昨晩の第8回勝島王冠。
僕は予期していなかったのですがモンサンカノープスの逃げになりました。2番手マークがセイスコーピオンで3番手にムサシキングオー。この後ろはブレーヴマン,ジャルディーノ,コスモカウピリの3頭の集団。発馬がやや悪かったケイアイレオーネは追い上げてその後ろ。逃げ馬ではない馬が逃げたたため最初の800mが51秒7のスローペースになったこともあり,前の10頭まではあまり差がない隊列になりました。
3コーナーを回ってセイスコーピオンがモンサンカノープスに並び掛けていくとさらに外からムサシキングオーも追い,さらに外からケイアイレオーネが追撃。直線に入るとモンサンカノープスは一杯になり,残りの3頭で壮絶な競り合い。真中のムサシキングオーはやや走りにくいところがあったかもしれませんが,途中からは完全に脱落していますから着順に影響するような不利があったというわけではないでしょう。その後も2頭の叩き合いがフィニッシュまで続きましたが,先に前に出ていたセイスコーピオンが最後まで抜かせずに優勝。ケイアイレオーネがアタマ差の2着。ムサシキングオーは2馬身差の3着。
優勝したセイスコーピオンは前走のマイルグランプリに続いて南関東重賞連勝。距離は伸びていましたが,JRAでの4勝は1800mと1900mのものでしたから,あまり不安材料ではありませんでした。スローペースは差がつきにくいのですが,同じように実力上位と目された2着馬と抜け出していますので,そのほかの馬たちとははっきりとした実力の差を示したといっていいでしょう。相手次第にはなりますが,重賞でも通用しておかしくない思われます。父はデュランダル。母は2004年のローレル賞を勝ったスコーピオンリジイ。祖母の半弟に2001年のラジオたんぱ賞を勝ったトラストファイヤー。
騎乗した船橋の森泰斗騎手はロジータ記念以来の南関東重賞制覇。第5回以来3年ぶりの勝島王冠2勝目。管理している川崎の八木正喜調教師は勝島王冠初勝利。
完全性perfectioの尺度が属性attributumである限りは,ある様態modi,modusと別の様態との間で,どちらが完全であるかは決定することができないというのがスピノザの哲学での結論になります。この場合,決定することができないというのは,人間はある様態と別の様態の完全性を比較して,一方がより完全で他方は不完全であると認識することができないという意味です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/e4/8a39ee39b353a15d52bca9547f525f0f.jpg)
第二部公理五が示しているのは,僕たちが認識することができる属性は,延長の属性Extensionis attributumと思惟の属性Cogitationis attributumのふたつだけであるということです。つまり僕たちは完全性の規準としては延長と思惟だけしか認識できないということです。なので,もしあるものが完全で別のものは不完全であるということを僕たちが認識できるとしたら,あるものには延長と思惟のふたつの属性を帰すことができるけれども,別のものには延長か思惟のどちらかしか帰すことができないという場合だけです。ところが第二部定理七系が示すところによれば,神からDei形相的にformaliter生じるすべてのことが,客観的にobjectiveも生じます。したがってどんな事物にもその観念が存在することになります。ですからある延長の様態が存在するならばその様態の観念も存在します。逆にある思惟の属性を帰すことができないもの,というのは人間にとっては延長のという意味になりますが,その様態の観念が存在するならば,その観念の対象ideatumの延長の様態も存在することになります。つまり延長の属性か思惟の属性のどちらかしか帰すことができない様態というものを僕たちは認識することができません。つまり様態と様態との間でどちらが完全であるかを認識することはできないのです。
しかしこのことは第二部定理一三備考からより明白であるといえるでしょう。つまりスピノザの哲学にあっては,様態間の完全性は,何をもって精神というのかということと関係するのです。スピノザは形相的なある個体とその個体の観念は合一unioしている,すなわち同一個体であるとみなし,この観点から個体の観念の方をその個体の精神というのです。この限りにおいて,人間の身体corpusはほかの物体corpusより完全だとはいえませんし,人間の精神も人間の身体以外の観念より完全であるとはいえないのです。
僕は予期していなかったのですがモンサンカノープスの逃げになりました。2番手マークがセイスコーピオンで3番手にムサシキングオー。この後ろはブレーヴマン,ジャルディーノ,コスモカウピリの3頭の集団。発馬がやや悪かったケイアイレオーネは追い上げてその後ろ。逃げ馬ではない馬が逃げたたため最初の800mが51秒7のスローペースになったこともあり,前の10頭まではあまり差がない隊列になりました。
3コーナーを回ってセイスコーピオンがモンサンカノープスに並び掛けていくとさらに外からムサシキングオーも追い,さらに外からケイアイレオーネが追撃。直線に入るとモンサンカノープスは一杯になり,残りの3頭で壮絶な競り合い。真中のムサシキングオーはやや走りにくいところがあったかもしれませんが,途中からは完全に脱落していますから着順に影響するような不利があったというわけではないでしょう。その後も2頭の叩き合いがフィニッシュまで続きましたが,先に前に出ていたセイスコーピオンが最後まで抜かせずに優勝。ケイアイレオーネがアタマ差の2着。ムサシキングオーは2馬身差の3着。
優勝したセイスコーピオンは前走のマイルグランプリに続いて南関東重賞連勝。距離は伸びていましたが,JRAでの4勝は1800mと1900mのものでしたから,あまり不安材料ではありませんでした。スローペースは差がつきにくいのですが,同じように実力上位と目された2着馬と抜け出していますので,そのほかの馬たちとははっきりとした実力の差を示したといっていいでしょう。相手次第にはなりますが,重賞でも通用しておかしくない思われます。父はデュランダル。母は2004年のローレル賞を勝ったスコーピオンリジイ。祖母の半弟に2001年のラジオたんぱ賞を勝ったトラストファイヤー。
騎乗した船橋の森泰斗騎手はロジータ記念以来の南関東重賞制覇。第5回以来3年ぶりの勝島王冠2勝目。管理している川崎の八木正喜調教師は勝島王冠初勝利。
完全性perfectioの尺度が属性attributumである限りは,ある様態modi,modusと別の様態との間で,どちらが完全であるかは決定することができないというのがスピノザの哲学での結論になります。この場合,決定することができないというのは,人間はある様態と別の様態の完全性を比較して,一方がより完全で他方は不完全であると認識することができないという意味です。
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第二部公理五が示しているのは,僕たちが認識することができる属性は,延長の属性Extensionis attributumと思惟の属性Cogitationis attributumのふたつだけであるということです。つまり僕たちは完全性の規準としては延長と思惟だけしか認識できないということです。なので,もしあるものが完全で別のものは不完全であるということを僕たちが認識できるとしたら,あるものには延長と思惟のふたつの属性を帰すことができるけれども,別のものには延長か思惟のどちらかしか帰すことができないという場合だけです。ところが第二部定理七系が示すところによれば,神からDei形相的にformaliter生じるすべてのことが,客観的にobjectiveも生じます。したがってどんな事物にもその観念が存在することになります。ですからある延長の様態が存在するならばその様態の観念も存在します。逆にある思惟の属性を帰すことができないもの,というのは人間にとっては延長のという意味になりますが,その様態の観念が存在するならば,その観念の対象ideatumの延長の様態も存在することになります。つまり延長の属性か思惟の属性のどちらかしか帰すことができない様態というものを僕たちは認識することができません。つまり様態と様態との間でどちらが完全であるかを認識することはできないのです。
しかしこのことは第二部定理一三備考からより明白であるといえるでしょう。つまりスピノザの哲学にあっては,様態間の完全性は,何をもって精神というのかということと関係するのです。スピノザは形相的なある個体とその個体の観念は合一unioしている,すなわち同一個体であるとみなし,この観点から個体の観念の方をその個体の精神というのです。この限りにおいて,人間の身体corpusはほかの物体corpusより完全だとはいえませんし,人間の精神も人間の身体以外の観念より完全であるとはいえないのです。