大井競馬場の1200mで行われた昨日の第20回JBCスプリント。
ブルドッグボスはダッシュがつかず3馬身の不利。まずヒロシゲゴールドが先頭に立ち,2番手にモズスーパーフレアで3番手にノブワイルド。その後ろにマテラスカイ,ベストマッチョ,クルセイズスピリツの3頭。7番手にキャンドルグラスでその後ろのジャスティンとミスターメロディまでは集団。2馬身差でサブノジュニア。さらにトロヴァオ。シャインヴィットゥとコパノキッキング。サクセスエナジーとブルドッグボス。4馬身差の最後尾にメイショウアイアン。前半の600mは33秒4の超ハイペース。
3コーナーに入る前にモズスーパーフレアが先手を奪い,ヒロシゲゴールドは後退。モズスーパーフレアはコーナーから後ろを離していき,直線の入口では3馬身くらいのリード。ここからマテラスカイが追い上げてきて,一杯になったモズスーパーフレアを差して一旦は先頭。これに襲いかかかったのが馬群を捌いて伸びてきたサブノジュニア。サブノジュニアが追ってきた時点で脚色の差が歴然としていて,あっさりとマテラスカイを差したサブノジュニアが抜け出して快勝。マテラスカイが1馬身4分の3差で2着。致命的な不利がありながら大外からよく追い込んだブルドッグボスが4分の3馬身差の3着に届き,途中から逃げたモズスーパーフレアはクビ差で4着。
優勝したサブノジュニアはアフター5スター賞以来の勝利。重賞初制覇を大レースで飾りました。この馬は大井の1200mできわめて安定して走っていた馬。今年に入ってジャスティンとは2戦して2敗でしたが,ここは先行意欲の高そうな馬が多い上にジャスティンが外目の枠を引きましたので,逆転の可能性もあり得るとみていました。勝つためには持ち時計を詰めなければならないと思われましたが,これまで以上のタイムでも走ることができる能力を有していたということでしょう。純粋なスプリント能力だけいえば2着馬が最上位なのですから,馬連で万馬券になったほどの波乱の決着ではなかったと思います。父は第3回を制したサウスヴィグラスで父仔制覇。祖母の母はフジキセキ。ひとつ上の半兄に2017年に東京記念を勝っている現役のサブノクロヒョウ。
騎乗した大井の矢野貴之騎手はマリーンカップ以来の重賞2勝目で大レース初制覇。管理している堀千亜樹調教師もマリーンカップ以来の重賞2勝目で大レース初制覇。
この日に妹の新しい受給者証が郵送されてきました。
1月23日,木曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。この日は前日に郵送された受給者証は持参しませんでした。というのは受給者証はグループホームに預けるものなので,もし地域担当支援主任のSさんと会えるのなら渡すのですが,僕がSさんと会うとすれば妹を送っていく日の朝であって,迎えに行く日には会えないということが分かっていたからです。地域担当支援主任は,グループホームの利用者の,グループホームから通所施設への送迎の際には付き添うことになっています。僕が妹を送っていく時間帯にはもうすでに利用者が通所施設に到着している場合がほとんどなので,Sさんと会う場合があります。しかし僕が迎えに行くときにはすでに利用者はグループホームに向って出発した後なので,Sさんと会うことはないのです。
1月24日,金曜日。妹を本牧脳神経外科に連れて行きました。この通院があったので,この週は木曜日に妹を迎えに行ったのです。この日は診察をしただけでした。
1月25日,土曜日。午前8時に福江島の叔父から電話がありました。従妹が前日に死んだとのことでした。すでに説明したように,僕は7日の電話で,従妹が聖路加国際病院から聖マリアンナ医科大病院に転院したということは知らされていましたが,その転院先が緩和病棟であったということはこの後に知ったことです。そのときの電話では余命が半年くらいと叔父に伝えられていましたので,この電話のときには,急なことのように感じられました。叔父がこのときに彼女の容態をどの程度まで知らされていたのかは僕には分かりませんが,叔父自身にとっても急なことであったのには変わりなかったようです。また僕の家に宿泊させてほしいとのことでしたので,了承しました。この日の飛行機のチケットが取れましたので,叔父はこの日のうちにこちらに来て,夜の10時20分に僕の家に到着しました。
1月27日,月曜日。妹を通所施設に送りました。従姉の通夜と葬儀はH伯母のようにはすぐには行われず,通夜が28日で葬儀が29日でしたので,妹はどちらにも参列しませんでした。
ブルドッグボスはダッシュがつかず3馬身の不利。まずヒロシゲゴールドが先頭に立ち,2番手にモズスーパーフレアで3番手にノブワイルド。その後ろにマテラスカイ,ベストマッチョ,クルセイズスピリツの3頭。7番手にキャンドルグラスでその後ろのジャスティンとミスターメロディまでは集団。2馬身差でサブノジュニア。さらにトロヴァオ。シャインヴィットゥとコパノキッキング。サクセスエナジーとブルドッグボス。4馬身差の最後尾にメイショウアイアン。前半の600mは33秒4の超ハイペース。
3コーナーに入る前にモズスーパーフレアが先手を奪い,ヒロシゲゴールドは後退。モズスーパーフレアはコーナーから後ろを離していき,直線の入口では3馬身くらいのリード。ここからマテラスカイが追い上げてきて,一杯になったモズスーパーフレアを差して一旦は先頭。これに襲いかかかったのが馬群を捌いて伸びてきたサブノジュニア。サブノジュニアが追ってきた時点で脚色の差が歴然としていて,あっさりとマテラスカイを差したサブノジュニアが抜け出して快勝。マテラスカイが1馬身4分の3差で2着。致命的な不利がありながら大外からよく追い込んだブルドッグボスが4分の3馬身差の3着に届き,途中から逃げたモズスーパーフレアはクビ差で4着。
優勝したサブノジュニアはアフター5スター賞以来の勝利。重賞初制覇を大レースで飾りました。この馬は大井の1200mできわめて安定して走っていた馬。今年に入ってジャスティンとは2戦して2敗でしたが,ここは先行意欲の高そうな馬が多い上にジャスティンが外目の枠を引きましたので,逆転の可能性もあり得るとみていました。勝つためには持ち時計を詰めなければならないと思われましたが,これまで以上のタイムでも走ることができる能力を有していたということでしょう。純粋なスプリント能力だけいえば2着馬が最上位なのですから,馬連で万馬券になったほどの波乱の決着ではなかったと思います。父は第3回を制したサウスヴィグラスで父仔制覇。祖母の母はフジキセキ。ひとつ上の半兄に2017年に東京記念を勝っている現役のサブノクロヒョウ。
騎乗した大井の矢野貴之騎手はマリーンカップ以来の重賞2勝目で大レース初制覇。管理している堀千亜樹調教師もマリーンカップ以来の重賞2勝目で大レース初制覇。
この日に妹の新しい受給者証が郵送されてきました。
1月23日,木曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。この日は前日に郵送された受給者証は持参しませんでした。というのは受給者証はグループホームに預けるものなので,もし地域担当支援主任のSさんと会えるのなら渡すのですが,僕がSさんと会うとすれば妹を送っていく日の朝であって,迎えに行く日には会えないということが分かっていたからです。地域担当支援主任は,グループホームの利用者の,グループホームから通所施設への送迎の際には付き添うことになっています。僕が妹を送っていく時間帯にはもうすでに利用者が通所施設に到着している場合がほとんどなので,Sさんと会う場合があります。しかし僕が迎えに行くときにはすでに利用者はグループホームに向って出発した後なので,Sさんと会うことはないのです。
1月24日,金曜日。妹を本牧脳神経外科に連れて行きました。この通院があったので,この週は木曜日に妹を迎えに行ったのです。この日は診察をしただけでした。
1月25日,土曜日。午前8時に福江島の叔父から電話がありました。従妹が前日に死んだとのことでした。すでに説明したように,僕は7日の電話で,従妹が聖路加国際病院から聖マリアンナ医科大病院に転院したということは知らされていましたが,その転院先が緩和病棟であったということはこの後に知ったことです。そのときの電話では余命が半年くらいと叔父に伝えられていましたので,この電話のときには,急なことのように感じられました。叔父がこのときに彼女の容態をどの程度まで知らされていたのかは僕には分かりませんが,叔父自身にとっても急なことであったのには変わりなかったようです。また僕の家に宿泊させてほしいとのことでしたので,了承しました。この日の飛行機のチケットが取れましたので,叔父はこの日のうちにこちらに来て,夜の10時20分に僕の家に到着しました。
1月27日,月曜日。妹を通所施設に送りました。従姉の通夜と葬儀はH伯母のようにはすぐには行われず,通夜が28日で葬儀が29日でしたので,妹はどちらにも参列しませんでした。