スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王将戦&第二部定理九系証明

2012-01-27 19:47:51 | 将棋
 挑戦者の先勝で幕を開けた第61期王将戦七番勝負第二局。
 久保利明王将の先手で三間飛車。佐藤康光九段も三間飛車に振り,相振飛車となりました。序盤で後手が矢倉に組もうとしましたがうまく先手が攻めてその構想が破綻。封じ手の時点で明らかに先手がよくなっていたと思えます。もしかしたら早い終局もあるかと思っていたのですが,終盤は観戦することができました。
                         
 後手玉が中団に出て少し寄せにくくなっているような気もしますが,先手がリードしているように思いました。△4六桂打▲同歩△同桂▲4七銀△5八桂成▲同銀。そこで△4六歩と伸ばしたのに,▲4七歩と受けました。
                         
 ここで△6九成香という僕には訳のわからない手が出ました。先手は▲4六歩と取って,△6八成香に▲4七銀。もうかなり難しくなったと思いますが,この手はただ逃げただけではなく後手玉への詰めろになっていて,まだ先手が勝っていたのではないかと思います。△3四玉と受けました。そこで▲2六桂と捨てて△同歩▲同銀。考えていなかった手順でしたが,これは後手が受けにくそうにも思いました。△1二歩で龍筋を遮断。
                         
 僕の第一感は▲3六歩と突く手で,ほかに▲3六銀もあったよう。実戦は▲3六香と打ったのですが,この手が敗着になったのかもしれません。以下,△4三桂と受け,▲3五香△同桂▲同銀△同玉。この瞬間は先手玉が詰めろになっていて,▲3八王と受けました。△6九角が詰めろで,▲3六銀打と王手で受けるのは仕方ありません。△2四玉に▲3五桂で,この時点ではまだ先手が勝つようにも思えたのですが,△3四香がいい手だったようです。
                         
 ▲2三桂成以外の手はなさそう。それを△同金と取って,▲1二龍の瞬間,香筋が通って先手玉に詰みが発生していました。
 正直,昨晩の時点ではこの将棋を後手が勝つとは思えませんでした。佐藤九段が2連勝。第三局は来月16日と17日です。

 それではスピノザによる第二部定理九系の証明の分析へと移ります。この証明の訴訟過程は,基本的にみっつの手続きから構成されています。
 まず第一に,ある観念の対象ideatumの中に何かが起きるというとき,このこと自体の観念というのが神のうちにはあります。これは第二部定理三から明らかです。
 次に,この起こることというのは,たとえば延長の属性で示すならば,ある物体そのものが生じると考えることも可能ですし,そうではなくてある物体が運動ないしは静止という延長作用をなすというように考えることも可能です。しかしどちらの場合であっても,物体は第二部定義一により神の延長の属性の有限様態すなわち個物ですから,これが神の延長する絶対的な力,いい換えれば延長の属性の絶対的本性から生じるということはできません。このことは第一部定理二三から明らかです。むしろそれは第一部定理二八の仕方で生じます。そして延長の属性についてこのようにいわれることは,第一部定義六によって神の本性を構成する無限に多くのすべての属性に関しても同様でなくてはなりません。したがってそれが神に認識される,いい換えれば神のうちに観念として生じる場合にも,それは神の思惟する絶対的な力,すなわち神の思惟の属性の絶対的本性から生じるのではなくて,ある思惟の有限様態,つまり思惟の個物である個物の観念に変状した限りでの神から生じるのでなければなりません。要するにそれは,第二部定理九で示されているような仕方で,この観念は発生するという意味になります。
 最後に,第二部定理七によって,こうした観念の秩序というのは,その対象の秩序と同一です。よってたとえば観念の対象となる何らかの事物Aがあり,この事物Aのうちにやはり何らかの事象であるXが生じるという場合には,Xの観念というのは,Aの観念のうちに生じるということになります。逆にいうならXの観念がAの観念の外に生じるということはありません。よって神のうちにXの観念が生じるためには神はAの観念を有する,いい換えればAの観念に変状するだけで十分です。したがって,観念の対象の中に起こることの観念は,その対象の観念を有する限りで神のうちにあることになるでしょう。
コメント
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