スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ユニバーサル杯女流名人位戦&部分的原因の場合

2012-01-22 18:51:33 | 将棋
 恒例ともいえる千葉県野田市の関根名人記念館での対局となった第38期女流名人位戦五番勝負第二局。
 清水市代女流六段の先手で里見香奈女流名人の中飛車。後手が端から一旦は仕掛け,再び駒組に戻るという将棋でしたが,最初の端攻めを逆用するような形で先手が飛車を成り込みましたので,中盤は先手が押していたのではないかと思います。後手も反撃含みに大きな差をつけられることはなく戦いが続きました。
                         
 ここは▲5二香成と取ってしまいたくなるのですが,解説だと少し損なのだそうです。実戦も▲6五同香。後手は△5五飛と食いちぎり▲同銀△同角。ここは▲6一香成と攻め合う手と▲6六銀打と手堅く受ける手の両方が有力で,後者が指されたのですが,結果的にはそれが敗着となってしまったようです。△5六歩▲5五銀△5七歩成としてから▲6一香成。
                         
 と金は作られたもののさらに角を手持ちにし,詰めろで香車が成りましたから,単に攻め合うよりも一旦は受けに回っておいた方が先手は得をしたかのように思えます。ところがここから△6七銀▲8八玉△7八金▲9八玉△9七香▲同玉△8八角▲9八玉△5五角成と,王手を掛けながら最後に詰めろ逃れの詰めろという返し技があり,後手の勝ちになっていました。
                         
 ここまで進んでは先手も修正はできません。鮮やかな逆転勝ちで里見名人が1勝1敗のタイに追いつきました。第三局は来月5日です。

 次に,対象ideatumの中に起こることの観念に対して,対象の観念が部分的原因にすぎないという場合です。僕の理解では,少なくともスピノザは,こうしたケースが生じ得るということを否定することは困難であるように思えます。ここでは具体的に人間について例示しますが,このときに第二部定理一三でいわれていること,すなわち人間の精神という観念の対象は,その人間の身体であるということに注意しておいてください。
 人間の身体の中にある運動ないしは静止が生じるときに,この観念に対して対象の観念すなわちこの人間の精神が十全な原因であるとするなら,平行論からの帰結として,この運動ないしは静止に対しては,その人間の身体が十全な原因であるということでなければなりません。しかしこれを主張することは僕には,少なくとも一般的に考えて,無理があると思えます。というのは,人間の身体というのは物体であり,したがってその各部分も物体であるということになります。そこで人間の身体を構成するある部分が何らかの運動をするということは,この人間の身体の中である運動が生じていると考えるのが普通の理解だと思うのです。
 しかるにこの運動は,第二部自然学②公理一により,その部分の本性のみから生じるのではなく,それを運動に導くほかの物体の本性とともに生じます。このときに,そのほかの物体というのを,この人間の身体を構成していない,いい換えればこの人間の身体の外部の物体であると考えることは,第二部自然学②要請三から無理なことではありません。するとこの場合には,この人間の身体はその中で生じている運動に対して,部分的原因にすぎないということになります。つまり平行論的帰結として,対象の中に起こることの観念に対しても,対象の観念が部分的原因であるということにならなければなりません。
 たとえば第二部定理一七というのは,こうした場合を示しているとしか僕には思えないのです。もっともこれは外部の物体の表象ですから,むしろ自分の身体の表象を示す第二部定理一九の方がこの場合にはさらによいかもしれません。いずれにしてもこうした理由で,僕はこの場合も生じ得るということを,スピノザが否定することは難しいだろうと考えます。
コメント
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