2011年の競輪の表彰選手は12日に発表されました。
МVPは岐阜の山口幸二選手。競輪グランプリで優勝したのみ。それが大きく獲得賞金こそ1位でしたが,競走得点や勝率はさほど高いというわけではなく,個人的にはやや意外な選出という気もしました。1998年に優秀選手賞と特別敢闘選手賞に選出されて以来の2度めの受賞。

優秀選手賞は3人。まずは三重の浅井康太選手。寛仁親王牌とオールスター競輪でビッグ2勝。賞金,得点,勝率,連対率のすべての部門でベスト10に入っていて,それだけ安定していたということ。ワールドカップのケイリンで銅メダルも獲得し,国際賞にも選出されています。初受賞。
ふたりめは京都の村上義弘選手。日本選手権優勝。高松,豊橋,四日市と記念競輪は3勝。賞金と得点は2位でした。2002年,2003年,2010年に優秀選手賞を受賞していて,2年連続4度め。

最後が愛知の深谷知広選手。高松宮記念杯を制し,立川と一宮で記念競輪2勝。こちらもすべての部門でベスト10入りを果たしました。2010年は優秀新人選手賞で2年連続2度め。おそらく常連になるでしょう。特別賞を合わせて受賞しています。

優秀新人選手賞は静岡の柴田竜史選手。ヤンググランプリの優勝が決め手となりましたが,賞金だけでなく得点もこのカテゴリーの中ではトップでした。もちろん初受賞。
特別敢闘選手は茨城の武田豊樹選手。東王座戦と春一番でビッグは2勝。和歌山と大垣で記念競輪を制し,岸和田の被災地支援競輪も優勝。得点と連対率は1位で,年間を通じて最も強かった選手といっていいのではないかと思います。2004年に優秀新人選手賞,2005年と2009年に優秀選手賞,2010年が特別敢闘選手賞で3年連続5度め。

伯母がロサンゼルスに緊急帰国した12月23日は祝日。ですから妹の作業所も休みでした。そこで概ね月に1度の割合で利用することになったガイドヘルパーをこの月はこの日に依頼。予定通りに午前中は映画を鑑賞し,レストランで昼食を摂ったらしいのですが,その後で妹が気分を害して嘔吐したとのことで,そのまま帰宅しました。祝日でしたが,僕はこの日は仕事があって,東京都大田区の池上まで行っていまして,家に戻ったのは午後4時前くらい。すでに妹は家に帰っていたわけですが,寝室のベッドで横になっていました。
僕は入院することになった前日,2008年の大晦日に嘔吐しましたが,記憶の中ではそれが人生において2度めの嘔吐。その後は1度もしていません。つまり僕は滅多に吐くということはありません。しかし妹の場合はこれとは逆で,おそらく体質の問題があるのでしょうが,ちょっと体調を崩してしまうと途端に嘔吐してしまうというタイプでした。したがってそれまでにもこうした症状というのを見せたことはあり,嘔吐したといってもそんなに心配しなければならないというわけではありません。妹はどちらかといえば大食漢で,この日の夕食は普段と比べれば少なめではありましたが,食べるには食べました。このことからもこのときの妹の状態というのが,そこまで深刻に考えなければならないものではなかったということはお分かりいただけるかと思います。ただ,この食後にまた嘔吐してしまい,結局この日はそのまま寝てしまいました。
この後,24日と25日は土日でやはり作業所は休み。僕もこの両日は午後はずっと家にいましたから妹の様子もそれなりに注意深く窺うことができました。その見た目だけでいえば,少なくとも24日の午後にはそれ以前と変わらないだけの状態を取り戻していました。ただ,以前には嘔吐したということがあっても,久しぶりのことでありましたし,妹自身にはそれに対する不安があったようで,作業所で吐いてしまったらどうしようということを心配していました。そうした意志もありましたので,26日の月曜日は作業所を休ませ,27日から再び通い出しました。といっても,28日が年内最後の出勤日でしたが。
МVPは岐阜の山口幸二選手。競輪グランプリで優勝したのみ。それが大きく獲得賞金こそ1位でしたが,競走得点や勝率はさほど高いというわけではなく,個人的にはやや意外な選出という気もしました。1998年に優秀選手賞と特別敢闘選手賞に選出されて以来の2度めの受賞。

優秀選手賞は3人。まずは三重の浅井康太選手。寛仁親王牌とオールスター競輪でビッグ2勝。賞金,得点,勝率,連対率のすべての部門でベスト10に入っていて,それだけ安定していたということ。ワールドカップのケイリンで銅メダルも獲得し,国際賞にも選出されています。初受賞。
ふたりめは京都の村上義弘選手。日本選手権優勝。高松,豊橋,四日市と記念競輪は3勝。賞金と得点は2位でした。2002年,2003年,2010年に優秀選手賞を受賞していて,2年連続4度め。

最後が愛知の深谷知広選手。高松宮記念杯を制し,立川と一宮で記念競輪2勝。こちらもすべての部門でベスト10入りを果たしました。2010年は優秀新人選手賞で2年連続2度め。おそらく常連になるでしょう。特別賞を合わせて受賞しています。

優秀新人選手賞は静岡の柴田竜史選手。ヤンググランプリの優勝が決め手となりましたが,賞金だけでなく得点もこのカテゴリーの中ではトップでした。もちろん初受賞。
特別敢闘選手は茨城の武田豊樹選手。東王座戦と春一番でビッグは2勝。和歌山と大垣で記念競輪を制し,岸和田の被災地支援競輪も優勝。得点と連対率は1位で,年間を通じて最も強かった選手といっていいのではないかと思います。2004年に優秀新人選手賞,2005年と2009年に優秀選手賞,2010年が特別敢闘選手賞で3年連続5度め。

伯母がロサンゼルスに緊急帰国した12月23日は祝日。ですから妹の作業所も休みでした。そこで概ね月に1度の割合で利用することになったガイドヘルパーをこの月はこの日に依頼。予定通りに午前中は映画を鑑賞し,レストランで昼食を摂ったらしいのですが,その後で妹が気分を害して嘔吐したとのことで,そのまま帰宅しました。祝日でしたが,僕はこの日は仕事があって,東京都大田区の池上まで行っていまして,家に戻ったのは午後4時前くらい。すでに妹は家に帰っていたわけですが,寝室のベッドで横になっていました。
僕は入院することになった前日,2008年の大晦日に嘔吐しましたが,記憶の中ではそれが人生において2度めの嘔吐。その後は1度もしていません。つまり僕は滅多に吐くということはありません。しかし妹の場合はこれとは逆で,おそらく体質の問題があるのでしょうが,ちょっと体調を崩してしまうと途端に嘔吐してしまうというタイプでした。したがってそれまでにもこうした症状というのを見せたことはあり,嘔吐したといってもそんなに心配しなければならないというわけではありません。妹はどちらかといえば大食漢で,この日の夕食は普段と比べれば少なめではありましたが,食べるには食べました。このことからもこのときの妹の状態というのが,そこまで深刻に考えなければならないものではなかったということはお分かりいただけるかと思います。ただ,この食後にまた嘔吐してしまい,結局この日はそのまま寝てしまいました。
この後,24日と25日は土日でやはり作業所は休み。僕もこの両日は午後はずっと家にいましたから妹の様子もそれなりに注意深く窺うことができました。その見た目だけでいえば,少なくとも24日の午後にはそれ以前と変わらないだけの状態を取り戻していました。ただ,以前には嘔吐したということがあっても,久しぶりのことでありましたし,妹自身にはそれに対する不安があったようで,作業所で吐いてしまったらどうしようということを心配していました。そうした意志もありましたので,26日の月曜日は作業所を休ませ,27日から再び通い出しました。といっても,28日が年内最後の出勤日でしたが。