スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

香港国際競走&N伯父

2013-12-10 19:28:32 | 海外競馬
 8日に開催された香港国際競走。今年はみっつのレースに1頭ずつの日本馬が遠征しました。
 4レースの香港ヴァーズGⅠ芝2400mに出走したのは昨年の七夕賞と11月のアルゼンチン共和国杯を勝っているアスカクリチャン。2頭がスクラッチして12頭。前半は外の5~6番手を追走。向正面で3番手に。ペースはスロー。3コーナーを回ると手が動き始め,どうやらこの時点で手応えを失っていたようです。直線は後続に飲み込まれ,大きく離されての7着でした。
 この馬はこれが大レース初出走。距離も前走で2500mを勝ったとはいえ,本来は2000mくらいが最適と思いますので,仕方がない結果だったといえるのではないでしょうか。
 5レースの香港スプリントGⅠ芝1200mには昨年のJRA賞の最優秀短距離馬のロードカナロアが出走。好発から控えて前から5馬身程度の6番手の外を追走。この距離としたら超スローペース。コーナーで外を進出して前に並び掛け,残り200m手前ではっきりと先頭に出ると,あとは離していく一方。5馬身もの差をつける圧巻の優勝でした。
 優勝したロードカナロアは9月のスプリンターズステークスから連勝で大レース6勝目。前年に続いて香港スプリント連覇。父はキングカメハメハ。Kanaloaはハワイの海の神。騎乗した岩田康誠騎手と管理している安田隆行調教師はスプリンターズステークス以来の大レース制覇で前年のこのレース以来の海外重賞勝利。日本馬による海外重賞制覇は9月のニエル賞とフォワ賞以来。GⅠは昨年の香港スプリント以来。スプリント戦は大きな差はつきにくいですし,スローペースとあればなおさら。それでありながらこの圧勝劇ですから,間違いなく日本競馬史上最強のスプリンターでしょうし,世界的にも特別な馬です。これで引退して種牡馬になりますが,引退レースがベストパフォーマンスであった上,安田記念も勝っているのですから,相当な有力牝馬を集められる筈で,そちらの結果も楽しみ。血統的にはダートの一流馬が輩出してもおかしくないように思えます。
 8レースの香港カップGⅠ芝2000mに出走したのは今年に入ってダービー卿チャレンジトロフィー,鳴尾記念,函館記念,札幌記念と重賞を4勝したトウケイヘイロー。この馬はどんなレースをするのかまず注目していましたが,日本でのレースと同様に軽快に逃げました。スローペースでしたが途中は3馬身~4馬身程度のリード。3コーナー付近から差が詰まりましたが先頭は譲らず,よい手応えで直線に向きましたので,これは好勝負は必至と思いました。逃げ込みを図ったものの,人気を二分していたうちの1頭にすぐ外から交わされ,さらに外からも追い上げられましたがそれらは凌いで2着でした。
 勝ち馬は1番枠なのでインを通れたのですが,直線では武豊騎手がうまく進路を塞いで立て直させました。それでも差し切られたのですから,力量差は着差以上にあったと考えられ,むしろ健闘したといっていいと思います。残り800mから23秒86,22秒34で上がってきているのですから,やはりもっと強い馬がいたというほかありません。

 幼少期の思い出もいくつかあります。
 N伯父は食べ物や飲み物がよく冷えているがゆえに美味である状態を,「ひゃっこい」ということばで表現しました。僕はN伯父の出身がどこであるのかも,またそもそもこの表現が方言であるのかも分かりませんが,こういうことばを使うのは,僕の周囲ではN伯父だけでした。また,僕が普通は「しょっぱい」と表現する味に関しては,「しょっからい」と言いました。これは北陸地方の一部では使用される方言であると聞いたことがありますが,このことばを使うのも,僕の知っている人ではN伯父だけです。
 その後,N伯父は洋光台にマンションを買って,そちらに引っ越しました。さらにその後,それは売って今度は汐見台にマンションを購入。それ以降はずっとそちらに住んでいます。汐見台は,妹が養護学校を卒業した後,一時的に勤務していた施設があったところです。は小脳出血を発症するまで,そこでボランティアとして昼食を作りに行っていたのですが,N伯父も同じようにその施設でボランティア活動をしていました。母と同様に昼食を作るだけでなく,勤務する障害者の送迎なども行っていました。ですから少なくとも2010年の10月頃まで,母とは週に1度くらいは顔を合わせていたことになります。
 妻,つまり父の実姉ですが,この方は故人。8月に母の同窓会があった翌週に,法事がありましたが,それがこの伯母のもの。七回忌でしたから死んだのは2007年。また例によって競馬と関連付けるなら,この伯母の納骨の日は菊花賞でした。競馬年表でいうなら,ウオッカがダービーを勝った年ということになるでしょう。
 子どもは男の子がひとり。僕からみると従兄ですが,年は離れています。大学卒業後に警察官になり,結婚したのを機に独立して家を構えました。この従兄夫婦には女の子がひとりいまして,この人もすでに結婚し,子どもを産んでいます。したがってN伯父には,子どもがひとり,孫がひとり,さらに曾孫もひとりいるということになります。
 N伯父が入院した理由は,健康診断で大腸癌が発見されたためでした。ただこの癌自体は早期のものだったのです。
コメント
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