Kを同居させることに対する奥さんの拒絶の理由は,奥さんは先生よりも人間の心の動きというものをよく理解していたからだと僕は考えています。
このとき,奥さんがどのような心の動きというものを弁えていたのかということは,スピノザの哲学によって説明することができます。それは感情の模倣という概念です。
奥さんは,先生が自分の娘に好意を抱いているということを知っていました。そこに先生の友人であるKがやって来れば,Kにはこの感情の模倣が生じ,先生と同じように自分の娘を好きになるであろうということが,奥さんには手に取るように分かっていたのです。奥さんはKとの同居を提案する先生に対して,そのことは先生自身のためにならないということを拒絶の理由として挙げています。先生にはそのことの意味が分からなかったのですが,奥さんの拒絶の理由は,そこだけにあったのだと理解して間違いないというくらいに僕は理解しています。
さらに第三部定理三一では次のことが示されています。
「もし我々が自分の愛し,欲し,あるいは憎むものをある人が愛し,欲し,あるいは憎むことを表象するならば,まさにそのことによって我々はそのものをいっそう強く愛し,欲し,あるいは憎むであろう。これに反し,もし我々が自分の愛するものをある人が嫌うことを,あるいはその反対を,〈すなわち我々の憎むものをある人が愛することを〉表象するならば,我々は心情の動揺を感ずるであろう」。
これも感情の模倣ですが,ある人への愛は,他者のその人への愛によってますます強化されるということを示しています。この定理は一般的になぜ三角関係が生じやすいかということを示していますが,先生とKのお嬢さんに対する愛は,この定理で示されていることによって,より増幅されていったといえるのではないでしょうか。
全身麻酔によって生じる副作用として,最悪のものはそのまま目が覚めないということでしょう。ただ,N伯父の身に生じてしまったのはそれではありませんでした。目は覚めたのです。しかしそれは,意識が覚醒しているという状態ではなく,むしろ朦朧とした状態であったようです。そしてその半覚醒状態のままN伯父は暴れてしまったようなのです。そしてこれが原因となり,今度は意識不明の重体に陥ってしまいました。そこでそのままICUへと入れられたのです。
ICUに入るということは,生命に危機がある状態であると解して間違いありません。こういうことになってしまいましたので,それまでは秘匿にされていたN伯父の大腸癌,入院,手術,そしてその予後のことまで含めたすべてのことが,伝えられることになりました。従兄としてもこういった形でそれを親戚に伝えるということは本望ではなかった筈であり,その心中は察するに余りあります。最初に伝えられたのは,K伯母の三回忌の後,同時に行われた祖母の三三回忌法要のために日野公園墓地に向ったときに,僕たちを同乗させてくれた伯父,父のすぐ上の兄で,父のきょうだいの次男の家族に対してでした。どうも従兄はその伯父から他の親戚にも伝えるように依頼したようで,僕たちにはこうした経緯は,この伯父,厳密にいうならこの伯父の妻から知らされたことになります。
僕たちがこのことを知ったのは,先月の半ばのことでした。ただ,このときにICUに入っていたN伯父は面会謝絶の状態でしたので,見舞いには行かれなかったのです。その後,すぐの生命の危機は脱したとのことで一旦はICUを出され,一般病棟に戻ったようなのですが,そこでまた事態が急変し,一時的に心肺停止の状態になりました。緊急措置によってその機能は回復したのですが,この影響でいわゆる脳死状態に。11月30日に母と妹が見舞ったとき,N伯父はこの状態であったことになります。脳死は法的には死と認めることができますが,おそらく従兄の判断で,心肺が運動している間は,死とはしないということになったのでしょう。実際に心臓も肺も自力で動いている状態ではあるようです。
このとき,奥さんがどのような心の動きというものを弁えていたのかということは,スピノザの哲学によって説明することができます。それは感情の模倣という概念です。
奥さんは,先生が自分の娘に好意を抱いているということを知っていました。そこに先生の友人であるKがやって来れば,Kにはこの感情の模倣が生じ,先生と同じように自分の娘を好きになるであろうということが,奥さんには手に取るように分かっていたのです。奥さんはKとの同居を提案する先生に対して,そのことは先生自身のためにならないということを拒絶の理由として挙げています。先生にはそのことの意味が分からなかったのですが,奥さんの拒絶の理由は,そこだけにあったのだと理解して間違いないというくらいに僕は理解しています。
さらに第三部定理三一では次のことが示されています。
「もし我々が自分の愛し,欲し,あるいは憎むものをある人が愛し,欲し,あるいは憎むことを表象するならば,まさにそのことによって我々はそのものをいっそう強く愛し,欲し,あるいは憎むであろう。これに反し,もし我々が自分の愛するものをある人が嫌うことを,あるいはその反対を,〈すなわち我々の憎むものをある人が愛することを〉表象するならば,我々は心情の動揺を感ずるであろう」。
これも感情の模倣ですが,ある人への愛は,他者のその人への愛によってますます強化されるということを示しています。この定理は一般的になぜ三角関係が生じやすいかということを示していますが,先生とKのお嬢さんに対する愛は,この定理で示されていることによって,より増幅されていったといえるのではないでしょうか。
全身麻酔によって生じる副作用として,最悪のものはそのまま目が覚めないということでしょう。ただ,N伯父の身に生じてしまったのはそれではありませんでした。目は覚めたのです。しかしそれは,意識が覚醒しているという状態ではなく,むしろ朦朧とした状態であったようです。そしてその半覚醒状態のままN伯父は暴れてしまったようなのです。そしてこれが原因となり,今度は意識不明の重体に陥ってしまいました。そこでそのままICUへと入れられたのです。
ICUに入るということは,生命に危機がある状態であると解して間違いありません。こういうことになってしまいましたので,それまでは秘匿にされていたN伯父の大腸癌,入院,手術,そしてその予後のことまで含めたすべてのことが,伝えられることになりました。従兄としてもこういった形でそれを親戚に伝えるということは本望ではなかった筈であり,その心中は察するに余りあります。最初に伝えられたのは,K伯母の三回忌の後,同時に行われた祖母の三三回忌法要のために日野公園墓地に向ったときに,僕たちを同乗させてくれた伯父,父のすぐ上の兄で,父のきょうだいの次男の家族に対してでした。どうも従兄はその伯父から他の親戚にも伝えるように依頼したようで,僕たちにはこうした経緯は,この伯父,厳密にいうならこの伯父の妻から知らされたことになります。
僕たちがこのことを知ったのは,先月の半ばのことでした。ただ,このときにICUに入っていたN伯父は面会謝絶の状態でしたので,見舞いには行かれなかったのです。その後,すぐの生命の危機は脱したとのことで一旦はICUを出され,一般病棟に戻ったようなのですが,そこでまた事態が急変し,一時的に心肺停止の状態になりました。緊急措置によってその機能は回復したのですが,この影響でいわゆる脳死状態に。11月30日に母と妹が見舞ったとき,N伯父はこの状態であったことになります。脳死は法的には死と認めることができますが,おそらく従兄の判断で,心肺が運動している間は,死とはしないということになったのでしょう。実際に心臓も肺も自力で動いている状態ではあるようです。