関根名人記念館で指された昨日の第42期女流名人戦五番勝負第三局。
里見香奈女流名人の先手。序盤に駆け引きがあったように思いますがノーマル中飛車に落ち着きました。対して清水市代女流六段が右の金を6四に上がるという急戦策。非常に珍しい指し方で,僕の力では把握しかねますが,先手が途中で5九に飛車を引いた手が最大限に生きるような展開となり,そのあたりは先手が指しやすかったのではないかと思えます。ただ,左右の桂馬を跳ねていったのは急ぎ過ぎだったようで,それ以降は混戦になっているようです。

後手が2四に桂馬を打って先手が受けたところ。ここで☖3三桂と跳ねて一気に終盤に。この手の善悪は推し量りかねます。
☗3四銀と出ていくのは仕方ないところでしょう。後手の☖4五桂も当然に思えました。そこで☗4六歩と打って桂馬を取りにいきました。危険な感じがしましたが,これで凌げていたのかもしれません。
☖1六桂打☗同香☖同桂は後手が前から狙っていた攻め筋。桂頭の玉寄せにくしの格言通りに☗1七王と上がるのも有力だったと思いますが☗3九王と下に逃げました。

ここは選択肢がある局面で,実戦は☖3七歩と打ちましたが☗4五歩と根元の桂馬を取られ,後で☗4四桂と打てる形になり先手が抜け出しました。ここでは☖8六飛と角を入手するか,飛車を受けに利かしたままにするなら☖6六金と入り込む手が有力で,それだと勝負はどう転んだか分からなかったようです。
里見名人が勝って2勝1敗。第四局は14日です。
書簡八に対するスピノザの返答が書簡九です。畠中によればこれも原書簡が残っていて,編集の痕跡があるのだそうです。ただしこの編集はいずれは書簡を公開するつもりでいたスピノザ自身の手によるもののようです。したがって遺稿集Opera Posthumaに掲載されたのは,スピノザが公にしようと思っていた形のものであると考えてよいでしょう。たぶんスピノザはほかにもこのような編集を自身の手でなしていたと推測できます。こういったスピノザ自身の編集が,遺稿集の編集者たちが書簡を取捨選択し,また改変する際の参考材料になったものと僕は思います。
この書簡はシモン・ド・フリースSimon Josten de Vriesに宛てられたものですが,書簡八への返答なのですから,フリース以外にも読む人がいることをスピノザが書いている時点で想定したことは疑い得ません。少なくとも講読会のほかのメンバーがこれを読まないということはあり得ないからです。その証拠にスピノザ自身がこの書簡の中で,あなたたちの講読会とか,あなたたちの疑問というように,フリース以外の人を想定している語句を残しています。この時点では分かりませんが,マイエルLodewijk Meyerも後には講読会の会員になっていたのであり,書簡十二も同じ想定の下に書かれていると僕は解するのです。確かに書簡十二ではスピノザは二人称単数しか用いていないのですが,おそらくそれはこの書簡は,2通の返事をまとめたものだからです。このうちの1通は畠中が推測しているようにおそらく『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』を出版する依頼であり,これは購読会とは無関係に,マイエルが単独で願い出たものと思われます。
書簡九と書簡十二にはさらに共通する点があります。書簡十二に副題が添えられているように,書簡九にもオランダ語版の遺稿集De Nagelate Schriftenには「定義と公理の本性について」という副題がつけられているのです。書簡十二は間違いなくスピノザの存命中から友人の間では閲覧されていたものでした。書簡九も同様であったと考えてよいでしょう。ならばそれを書くに際してのスピノザの想定も同じだった筈だといえます。
なお,書簡九は公理Axiomaについても言及されていますが,ほぼ定義Definitioに関してのみ説明されているものです。
里見香奈女流名人の先手。序盤に駆け引きがあったように思いますがノーマル中飛車に落ち着きました。対して清水市代女流六段が右の金を6四に上がるという急戦策。非常に珍しい指し方で,僕の力では把握しかねますが,先手が途中で5九に飛車を引いた手が最大限に生きるような展開となり,そのあたりは先手が指しやすかったのではないかと思えます。ただ,左右の桂馬を跳ねていったのは急ぎ過ぎだったようで,それ以降は混戦になっているようです。

後手が2四に桂馬を打って先手が受けたところ。ここで☖3三桂と跳ねて一気に終盤に。この手の善悪は推し量りかねます。
☗3四銀と出ていくのは仕方ないところでしょう。後手の☖4五桂も当然に思えました。そこで☗4六歩と打って桂馬を取りにいきました。危険な感じがしましたが,これで凌げていたのかもしれません。
☖1六桂打☗同香☖同桂は後手が前から狙っていた攻め筋。桂頭の玉寄せにくしの格言通りに☗1七王と上がるのも有力だったと思いますが☗3九王と下に逃げました。

ここは選択肢がある局面で,実戦は☖3七歩と打ちましたが☗4五歩と根元の桂馬を取られ,後で☗4四桂と打てる形になり先手が抜け出しました。ここでは☖8六飛と角を入手するか,飛車を受けに利かしたままにするなら☖6六金と入り込む手が有力で,それだと勝負はどう転んだか分からなかったようです。
里見名人が勝って2勝1敗。第四局は14日です。
書簡八に対するスピノザの返答が書簡九です。畠中によればこれも原書簡が残っていて,編集の痕跡があるのだそうです。ただしこの編集はいずれは書簡を公開するつもりでいたスピノザ自身の手によるもののようです。したがって遺稿集Opera Posthumaに掲載されたのは,スピノザが公にしようと思っていた形のものであると考えてよいでしょう。たぶんスピノザはほかにもこのような編集を自身の手でなしていたと推測できます。こういったスピノザ自身の編集が,遺稿集の編集者たちが書簡を取捨選択し,また改変する際の参考材料になったものと僕は思います。
この書簡はシモン・ド・フリースSimon Josten de Vriesに宛てられたものですが,書簡八への返答なのですから,フリース以外にも読む人がいることをスピノザが書いている時点で想定したことは疑い得ません。少なくとも講読会のほかのメンバーがこれを読まないということはあり得ないからです。その証拠にスピノザ自身がこの書簡の中で,あなたたちの講読会とか,あなたたちの疑問というように,フリース以外の人を想定している語句を残しています。この時点では分かりませんが,マイエルLodewijk Meyerも後には講読会の会員になっていたのであり,書簡十二も同じ想定の下に書かれていると僕は解するのです。確かに書簡十二ではスピノザは二人称単数しか用いていないのですが,おそらくそれはこの書簡は,2通の返事をまとめたものだからです。このうちの1通は畠中が推測しているようにおそらく『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』を出版する依頼であり,これは購読会とは無関係に,マイエルが単独で願い出たものと思われます。
書簡九と書簡十二にはさらに共通する点があります。書簡十二に副題が添えられているように,書簡九にもオランダ語版の遺稿集De Nagelate Schriftenには「定義と公理の本性について」という副題がつけられているのです。書簡十二は間違いなくスピノザの存命中から友人の間では閲覧されていたものでした。書簡九も同様であったと考えてよいでしょう。ならばそれを書くに際してのスピノザの想定も同じだった筈だといえます。
なお,書簡九は公理Axiomaについても言及されていますが,ほぼ定義Definitioに関してのみ説明されているものです。