金沢から1頭,高知からは3頭が遠征してきた第48回オールスターカップ。

先手を奪ったのはナターレでこれは予想通り。しかしジャングルスマイル,スーパーパワー,コスモフォース,スターシップ,ピサノエミレーツまでの6頭は一団でレース。この距離としてはペースは速かったのではないかと思います。
向正面でジャングルスマイルがナターレに並び掛けていこうとするとナターレも抵抗。むしろジャングルスマイルの方が苦しくなって後退。そこではじっとしていたスターシップが変わって外から2番手に上がり直線に。そのままスターシップがナターレを交わして先頭に立つと,あとはあまり差を詰められることなく抜け出しての優勝。その他の先行馬が失速したので2着争いには差し馬が台頭し,コースロスなく最内から差を詰めた伏兵のロードキャニオンが2着。外を回したトーセンルーチェが3着。
優勝したスターシップはJRA37戦6勝でここが南関東転入初戦。もう8歳ですので上積みは見込めませんが,一昨年のオープンを勝ち,昨年の夏にもオープンで3着していましたので,力量は上位と目された1頭。他馬が失速する中,先行して抜け出したレース内容はそれを示したように思います。南関東重賞ならまた好走できるのではないでしょうか。父はクロフネ,従姉に1996年の最優秀短距離馬・最優秀父内国産馬のフラワーパーク。
騎乗した船橋の石崎駿騎手は昨年8月のスパーキングサマーカップ以来の南関東重賞制覇でオールスターカップは初勝利。管理することになったのは船橋の出川克己調教師でこちらもオールスターカップは初勝利。
その日の朝に電話があって,数時間後には旅立っていったのですから,僕にとっては祖母の死は唐突というか急なものに感じられはしました。本牧病院の医師によって下された判断は老衰でした。
以前に永久欠番で紹介した父の長姉の夫,僕の伯父の死因も老衰でした。その伯父の場合は長男と同居していまして,前日の夜まではそれまでと変わらずにいて,しかし翌朝は起きてくることなく,そのまま死んでいったのです。特別養護老人ホームの方から前日の夜のうちに連絡がなかったということは,おそらく祖母の場合も12月10日の夜は,それまでの夜と何ら変わらずにいたのでしょう。職員の方は翌朝になればまた起きてくると思っていたでしょうし,おそらく祖母自身もそういうつもりであったのだろうと思います。しかし祖母はその夜の眠りについたまま,そのまま目覚めることはありませんでした。このように考えますと,老衰による死というのは,周囲の者にとってはもちろん,本人にとっても唐突に訪れるものなのかもしれません。
僕は概念としていうならば,死というのは生の反対概念ではなくて,むしろ生という概念の一部を構成するような概念であろうと思っています。生というのは明らかに有,個物にとっての現実的有であり,もしもそれの反対概念があるとすれば無,あるいは現実的無とでもいうべきものだと考えるのですが,死というのはそうした現実的無などではなくて,むしろ個物の現実的有の一部を必然的に構成するような要素だと思うのです。そしてこの祖母の死に様というのは,そうした考え方を体現するものであったというように思えてなりません。実は祖母はその伯父と同い年です。ですから老衰による死というのが,すでに訪れていてもおかしくはない年齢であったのです。本人がそれをどのように感じたのかということは,それこそ本人でなければ分からず,残された者にとって謎としてしか残らないわけですが,少なくとも傍目から判断する限りでは,強い苦しみに襲われたというような様子も一切なしに,生の終焉としてその一部をなしている死という状態に移行したのですから,大往生であったといっていいのではないかと思います。

先手を奪ったのはナターレでこれは予想通り。しかしジャングルスマイル,スーパーパワー,コスモフォース,スターシップ,ピサノエミレーツまでの6頭は一団でレース。この距離としてはペースは速かったのではないかと思います。
向正面でジャングルスマイルがナターレに並び掛けていこうとするとナターレも抵抗。むしろジャングルスマイルの方が苦しくなって後退。そこではじっとしていたスターシップが変わって外から2番手に上がり直線に。そのままスターシップがナターレを交わして先頭に立つと,あとはあまり差を詰められることなく抜け出しての優勝。その他の先行馬が失速したので2着争いには差し馬が台頭し,コースロスなく最内から差を詰めた伏兵のロードキャニオンが2着。外を回したトーセンルーチェが3着。
優勝したスターシップはJRA37戦6勝でここが南関東転入初戦。もう8歳ですので上積みは見込めませんが,一昨年のオープンを勝ち,昨年の夏にもオープンで3着していましたので,力量は上位と目された1頭。他馬が失速する中,先行して抜け出したレース内容はそれを示したように思います。南関東重賞ならまた好走できるのではないでしょうか。父はクロフネ,従姉に1996年の最優秀短距離馬・最優秀父内国産馬のフラワーパーク。
騎乗した船橋の石崎駿騎手は昨年8月のスパーキングサマーカップ以来の南関東重賞制覇でオールスターカップは初勝利。管理することになったのは船橋の出川克己調教師でこちらもオールスターカップは初勝利。
その日の朝に電話があって,数時間後には旅立っていったのですから,僕にとっては祖母の死は唐突というか急なものに感じられはしました。本牧病院の医師によって下された判断は老衰でした。
以前に永久欠番で紹介した父の長姉の夫,僕の伯父の死因も老衰でした。その伯父の場合は長男と同居していまして,前日の夜まではそれまでと変わらずにいて,しかし翌朝は起きてくることなく,そのまま死んでいったのです。特別養護老人ホームの方から前日の夜のうちに連絡がなかったということは,おそらく祖母の場合も12月10日の夜は,それまでの夜と何ら変わらずにいたのでしょう。職員の方は翌朝になればまた起きてくると思っていたでしょうし,おそらく祖母自身もそういうつもりであったのだろうと思います。しかし祖母はその夜の眠りについたまま,そのまま目覚めることはありませんでした。このように考えますと,老衰による死というのは,周囲の者にとってはもちろん,本人にとっても唐突に訪れるものなのかもしれません。
僕は概念としていうならば,死というのは生の反対概念ではなくて,むしろ生という概念の一部を構成するような概念であろうと思っています。生というのは明らかに有,個物にとっての現実的有であり,もしもそれの反対概念があるとすれば無,あるいは現実的無とでもいうべきものだと考えるのですが,死というのはそうした現実的無などではなくて,むしろ個物の現実的有の一部を必然的に構成するような要素だと思うのです。そしてこの祖母の死に様というのは,そうした考え方を体現するものであったというように思えてなりません。実は祖母はその伯父と同い年です。ですから老衰による死というのが,すでに訪れていてもおかしくはない年齢であったのです。本人がそれをどのように感じたのかということは,それこそ本人でなければ分からず,残された者にとって謎としてしか残らないわけですが,少なくとも傍目から判断する限りでは,強い苦しみに襲われたというような様子も一切なしに,生の終焉としてその一部をなしている死という状態に移行したのですから,大往生であったといっていいのではないかと思います。