大井競馬場の1800mで争われた第7回JBCレディスクラシック。
プリンシアコメータがすっとハナへ。2番手にプリンセスバリュー,3番手にララベル。この後ろはワンミリオンス,ホワイトフーガ,キンショーユキヒメの3頭が併走でここまでが先団。1馬身半ほどの差でティルヴィング,ファイトユアソング,アンジュデジールの3頭。また差が開いてシルキークィーンとタガノヴェローナ。この後ろにラインハート。この後ろは大きく開いてタッチスプリント。スパンコールとディアマルコが最後尾に。最初の800mは50秒5のミドルペース。
3コーナーを回ると前2頭の外からララベルが進出し,プリンシアコメータ,プリンセスバリュー,ララベルが一時的に雁行。ここからプリンセスバリューが脱落し2頭の競り合い。逃げたプリンシアコメータは手応えに余裕があるように見え,直線もララベルに迫られてから追い出すような形で,一時的にまた差を広げたのですが,ララベルが最後まで食い下がってフィニッシュに向けて激しい競り合い。最後は外のララベルが競り落として優勝。アタマ差の2着にプリンシアコメータ。馬群を縫うように進出して最後は大外から伸びたラインハートが4分の3馬身差まで迫って3着。

優勝したララベルは昨年のしらさぎ賞以来の勝利。重賞は初勝利での大レース制覇。このレースはホワイトフーガとワンミリオンスの2頭が能力上位でしたが,前者が距離と折り合い,後者がローテーションと,はっきりとした課題を抱えていましたので,それを克服できないようなら,重賞で幾度となく好走しているこの馬の出番ではないかと考えていました。直前になって回避となってしまったクイーンマンボがこの路線ではトップで,その牙城を崩すのは難しいかと思いますが,大きく崩れるようなケースは今後もないものと思います。父はゴールドアリュール。7代母がディープディーンの3代母に当たる同一牝系。馬名は少女漫画の主人公かと思われます。
騎乗した大井の真島大輔騎手はデビューから約16年で重賞初勝利。管理している大井の荒山勝徳調教師は開業から約10年3ヶ月で重賞初勝利。
すでにみたように,神Deusが自由な決意によってすべてを創造すると仮定した場合には,神は自身が何を決意し何を決意しないのかを前もって知っていなければなりません。知らないとしたらそれは自由な決意とはいえないですし,またそれを知らないとすれば神が全能者であるということが否定されてしまいます。ウェルテルは全能者を神の代名詞としているのですから,神は自身の決意を,実際にその決意が実行されてそれによって何事かが生じる前に知っていなければならないのです。
しかるに,何事かに対する決意だけを知っていてその何事かの観念ideaを知らないということはあり得ません。スピノザの哲学でいえば第二部公理三の意味により,思惟の様態cogitandi modiのうち第一のものが観念なのでこれは当然です。また,この決意は意志voluntasと解せるのですから,第二部定理四九からも同じように当然であるといわなければなりません。しかしこのことは,これらのことを除外しても成立しなければなりません。おそらくウェルテルは,どちらも認めてはいない上で全能者を神の代名詞として用いていると思われますので,スピノザの哲学の範囲の外で考察する方がこの場合には重要です。
たとえば神の自由な決意によってAが存在するようになると仮定してみます。この場合,Aを存在するように決意することは原因で,Aが存在することは結果です。このとき,Aの観念なしにAが存在するように決意することは不可能です。もしAの観念なしに何らかの存在への決意があるとしたら,その結果として存在するのはAであるかもしれませんがBになるかもしれないからです。これでみれば分かるように,Aが存在するように決意するからBでもCでもなくAが存在するようになり,そのためにはAの観念がAの存在以前に神のうちには不可欠であることになります。
このような決意というのが神の本性essentiaに属するとしたら,他面からいえばそれが神は全能であるということの意味であるとしたら,神が決意する対象の観念もまた神の本性に属し,神が全能であるということの意味を構成しなければなりません。つまり神の知性intellectusは思惟の様態ではなく神の本性でなければならないのです。
プリンシアコメータがすっとハナへ。2番手にプリンセスバリュー,3番手にララベル。この後ろはワンミリオンス,ホワイトフーガ,キンショーユキヒメの3頭が併走でここまでが先団。1馬身半ほどの差でティルヴィング,ファイトユアソング,アンジュデジールの3頭。また差が開いてシルキークィーンとタガノヴェローナ。この後ろにラインハート。この後ろは大きく開いてタッチスプリント。スパンコールとディアマルコが最後尾に。最初の800mは50秒5のミドルペース。
3コーナーを回ると前2頭の外からララベルが進出し,プリンシアコメータ,プリンセスバリュー,ララベルが一時的に雁行。ここからプリンセスバリューが脱落し2頭の競り合い。逃げたプリンシアコメータは手応えに余裕があるように見え,直線もララベルに迫られてから追い出すような形で,一時的にまた差を広げたのですが,ララベルが最後まで食い下がってフィニッシュに向けて激しい競り合い。最後は外のララベルが競り落として優勝。アタマ差の2着にプリンシアコメータ。馬群を縫うように進出して最後は大外から伸びたラインハートが4分の3馬身差まで迫って3着。

優勝したララベルは昨年のしらさぎ賞以来の勝利。重賞は初勝利での大レース制覇。このレースはホワイトフーガとワンミリオンスの2頭が能力上位でしたが,前者が距離と折り合い,後者がローテーションと,はっきりとした課題を抱えていましたので,それを克服できないようなら,重賞で幾度となく好走しているこの馬の出番ではないかと考えていました。直前になって回避となってしまったクイーンマンボがこの路線ではトップで,その牙城を崩すのは難しいかと思いますが,大きく崩れるようなケースは今後もないものと思います。父はゴールドアリュール。7代母がディープディーンの3代母に当たる同一牝系。馬名は少女漫画の主人公かと思われます。
騎乗した大井の真島大輔騎手はデビューから約16年で重賞初勝利。管理している大井の荒山勝徳調教師は開業から約10年3ヶ月で重賞初勝利。
すでにみたように,神Deusが自由な決意によってすべてを創造すると仮定した場合には,神は自身が何を決意し何を決意しないのかを前もって知っていなければなりません。知らないとしたらそれは自由な決意とはいえないですし,またそれを知らないとすれば神が全能者であるということが否定されてしまいます。ウェルテルは全能者を神の代名詞としているのですから,神は自身の決意を,実際にその決意が実行されてそれによって何事かが生じる前に知っていなければならないのです。
しかるに,何事かに対する決意だけを知っていてその何事かの観念ideaを知らないということはあり得ません。スピノザの哲学でいえば第二部公理三の意味により,思惟の様態cogitandi modiのうち第一のものが観念なのでこれは当然です。また,この決意は意志voluntasと解せるのですから,第二部定理四九からも同じように当然であるといわなければなりません。しかしこのことは,これらのことを除外しても成立しなければなりません。おそらくウェルテルは,どちらも認めてはいない上で全能者を神の代名詞として用いていると思われますので,スピノザの哲学の範囲の外で考察する方がこの場合には重要です。
たとえば神の自由な決意によってAが存在するようになると仮定してみます。この場合,Aを存在するように決意することは原因で,Aが存在することは結果です。このとき,Aの観念なしにAが存在するように決意することは不可能です。もしAの観念なしに何らかの存在への決意があるとしたら,その結果として存在するのはAであるかもしれませんがBになるかもしれないからです。これでみれば分かるように,Aが存在するように決意するからBでもCでもなくAが存在するようになり,そのためにはAの観念がAの存在以前に神のうちには不可欠であることになります。
このような決意というのが神の本性essentiaに属するとしたら,他面からいえばそれが神は全能であるということの意味であるとしたら,神が決意する対象の観念もまた神の本性に属し,神が全能であるということの意味を構成しなければなりません。つまり神の知性intellectusは思惟の様態ではなく神の本性でなければならないのです。