昨日の第16回名古屋グランプリ。
ケイティブレイブが楽にハナへ。アムールブリエが2番手でがっちりとマーク。3番手にメイショウヒコボシ。この後ろにストロングサウザー,リワードレブロン,トゥルーカラーズ,カツゲキキトキトの4頭が一団で1周目の正面を通過。ダッシュが鈍く最後尾に置かれたモズライジンが1周目の向正面にかけて外から徐々に位置取りを上げていき,メイショウヒコボシの外まで取りつきました。その後ろの集団は徐々にばらけていき,単独の5番手にカツゲキキトキト。少し離れてトゥルーカラーズ,そしてストロングサウザーが続くという隊列に。
2周目の向正面からケイティブレイブが2番手以下を引き離していきました。一時的にリードは4馬身から5馬身くらいに。2番手のアムールブリエが1頭で3コーナー前から追い上げていき,直線の入口では2頭がほぼ並ぶ形。こうなれば追うものに強みがあり,直線ではあっさりと突き放して快勝。ケイティブレイブは3馬身差で2着。3コーナーでメイショウヒコボシを外から交わしたモズライジンのさらに外を回して追い上げたカツゲキキトキトが5馬身差で3着。
優勝したアムールブリエは前々走のブリーダーズゴールドカップ以来の勝利で重賞6勝目。第15回に続く名古屋グランプリ連覇。このレースは2着馬とマッチレースになることが濃厚。斤量が有利になっていることと距離適性に一日の長があると思われ,どちらかといえばこちらが勝つ可能性の方が高いのではないかと思っていました。着差ほどの力量差があるわけでなく,やはりこの距離でのスタミナ面で優越していたということだと思います。これで引退するようなので,思い切って仕上げることができたということもこの差に表れたのかもしれません。母はヘヴンリーロマンス。祖母がファーストアクト。半弟に先月のJBCクラシックを勝っている現役のアウォーディー。同じく半弟に3月のUAEダービーを勝っている現役のラニ。Amour Brillerはフランス語で愛の輝き。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/73/f06c4bb20f0d4ca0583be9bfc78a00f4.jpg)
騎乗したクリストフ・ルメール騎手は第6回以来10年ぶりの名古屋グランプリ2勝目。管理している松永幹夫調教師は第15回に続く連覇で名古屋グランプリ2勝目。
各々のものがなし得る力potentia,すなわち自然権jus naturale,naturale jusは,そのものの本性essentiaが異なるのと比例して異なります。これは本性というものを力という観点からみたならば実在性realitasであるということから明らかでしょう。なぜなら,各々のものの実在性という力の相違とそれらのものの本性の相違は,同一の相違だといえるからです。
第一部定理二五が示しているのは,神Deusは各々のものが存在する原因causa efficiens rerum existentiaeであるばかりでなく,各々のものの本性essentiaeの原因でもあるということです。したがって神は各々のものの実在性の原因でもあるわけです。つまり各々のものの自然権の起成原因は神であると解さなくてはなりません。ただし,自然権というのは純粋に哲学的用語であるとはいえず,政治論的な意味をもちます。神が各々のものの本性の原因であるということは,神の本性の必然性necessitasによって各々のものの本性が生じるということです。このとき,神の本性の必然性という哲学的な概念が政治論的な意味においては自然法lex naturalisといわれることになります。つまり万物に共通の自然法によって,各々のものの自然権は決定されているということです。要するに「唯一」の神の本性の必然性によって個々の異なった本性が発生するということが政治論的な文脈に置き換えられたとき,共通の自然法から個々の相違する自然権が発生するということになるのです。このゆえにスピノザは,各々のものの力というのと,各々のものの権利jusというのを,概念としてあたかも同一のものとして規定することになります。
このことから理解できるのは,もしも共通の自然法から発生する個々の自然権の間に何らかの優劣があるとするなら,やはり共通の神の本性の必然性から発生する各々のものの本性の間にもそれと同じだけの優劣がなければならないということです。フェルトホイゼンLambert van Velthuysenやフーゴー・ボクセルはそのことを肯定していて,スピノザはそれを否定していると解するのが正しいだろうと僕は考えます。そして僕の見解でいえば,フェルトホイゼンやボクセルのように主張することは,実は神にある種の不完全性を付与することに繋がるのです。だから僕はスピノザの見解の方が正しくなければならないと考えるのです。
ケイティブレイブが楽にハナへ。アムールブリエが2番手でがっちりとマーク。3番手にメイショウヒコボシ。この後ろにストロングサウザー,リワードレブロン,トゥルーカラーズ,カツゲキキトキトの4頭が一団で1周目の正面を通過。ダッシュが鈍く最後尾に置かれたモズライジンが1周目の向正面にかけて外から徐々に位置取りを上げていき,メイショウヒコボシの外まで取りつきました。その後ろの集団は徐々にばらけていき,単独の5番手にカツゲキキトキト。少し離れてトゥルーカラーズ,そしてストロングサウザーが続くという隊列に。
2周目の向正面からケイティブレイブが2番手以下を引き離していきました。一時的にリードは4馬身から5馬身くらいに。2番手のアムールブリエが1頭で3コーナー前から追い上げていき,直線の入口では2頭がほぼ並ぶ形。こうなれば追うものに強みがあり,直線ではあっさりと突き放して快勝。ケイティブレイブは3馬身差で2着。3コーナーでメイショウヒコボシを外から交わしたモズライジンのさらに外を回して追い上げたカツゲキキトキトが5馬身差で3着。
優勝したアムールブリエは前々走のブリーダーズゴールドカップ以来の勝利で重賞6勝目。第15回に続く名古屋グランプリ連覇。このレースは2着馬とマッチレースになることが濃厚。斤量が有利になっていることと距離適性に一日の長があると思われ,どちらかといえばこちらが勝つ可能性の方が高いのではないかと思っていました。着差ほどの力量差があるわけでなく,やはりこの距離でのスタミナ面で優越していたということだと思います。これで引退するようなので,思い切って仕上げることができたということもこの差に表れたのかもしれません。母はヘヴンリーロマンス。祖母がファーストアクト。半弟に先月のJBCクラシックを勝っている現役のアウォーディー。同じく半弟に3月のUAEダービーを勝っている現役のラニ。Amour Brillerはフランス語で愛の輝き。
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騎乗したクリストフ・ルメール騎手は第6回以来10年ぶりの名古屋グランプリ2勝目。管理している松永幹夫調教師は第15回に続く連覇で名古屋グランプリ2勝目。
各々のものがなし得る力potentia,すなわち自然権jus naturale,naturale jusは,そのものの本性essentiaが異なるのと比例して異なります。これは本性というものを力という観点からみたならば実在性realitasであるということから明らかでしょう。なぜなら,各々のものの実在性という力の相違とそれらのものの本性の相違は,同一の相違だといえるからです。
第一部定理二五が示しているのは,神Deusは各々のものが存在する原因causa efficiens rerum existentiaeであるばかりでなく,各々のものの本性essentiaeの原因でもあるということです。したがって神は各々のものの実在性の原因でもあるわけです。つまり各々のものの自然権の起成原因は神であると解さなくてはなりません。ただし,自然権というのは純粋に哲学的用語であるとはいえず,政治論的な意味をもちます。神が各々のものの本性の原因であるということは,神の本性の必然性necessitasによって各々のものの本性が生じるということです。このとき,神の本性の必然性という哲学的な概念が政治論的な意味においては自然法lex naturalisといわれることになります。つまり万物に共通の自然法によって,各々のものの自然権は決定されているということです。要するに「唯一」の神の本性の必然性によって個々の異なった本性が発生するということが政治論的な文脈に置き換えられたとき,共通の自然法から個々の相違する自然権が発生するということになるのです。このゆえにスピノザは,各々のものの力というのと,各々のものの権利jusというのを,概念としてあたかも同一のものとして規定することになります。
このことから理解できるのは,もしも共通の自然法から発生する個々の自然権の間に何らかの優劣があるとするなら,やはり共通の神の本性の必然性から発生する各々のものの本性の間にもそれと同じだけの優劣がなければならないということです。フェルトホイゼンLambert van Velthuysenやフーゴー・ボクセルはそのことを肯定していて,スピノザはそれを否定していると解するのが正しいだろうと僕は考えます。そして僕の見解でいえば,フェルトホイゼンやボクセルのように主張することは,実は神にある種の不完全性を付与することに繋がるのです。だから僕はスピノザの見解の方が正しくなければならないと考えるのです。