スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産省賞典中山大障害&難易度と原因

2016-12-23 19:37:33 | 中央競馬
 第139回中山大障害。マキオボーラーが右肩の跛行のため出走取消で11頭。
 逃げたのはドリームセーリングでこれは予想通り。概ね1馬身から3馬身の間隔でずっとレースをリードすることに。2番手にはアップトゥデイト。この後ろは3馬身から5馬身ほどの間隔でオジュウチョウサンが単独の3番手。この後ろは3馬身くらいでトーセンハナミズキ,クリノダイコクテン,ルペールノエルの3頭が順位を入れ替えながら集団で追走。
 2度目の大障害コースの辺りからトーセンハナミズキは後退し,残る5頭は道中と同程度の間隔で追走。大障害コースを終えて向正面に入るところでアップトゥデイトがドリームセーリングに並び,先頭は2頭で併走。向正面中間ではドリームセーリングが一杯になり,アップトゥデイトが単独の先頭に。満を持して追ってきたのがオジュウチョウサンで3コーナーでは追いつきここから2頭で併走。コーナーでは3番手に上がってきたルペールノエルに大きな差をつけ,優勝争いは2頭。ただ直線入口では前の2頭にも手応えの差があり過ぎ,直線ではオジュウチョウサンが楽に抜け出して快勝。一杯になりながらもアップトゥデイトが9馬身差の2着。直線では差は詰めたもののルペールノエルは5馬身差の3着。
 優勝したオジュウチョウサンは春の中山グランドジャンプに続いて今年の障害の大レースを連勝。その後,東京ジャンプステークスと東京ハイジャンプも勝っているので,今年は東京の障害重賞も連勝。これは特筆すべき成績。時代的に走っている馬のレベル差が大きくなるのが障害競走の特徴ではありますが,障害馬としては史上に残る馬ではないかと思います。父はステイゴールド。母の父はシンボリクリスエス。全兄に2013年のラジオNIKKEI賞を勝っている現役のケイアイチョウサン
 騎乗した石神深一騎手と管理している和田正一郎調教師は共に大レース2勝目。

 スピノザがそのことについて確たる見解を表明しているとはいえないので,これは僕の見解になりますが,実体substantiaを創造しまた維持することと,実体の特質proprietas,ここではそれを実体の変状affectioすなわち様態modi,modusと解しますので,様態の創造と維持といいますが,その間でどちらが困難でありどちらが容易であるかを決定することはできません。ただしそれは,ある様態と別の様態の間でその創造と維持に関してどちらが困難でどちらが容易であるかを決定できないというのとはやや意味合いが違います。様態間でいえば,本性natura,essentiaが異なるものの間では難易度を比較することが不可能なので決定できないという意味合いが強いのですが,実体と実体の変状の間ではそうではありません。むしろそこには難易度の差異はないということだけがあるのです。
 本来的にいえば難易度は,困難であることと容易であることが明瞭判然と区別されることによって識別されます。他面からいえばそれによって難易度という尺度が存在し得ます。したがって難易度の差異はないというのは,実際には難易度は存在しないという意味です。いい換えれば,どちらも同じ程度に困難であるということもできるし,どちらも同じ程度に容易であるということもできるという意味です。よって難易度の差がない場合に難易度について言及することは事実上は意味がありません。僕はそのことを理解した上で言及していると理解してください。
                                     
 スピノザは,どんなものも絶対的に困難であるとはいえないし,絶対的に容易であるともいえないといっていました。その理由は,何かについて一方が困難で他方が容易であるといえるのは,原因と関連してであり,したがって原因が異なってしまえば,同じ事柄が同じ場合に困難であるともいえるし容易であるともいえるからでした。具体例でいえば網を張ることは蜘蛛が原因になった場合には容易だけれど人間が原因とされる場合には困難となるのです。つまり網を張るという事柄自体のうちには,困難であることも容易であることも,それ自体の性質としては含まれていないのです。
 しかし,原因が対象とされるなら,困難であるとか容易であるとかは決定できる筈です。
コメント
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