ニーチェのディオニュソスに対する親近感の証拠について僕の考え方を示したおり,ニーチェにとって最後の著作となった『この人を見よ』に触れました。ニーチェの著作はどれもこれも難解であるという印象を僕は抱いていますが,その中で最も分かりやすいものは,この最後の著作ではないかと思います。
原題はEcce Homo。これは新約聖書のヨハネによる福音書の19-5で,ピラトがイエスに対していうことば。もちろんそのときのこの人はイエスですが,ニーチェがいっているこの人は,ニーチェ自身のことです。ニーチェの反キリストは,文字通りの反キリストなのであって,必ずしも反イエスではないというのが僕の理解ですが,ここでニーチェが自身をイエスになぞらえているとき,ニーチェ自身にどのような意図があったのかは,両義的に解釈できるように思えます。
この本がニーチェの著作の中では読みやすくなっているのは,単なる哲学的著作であるというよりは,自伝的要素が強くなっているからです。つまり,これ以外の著作においては,哲学的内容,ニーチェの場合には知の考古学的な要素まで含めて僕はその哲学的内容が構成されると理解しますが,そうした内容が表明されているにすぎません。しかしこちらの本においては,それらの哲学的内容に関するニーチェ自身の解説が中心で,何らかの新しい思想が表明されているというわけではないのです。
ニーチェの哲学の分かりにくさのひとつに,全体がさほど体系だてられていないという点があると思います。しかし『この人を見よ』は,その著作の性格から,ニーチェの哲学が最も秩序づけられているといえるでしょう。この点も,この著作の分かりやすさの原因として挙げられるだろうと思います。
それまでに書いた本に対するニーチェ自身の解説がつけられていますので,まず先にそれを読み,ニーチェが意図するところをある程度まで理解した上で,各々の著作を読んでいくというのが,ニーチェの思想を理解するための最良の方法だと僕は考えています。
2泊3日でしたから妹が家に戻ったのは5日の木曜ということになります。僕はこの日も長者町だったのですが,午後4時過ぎには帰宅していましたので,妹を出迎える形になりました。帰った妹はおやつを食べた後,横になってすぐに眠ってしまいました。ショートステイ先では,どうしても普段よりも早い時間に起きなければなりませんので,寝不足であったのでしょう。
週末は7日の土曜日がピアノのレッスン。予定は午後4時半からでしたが,10分ほど遅れての開始となりました。この程度の遅刻であっても,事前に先生から連絡が必ず入ります。そしてこの日が僕の誕生日でした。といってもだから何か特別なことをしたというわけでもありません。土曜日ですからいつものようにWINS横浜に行き,競馬をやってそれで終りです。誕生日のつきものといえばケーキでしょうが,ケーキのような嗜好品は現在の僕の身体にはむしろ大敵ですから,何もしてくれないということの方がありがたいくらいではあります。また,僕自身もこの日を迎えて何らかの感慨めいたものがあったかといえば,そういうこともありません。僕はネットでアンケートに参加することがありますが,そのときに年齢を問われた場合,それまでの1年間は42歳と記入していたものが,この日からは43歳と記入するようになったということが,唯一の変化らしい変化であるといえます。これはとくに今年の誕生日に限った話というわけではなく,少なくとも学生生活を終えて以降はずっと同じようなものです。記念日を好む人もいますし,節目の月日というのを気に掛ける人が多いことはよく理解していますが,僕自身はそういったことはほとんど気にしません。1月1日という日付でさえ,僕にとっては特別な日ではなく,ただの1日にすぎないのです。これにはある程度までスピノザの哲学も影響していると思います。時間というのは表象であり,日付とか時刻といったものも便宜的なものにすぎず,たとえば今日が12月17日であるということに,合理的な理由があるというようには僕には思えないのです。そしてそれが,元日であれ誕生日であれ,同じように該当するのです。
原題はEcce Homo。これは新約聖書のヨハネによる福音書の19-5で,ピラトがイエスに対していうことば。もちろんそのときのこの人はイエスですが,ニーチェがいっているこの人は,ニーチェ自身のことです。ニーチェの反キリストは,文字通りの反キリストなのであって,必ずしも反イエスではないというのが僕の理解ですが,ここでニーチェが自身をイエスになぞらえているとき,ニーチェ自身にどのような意図があったのかは,両義的に解釈できるように思えます。
この本がニーチェの著作の中では読みやすくなっているのは,単なる哲学的著作であるというよりは,自伝的要素が強くなっているからです。つまり,これ以外の著作においては,哲学的内容,ニーチェの場合には知の考古学的な要素まで含めて僕はその哲学的内容が構成されると理解しますが,そうした内容が表明されているにすぎません。しかしこちらの本においては,それらの哲学的内容に関するニーチェ自身の解説が中心で,何らかの新しい思想が表明されているというわけではないのです。
ニーチェの哲学の分かりにくさのひとつに,全体がさほど体系だてられていないという点があると思います。しかし『この人を見よ』は,その著作の性格から,ニーチェの哲学が最も秩序づけられているといえるでしょう。この点も,この著作の分かりやすさの原因として挙げられるだろうと思います。
それまでに書いた本に対するニーチェ自身の解説がつけられていますので,まず先にそれを読み,ニーチェが意図するところをある程度まで理解した上で,各々の著作を読んでいくというのが,ニーチェの思想を理解するための最良の方法だと僕は考えています。
2泊3日でしたから妹が家に戻ったのは5日の木曜ということになります。僕はこの日も長者町だったのですが,午後4時過ぎには帰宅していましたので,妹を出迎える形になりました。帰った妹はおやつを食べた後,横になってすぐに眠ってしまいました。ショートステイ先では,どうしても普段よりも早い時間に起きなければなりませんので,寝不足であったのでしょう。
週末は7日の土曜日がピアノのレッスン。予定は午後4時半からでしたが,10分ほど遅れての開始となりました。この程度の遅刻であっても,事前に先生から連絡が必ず入ります。そしてこの日が僕の誕生日でした。といってもだから何か特別なことをしたというわけでもありません。土曜日ですからいつものようにWINS横浜に行き,競馬をやってそれで終りです。誕生日のつきものといえばケーキでしょうが,ケーキのような嗜好品は現在の僕の身体にはむしろ大敵ですから,何もしてくれないということの方がありがたいくらいではあります。また,僕自身もこの日を迎えて何らかの感慨めいたものがあったかといえば,そういうこともありません。僕はネットでアンケートに参加することがありますが,そのときに年齢を問われた場合,それまでの1年間は42歳と記入していたものが,この日からは43歳と記入するようになったということが,唯一の変化らしい変化であるといえます。これはとくに今年の誕生日に限った話というわけではなく,少なくとも学生生活を終えて以降はずっと同じようなものです。記念日を好む人もいますし,節目の月日というのを気に掛ける人が多いことはよく理解していますが,僕自身はそういったことはほとんど気にしません。1月1日という日付でさえ,僕にとっては特別な日ではなく,ただの1日にすぎないのです。これにはある程度までスピノザの哲学も影響していると思います。時間というのは表象であり,日付とか時刻といったものも便宜的なものにすぎず,たとえば今日が12月17日であるということに,合理的な理由があるというようには僕には思えないのです。そしてそれが,元日であれ誕生日であれ,同じように該当するのです。