第42回エリザベス女王杯。
一旦はクロコスミアが前に出ましたが内から押して追い上げてきたクインズミラーグロが交わしてこちらの逃げに。クロコスミアが控えて2番手。1コーナーを回ってこの後ろは5馬身ほど離れてマキシマムドパリ。4番手にヴィブロスでこの後ろはモズカッチャンと発馬は最もよかったスマートレイアー。2頭の後ろはトーセンビクトリー,デンコウアンジュ,エテルナミノルの3頭。その後ろがクイーンズリングとジュールポレール。その後ろにリスグラシューとミッキークイーンでさらにルージュバック。そしてタッチングスピーチとハッピーユニバンスまで,3番手からは集団。3馬身ほど離れてディアドラ。また3馬身ほどあってウキヨノカゼが最後尾を追走。前半の1000mは62秒0の超スローペース。
ミッキークイーンだけはコーナーで外から捲るように動きましたが,元の位置が後ろでしたからここでは前までは追いつかず,ほかに目立った動きをする馬がなかったので前の位置関係はほとんど変化がないまま直線に。逃げたクインズミラーグロは一杯で交わしたクロコスミアが直線に入るとすぐに先頭に。直後にいたマキシマムドパリは外から追い掛けましたが追いつくことができず,この2頭の間を割ったモズカッチャンと大外から追い込んだミッキークイーンの2頭だけがクロコスミアを追う形に。モズカッチャンがクロコスミアを捕えて優勝。クロコスミアがクビ差の2着でいい脚を長く使ったミッキークイーンはアタマ差の3着まで。
優勝したモズカッチャンはフローラステークス以来の勝利で大レース初制覇。ただオークスが2着で秋華賞も3着でしたから,3歳牝馬の中ではトップクラスの実力。ですから古馬との力関係次第で勝機があるとみられた1頭。このレースはペースや位置取りが結果に及ぼした影響が相対的に高く,僕は内容的に最も強かったのはミッキークイーンであったように思えました。斤量差もあったのでなおのことそこまでの力量があるとは断定できない要素はあるのですが,少なくともそれに近い能力を有した馬であるということは間違いないでしょう。距離は長い方がいいのではないかと思えます。母の父はキングカメハメハ。祖母の半姉に1999年にユニコーンステークスとシリウスステークス,2000年にかきつばた記念とプロキオンステークスと南部杯を勝ったゴールドティアラ。

騎乗したミルコ・デムーロ騎手は菊花賞に続いての大レース制覇。第41回からの連覇でエリザベス女王杯2勝目。管理している鮫島一歩調教師は開業から17年8ヶ月で大レース初勝利。
人格の排除を神Deusに対してなさなければならないということは,普通は精神的な側面における意味合いが強いです。たとえばデカルトの哲学において,物体的実体substantia corporeaは神とは異なった実体ですが,思惟的実体は神そのものです。したがって人間が神に似ているとすれば,人間の身体corpusが似ているのではなくて人間の精神mens humanaが似ていることになります。デカルトは必ずしも人間の精神的属性が神のうちに優越的にeminenter含まれていると主張するわけではありませんが,このような考え方が,フーゴー・ボクセルHugo Boxelのように,神のうちに人間的属性,とくに人間の精神的属性が優越的に含まれているとみなす見解opinioに親和的であるのは明白でしょう。しかし神を人間のようなもの,人間の精神のようなものとみなしてはならないのであって,この観点において人格の排除が強く主張されるようになるのです。
しかし,ウェルテルが暗黙裡に前提しているような,人間の身体的属性が神のうちに優越的に含まれているという見方も,スピノザは否定します。したがって人格の排除というのは,単に神に人間の精神のような性質を付与してはならないということだけ意味するのではなく,人間の身体的属性を付与してもならないということを同時に意味するのです。これはスピノザがボクセルに宛てた書簡五十六の中で,三角形に話す能力potentiaがあったなら,三角形は神は優越的に三角であるというだろうと書いていることから明らかだと思います。ここでスピノザが三角形の精神を想定して,三角形の精神が優越的に神のうちに含まれていると主張するだろうといっているわけではないと僕は思うからです。むしろスピノザはそこで,図形としての三角形が神のうちに優越的に含まれていると三角形は言うだろうといいたいのだと思います。したがって人間の身体が神のうちに優越的に含まれるということも,スピノザは明確に否定していると解さなければなりません。
ボクセルのような見解もウェルテルのような見解も,人間が有する見解なのです。自分が人間だから人間的属性が神のうちに優越的に含まれていると思い込んでしまうのです。なのでこの部分でも,ウェルテルはスピノザの哲学に反しています。
一旦はクロコスミアが前に出ましたが内から押して追い上げてきたクインズミラーグロが交わしてこちらの逃げに。クロコスミアが控えて2番手。1コーナーを回ってこの後ろは5馬身ほど離れてマキシマムドパリ。4番手にヴィブロスでこの後ろはモズカッチャンと発馬は最もよかったスマートレイアー。2頭の後ろはトーセンビクトリー,デンコウアンジュ,エテルナミノルの3頭。その後ろがクイーンズリングとジュールポレール。その後ろにリスグラシューとミッキークイーンでさらにルージュバック。そしてタッチングスピーチとハッピーユニバンスまで,3番手からは集団。3馬身ほど離れてディアドラ。また3馬身ほどあってウキヨノカゼが最後尾を追走。前半の1000mは62秒0の超スローペース。
ミッキークイーンだけはコーナーで外から捲るように動きましたが,元の位置が後ろでしたからここでは前までは追いつかず,ほかに目立った動きをする馬がなかったので前の位置関係はほとんど変化がないまま直線に。逃げたクインズミラーグロは一杯で交わしたクロコスミアが直線に入るとすぐに先頭に。直後にいたマキシマムドパリは外から追い掛けましたが追いつくことができず,この2頭の間を割ったモズカッチャンと大外から追い込んだミッキークイーンの2頭だけがクロコスミアを追う形に。モズカッチャンがクロコスミアを捕えて優勝。クロコスミアがクビ差の2着でいい脚を長く使ったミッキークイーンはアタマ差の3着まで。
優勝したモズカッチャンはフローラステークス以来の勝利で大レース初制覇。ただオークスが2着で秋華賞も3着でしたから,3歳牝馬の中ではトップクラスの実力。ですから古馬との力関係次第で勝機があるとみられた1頭。このレースはペースや位置取りが結果に及ぼした影響が相対的に高く,僕は内容的に最も強かったのはミッキークイーンであったように思えました。斤量差もあったのでなおのことそこまでの力量があるとは断定できない要素はあるのですが,少なくともそれに近い能力を有した馬であるということは間違いないでしょう。距離は長い方がいいのではないかと思えます。母の父はキングカメハメハ。祖母の半姉に1999年にユニコーンステークスとシリウスステークス,2000年にかきつばた記念とプロキオンステークスと南部杯を勝ったゴールドティアラ。

騎乗したミルコ・デムーロ騎手は菊花賞に続いての大レース制覇。第41回からの連覇でエリザベス女王杯2勝目。管理している鮫島一歩調教師は開業から17年8ヶ月で大レース初勝利。
人格の排除を神Deusに対してなさなければならないということは,普通は精神的な側面における意味合いが強いです。たとえばデカルトの哲学において,物体的実体substantia corporeaは神とは異なった実体ですが,思惟的実体は神そのものです。したがって人間が神に似ているとすれば,人間の身体corpusが似ているのではなくて人間の精神mens humanaが似ていることになります。デカルトは必ずしも人間の精神的属性が神のうちに優越的にeminenter含まれていると主張するわけではありませんが,このような考え方が,フーゴー・ボクセルHugo Boxelのように,神のうちに人間的属性,とくに人間の精神的属性が優越的に含まれているとみなす見解opinioに親和的であるのは明白でしょう。しかし神を人間のようなもの,人間の精神のようなものとみなしてはならないのであって,この観点において人格の排除が強く主張されるようになるのです。
しかし,ウェルテルが暗黙裡に前提しているような,人間の身体的属性が神のうちに優越的に含まれているという見方も,スピノザは否定します。したがって人格の排除というのは,単に神に人間の精神のような性質を付与してはならないということだけ意味するのではなく,人間の身体的属性を付与してもならないということを同時に意味するのです。これはスピノザがボクセルに宛てた書簡五十六の中で,三角形に話す能力potentiaがあったなら,三角形は神は優越的に三角であるというだろうと書いていることから明らかだと思います。ここでスピノザが三角形の精神を想定して,三角形の精神が優越的に神のうちに含まれていると主張するだろうといっているわけではないと僕は思うからです。むしろスピノザはそこで,図形としての三角形が神のうちに優越的に含まれていると三角形は言うだろうといいたいのだと思います。したがって人間の身体が神のうちに優越的に含まれるということも,スピノザは明確に否定していると解さなければなりません。
ボクセルのような見解もウェルテルのような見解も,人間が有する見解なのです。自分が人間だから人間的属性が神のうちに優越的に含まれていると思い込んでしまうのです。なのでこの部分でも,ウェルテルはスピノザの哲学に反しています。