先月の菊花賞を勝ったキセキの父は,キセキと同じように角居勝彦調教師が管理していたルーラーシップです。Rulershipは統治者の位。

父がキングカメハメハで母はエアグルーヴ。パロクサイド系シャダイフェザーの分枝です。
2歳の暮れに新馬戦を勝利。1月のオープン2着を挟んで3月に条件戦で2勝目。毎日杯はダノンシャンティの5着に敗れましたがプリンシパルステークスを勝ってダービーへ。ここは5着でした。
この後,休養があって復帰は12月。鳴尾記念で重賞初勝利。有馬記念に出走するもヴィクトワールピサの6着。
年が明けて日経新春杯で重賞2勝目。ドバイに遠征して出走したドバイシーマクラシックは6着。帰国して金鯱賞で重賞3勝目。宝塚記念は5着でした。
また休養に入り復帰は有馬記念。さすがに人気はありませんでしたが4着と力のあるところはみせてくれました。
5歳初戦となったアメリカジョッキークラブカップで重賞4勝目。日経賞で3着になった後,香港に遠征してクイーンエリザベスⅡ世カップで大レース制覇を達成しました。帰国して出走した宝塚記念は2着。
秋は天皇賞,ジャパンカップ,有馬記念と出走していずれも3着。これで現役を引退しました。
競走生活の中盤あたりから,ひどく出遅れるケースが目立つようになりました。日本で大レースを勝つことができなかったのは,それが大きく影響したといえるでしょう。
大レースは香港での1勝だけですが,血統が血統だけに種牡馬としての期待は大きいです。キセキの菊花賞は産駒の初の大レース勝ちであると同時に初の重賞制覇でもありました。大レースの勝ち馬が輩出するというのは偉大なことではありますが,僕としては現状はやや物足りなさも感じています。
ゲーテJohann Wolfgang von Goetheのいう原型がスピノザの形而上学の実体substantiaに該当するのであれば,メタモルフォーゼは様態modiすなわち実体の変状substantiae affectioに該当することになります。そもそも変状というのとメタモルフォーゼというのとは,語のニュアンスとして似通ったところがありますから,単にその点だけを考慮したとしても,このような類比的関係を想定するのに無理があるとはいえないことになろうかと思います。
したがって,原型というのは,植物学に限定するなら原植物あるいは象徴的植物ということであり,これが前には第三種の認識cognitio tertii generisで認識された植物一般の本性essentiaという形式でスピノザの哲学との関連性を指摘し得たわけですが,この部分では,原型とは,同様に植物学に限定する限りでは,いわば植物実体という実体としてスピノザの哲学に関連し,なおかつメタモルフォーゼというのはその植物実体が変状した個々の植物であるというような形式で,スピノザの哲学と関連しているという仕方で関連性を指摘できるようになっているのです。
ただし,僕はここでも次のことはいっておきます。ゲーテはシラーJohann Christoph Friedrich von Schillerとの会話の中で,象徴的植物をスケッチしてみせたのでした。僕はそのとき,精神の眼によって認識される対象を絵として,いい換えれば形状があるものとして描くことができるということについては懐疑的であるといいました。それと同じように,仮にゲーテが植物実体なるものを仮構したとした場合でも,実体なるものをスケッチし得るということについては僕は同様に懐疑的です。端的にいうと,物体corpusというのは形状があるものなのでスケッチすることができるということを僕は認めますが,だからといって物体的実体substantia corporeaなるものをスケッチすることが可能であるとは僕は考えません。これと同じようなことが植物に限定した場合でも成立しなければならないのであって,おおよそ実体として認識されるものをスケッチするということに関して,僕はすべからく懐疑的であるということです。
それから,この類比に関してはいくつかの注意が必要です。まず第一に,ゲーテが自然Naturaは原型とメタモルフォーゼという内的法則によって無限に多くのinfinitaものを産出するといっている点です。

父がキングカメハメハで母はエアグルーヴ。パロクサイド系シャダイフェザーの分枝です。
2歳の暮れに新馬戦を勝利。1月のオープン2着を挟んで3月に条件戦で2勝目。毎日杯はダノンシャンティの5着に敗れましたがプリンシパルステークスを勝ってダービーへ。ここは5着でした。
この後,休養があって復帰は12月。鳴尾記念で重賞初勝利。有馬記念に出走するもヴィクトワールピサの6着。
年が明けて日経新春杯で重賞2勝目。ドバイに遠征して出走したドバイシーマクラシックは6着。帰国して金鯱賞で重賞3勝目。宝塚記念は5着でした。
また休養に入り復帰は有馬記念。さすがに人気はありませんでしたが4着と力のあるところはみせてくれました。
5歳初戦となったアメリカジョッキークラブカップで重賞4勝目。日経賞で3着になった後,香港に遠征してクイーンエリザベスⅡ世カップで大レース制覇を達成しました。帰国して出走した宝塚記念は2着。
秋は天皇賞,ジャパンカップ,有馬記念と出走していずれも3着。これで現役を引退しました。
競走生活の中盤あたりから,ひどく出遅れるケースが目立つようになりました。日本で大レースを勝つことができなかったのは,それが大きく影響したといえるでしょう。
大レースは香港での1勝だけですが,血統が血統だけに種牡馬としての期待は大きいです。キセキの菊花賞は産駒の初の大レース勝ちであると同時に初の重賞制覇でもありました。大レースの勝ち馬が輩出するというのは偉大なことではありますが,僕としては現状はやや物足りなさも感じています。
ゲーテJohann Wolfgang von Goetheのいう原型がスピノザの形而上学の実体substantiaに該当するのであれば,メタモルフォーゼは様態modiすなわち実体の変状substantiae affectioに該当することになります。そもそも変状というのとメタモルフォーゼというのとは,語のニュアンスとして似通ったところがありますから,単にその点だけを考慮したとしても,このような類比的関係を想定するのに無理があるとはいえないことになろうかと思います。
したがって,原型というのは,植物学に限定するなら原植物あるいは象徴的植物ということであり,これが前には第三種の認識cognitio tertii generisで認識された植物一般の本性essentiaという形式でスピノザの哲学との関連性を指摘し得たわけですが,この部分では,原型とは,同様に植物学に限定する限りでは,いわば植物実体という実体としてスピノザの哲学に関連し,なおかつメタモルフォーゼというのはその植物実体が変状した個々の植物であるというような形式で,スピノザの哲学と関連しているという仕方で関連性を指摘できるようになっているのです。
ただし,僕はここでも次のことはいっておきます。ゲーテはシラーJohann Christoph Friedrich von Schillerとの会話の中で,象徴的植物をスケッチしてみせたのでした。僕はそのとき,精神の眼によって認識される対象を絵として,いい換えれば形状があるものとして描くことができるということについては懐疑的であるといいました。それと同じように,仮にゲーテが植物実体なるものを仮構したとした場合でも,実体なるものをスケッチし得るということについては僕は同様に懐疑的です。端的にいうと,物体corpusというのは形状があるものなのでスケッチすることができるということを僕は認めますが,だからといって物体的実体substantia corporeaなるものをスケッチすることが可能であるとは僕は考えません。これと同じようなことが植物に限定した場合でも成立しなければならないのであって,おおよそ実体として認識されるものをスケッチするということに関して,僕はすべからく懐疑的であるということです。
それから,この類比に関してはいくつかの注意が必要です。まず第一に,ゲーテが自然Naturaは原型とメタモルフォーゼという内的法則によって無限に多くのinfinitaものを産出するといっている点です。