スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

シュリリー&給与の受け取り

2020-11-17 19:16:15 | 血統
 キョウエイマーチの輸入基礎繁殖牝馬は,キョウエイマーチの7代母にあたる,1925年にオーストラリアで産まれたシュリリーという馬です。ファミリーナンバー7-d
                                       
 戦前に輸入された馬ですから,僕の競馬キャリアが始まる前にも,多くの大レースの勝ち馬が出ています。その中に,牝系の発展に寄与した牝馬がいます。1953年に天皇賞(秋)を勝ったクインナルビーがその馬。キョウエイマーチもこのクインナルビーの子孫にあたります。ほかにクインナルビーの子孫からは,僕の競馬キャリアの直前になる,1984年と1985年にJRA賞の最優秀ダート馬に選出されたアンドレアモンがいます。そしてクインナルビーの子孫の中で最も代表的な馬というのは,こちらは僕の競馬キャリアが始まった後,キョウエイマーチよりは前に走り,JRA賞では1984年に最優秀3歳牡馬,1985年に特別賞,1986年に年度代表馬に選出され,1991年には殿堂入りしたオグリキャップということになるでしょう。オグリキャップの6つ下の半妹となるオグリローマンは,1994年に桜花賞を勝っています。
 キョウエイマーチ以降,重賞を勝ったクインナルビーの子孫,あるいはシュリリーの子孫はレディスプレリュードマルシュロレーヌが初めて。南関東重賞の勝ち馬は1頭いて,2002年にニューイヤーカップを勝ったトキノアジュディです。
 クインナルビーを経ないシュリリーの子孫にも,僕の競馬キャリア内で大レースを勝った馬がいます。1991年にロースステークスを勝った後,エリザベス女王杯も勝ったリンデンリリーです。リンデンリリーがエリザベス女王杯を勝った日は,僕は文化祭のために大学にいて,よく覚えています。リンデンリリーの産駒であるヤマカツリリーは,2003年にフィリーズレビューを勝ちました。
 一族の活力という点ではもう衰えてきているとみていいかもしれません。それでも分枝はそれなりにありますから,活躍馬が出る可能性が皆無というほどではないでしょう。

 3月30日,月曜日。妹を通所施設へ送りました。
 4月2日,木曜日。午後6時50分に,地域担当支援主任のSさんから電話がありました。妹の給与については,通所施設の事務に預かってもらっているので,迎えに行ったときにそれを受け取ってほしいという内容でした。
 4月3日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。妹を迎えに行ったときは,必ず通所施設の妹の担当者であるWさんが僕のところまで妹を連れてきます。例外は,Wさんが何らかの事情で通所施設を休んでいるという場合だけなので,そのようなケースはほとんど生じません。このときに連絡帳を受け取り,グループホームから外出するための書類に僕がサインをします。この日はいつも通りのこの一連の作業の後に,前夜の電話にあった妹の給与に関することをWさんに尋ねました。ただWさんはこの事情は知らなかったようです。つまり僕は本来は事務の職員にこのことを尋ねるべきだったのであって,前夜のSさんの電話の内容の本来の主旨はそのようなものであったのでしょう。事務の職員と担当の職員の間では当然ながら業務の内容には大きな差があるのであって,担当の職員がそれを知らなかったとしても不思議ではありませんが,僕はこのときにはそのことに思い至らなかったのです。Wさんがこのことを施設長であるTさんに伝えてくれ,僕はTさんから妹の給与を受け取りました。Tさんは施設長なので出張などもあり,施設に不在ということも少なくはないのですが,もし施設にいる場合は,この時間帯,すなわち午後に保護者が利用者を迎えにくる時間帯には,施設の敷地の出入口のところにいます。保護者の中には自家用車で利用者を迎えにくる人が少なからずいて,その自動車が敷地に出入りするのを誘導しています。この日もそうで,僕は徒歩ではありますが,当然ながらその出入口から敷地に入るわけですから,事前に会っていました。もちろんこのことはこの日に限らずいつでもそうですし,帰るときは妹も会うことになります。
 4月6日,月曜日。妹を通所施設に送りました。僕が妹を送っていく時間帯には,通所施設の出入口にはだれもいません。
コメント
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