただ,これは,遅くとも午後の5時半までに現地に到着できれば何とかなるという性質のもの。もちろん早ければ早い方がよかったわけですが,外科のО先生の説明は正午からという予定でしたので,出席することが可能でした。もちろん医師というのは,それも外科医ともなれば突然に思いがけない仕事が入ることもあるでしょうが,現地までは1時間もあれば行けましたので,大丈夫という判断だったわけです。母と父の長兄のふたりが同席しました。
僕は父が入院してからまだ病院に行くことができていませんでしたので,先に父を見舞い,呼ばれるのを待っていましたが,予定の正午から10分も過ぎないうちに看護師がやってきまして,О先生が待つ手狭な会議室という感じの部屋に向かいました。片側に僕たち3人,向いにО先生と看護師のふたりでした。
父の病名ですが,大腸癌でした。もっと部位を細かくいえば横行結腸癌。ただし,これはあくまでも元となった病気であり,肝臓や腹膜,肺にも転移している可能性が濃厚であるとのこと。ただ,この時点で最大の問題は,大腸の癌がかなり肥大化しているために便の通りが悪くなっているということ。これが父の便秘の原因でした。腹が張っているのは便が溜まっているからであり,これは腸閉塞を生じる一歩手前の段階。これを放置すれば6月中はまず保たないということでしたので,癌の治療をするよりもまず人工肛門を作る手術が必要とのこと。この手術を翌11日の午前9時から行うということになりました。
まず3歳馬によるニエユ賞GⅡ。ここには今年の皐月賞を優勝したヴィクトワールピサ。このレースはペースメーカーがいましてその馬が引っ張る形。出走した7頭はほぼ一団。ヴィクトワールピサは中団からレースを進め,最後の直線に入るところでは一旦は最後尾まで後退。そこから大外に持ち出されていい感じで上がってきたのですが,直線半ばでは力尽きる形となり4着。レースぶりからは距離が少し長いのではないかというような印象を受けました。
続いて4歳以上のフォワ賞GⅡ。こちらには宝塚記念を優勝したナカヤマフェスタが出走。このレースは勝ち時計がニエユ賞より5秒以上も遅いことからもうかがえるように超スローペース。掛かり気味の6頭がほぼ一列に並ぶようなレース展開で,ナカヤマフェスタは3番手から。直線で前の2頭に外から並び掛けていくというレースになりましたが,逃げた馬が驚異的と思えるような粘り腰を発揮し,捕まえきれずに2着。ただ,宝塚記念は人気薄での勝利ではあったものの,それがフロックではなかったということだけは示すことができたのではないでしょうか。
本番となる凱旋門賞は日本時間で10月3日深夜。当然ながら前哨戦より強いメンバーとなりますので,厳しい戦いとなることが予想されますが,力を十分に発揮できる状態で出走してほしいと思います。
検査の結果,父は一刻の猶予もならないという状況でしたので,すぐに手術をする必要がありました。このために9日の水曜に主治医であり執刀医でもあるО先生から病院に呼び出されました。なお,あらかじめ説明しておきますが,僕は網膜症の検査でО眼科に通っていますので,そこのО先生,そしてこの主治医のО先生,さらに後にもうひとり別のО先生というのが出てきます。混同の恐れもありますので,この主治医に関しては,みなと赤十字病院の外科のО先生と表記することにします。
実は9日の午後というのは僕はどうしても外せない仕事がありました。ただ,これは,遅くとも午後の5時半までに現地に到着できれば何とかなるという性質のもの。もちろん早ければ早い方がよかったわけですが,外科のО先生の説明は正午からという予定でしたので,出席することが可能でした。もちろん医師というのは,それも外科医ともなれば突然に思いがけない仕事が入ることもあるでしょうが,現地までは1時間もあれば行けましたので,大丈夫という判断だったわけです。母と父の長兄のふたりが同席しました。
僕は父が入院してからまだ病院に行くことができていませんでしたので,先に父を見舞い,呼ばれるのを待っていましたが,予定の正午から10分も過ぎないうちに看護師がやってきまして,О先生が待つ手狭な会議室という感じの部屋に向かいました。片側に僕たち3人,向いにО先生と看護師のふたりでした。
父の病名ですが,大腸癌でした。もっと部位を細かくいえば横行結腸癌。ただし,これはあくまでも元となった病気であり,肝臓や腹膜,肺にも転移している可能性が濃厚であるとのこと。ただ,この時点で最大の問題は,大腸の癌がかなり肥大化しているために便の通りが悪くなっているということ。これが父の便秘の原因でした。腹が張っているのは便が溜まっているからであり,これは腸閉塞を生じる一歩手前の段階。これを放置すれば6月中はまず保たないということでしたので,癌の治療をするよりもまず人工肛門を作る手術が必要とのこと。この手術を翌11日の午前9時から行うということになりました。