スピノザの哲学を説明するときに,動機という語を使用することが適切ではないと僕が考える理由のひとつは,目的としての動機として,動機という語が解される場合があるという点にあります。そしてもうひとつは,動機という語が,思惟の様態cogitandi modiとして,いい換えれば僕たちの精神mensのうちにあるものと解される場合があるという点にあります。
前回と同じように,ある犯人が遊ぶ金欲しさに強盗を犯したと仮定します。このとき,動機というのはこの犯人が強盗を犯した原因causaのことを意味しなければなりません。スピノザの哲学では,原因は一律に起成原因causa efficiensを意味しますので,目的原因causa finalisとしての金という説明は不適切で,金が欲しいであれ遊びたいであれ,犯人の欲望cupiditasとして説明するのが適切です。ある人間の欲望は,その人間をある行動に駆る起成原因であり得るからです。ただしこれをいうときには,気を付けなければならないことになります。
欲望は感情affectusのひとつですが,第三部定義三から分かるように,スピノザの哲学では感情は,人間の身体humanum corpusのある状態も意味しますし,人間の精神のある状態も意味します。ただし,上述のような場合には,欲望は人間の身体のある状態と解さなければならず,人間の精神のある状態と解してはなりません。それが身体のある状態なら,この欲望はその犯人を強盗という行動に駆る起成原因たり得ますが,精神のある状態と解した場合には,強盗という行動に駆る原因とはなり得ないからです。このことはお馴染みの第三部定理二から明白で,精神が身体をある運動motusに決定するdeterminareことはできない,つまり犯人の精神のうちにある欲望が,犯人を強盗という行動に駆る起成原因とはなり得ないのです。
ところが動機という語は,往々にして精神のうちにあるものと解されがちです。この点でも,動機という語はスピノザの哲学を説明するのに適切ではないのです。
僕は妹を1日の金曜日に迎えに行きました。これは通所施設へ迎えに行ったのです。つまりこの日の朝,妹はグループホームから通所施設へ通っていたことになります。その後のゴールデンウィークの期間中は妹はずっと家にいました。緊急事態宣言中でしたし,一切の用事もありませんでしたから,文字通りに家にいたのであって,一歩も外へは出ていません。もちろんこれは妹のことであり,僕は妹が眠っている午前の早い時間のうちには外出しています。
ゴールデンウィークはこの6日までで,翌7日に妹を通所施設に送っていく予定になっていました。この時点での電話の内容は,それが通所施設ではなく,グループホームに変更になる可能性があるということでした。グループホームに送るというのは,グループホームの利用者はグループホームに待機し,通所施設に通わないということを意味します。緊急事態宣言中でしたから,こうした措置が採られてもそれは不思議ではありません。ですがまだこの時点ではどうなるのかが決定していなかったため,もしもグループホームに送る必要があるのであれば,翌朝に電話を入れてもらうように依頼しました。
午後4時半に,昨年度から妹を担当することになったグループホームの職員からまた電話がありました。グループホームの利用者は,翌日はグループホームに待機することが決定したので,グループホームに送ってほしいということでした。
5月7日,木曜日。妹をグループホームに送りました。僕はこの日は妹を送った後,グループホームから上大岡までは歩きました。たとえばこのような仕方で僕は運動療法のためのウォーキングの時間を確保していると理解してください。
5月8日,金曜日。O眼科に眼科検診に行きました。内分泌科の主治医からは,1ヶ月や2ヶ月の単位であれば先延ばししてもいいだろうと言われていましたから,本来なら行くべきであった4月には行かなかったのですが,世の中の状況をみると,このまま先延ばししていってもすぐに新型コロナウイルスに関連する状況が改善することはないと僕には思えました。それならいつ行っても同じなので,早いうちに行ってしまおうと考えたのです。
前回と同じように,ある犯人が遊ぶ金欲しさに強盗を犯したと仮定します。このとき,動機というのはこの犯人が強盗を犯した原因causaのことを意味しなければなりません。スピノザの哲学では,原因は一律に起成原因causa efficiensを意味しますので,目的原因causa finalisとしての金という説明は不適切で,金が欲しいであれ遊びたいであれ,犯人の欲望cupiditasとして説明するのが適切です。ある人間の欲望は,その人間をある行動に駆る起成原因であり得るからです。ただしこれをいうときには,気を付けなければならないことになります。
欲望は感情affectusのひとつですが,第三部定義三から分かるように,スピノザの哲学では感情は,人間の身体humanum corpusのある状態も意味しますし,人間の精神のある状態も意味します。ただし,上述のような場合には,欲望は人間の身体のある状態と解さなければならず,人間の精神のある状態と解してはなりません。それが身体のある状態なら,この欲望はその犯人を強盗という行動に駆る起成原因たり得ますが,精神のある状態と解した場合には,強盗という行動に駆る原因とはなり得ないからです。このことはお馴染みの第三部定理二から明白で,精神が身体をある運動motusに決定するdeterminareことはできない,つまり犯人の精神のうちにある欲望が,犯人を強盗という行動に駆る起成原因とはなり得ないのです。
ところが動機という語は,往々にして精神のうちにあるものと解されがちです。この点でも,動機という語はスピノザの哲学を説明するのに適切ではないのです。
僕は妹を1日の金曜日に迎えに行きました。これは通所施設へ迎えに行ったのです。つまりこの日の朝,妹はグループホームから通所施設へ通っていたことになります。その後のゴールデンウィークの期間中は妹はずっと家にいました。緊急事態宣言中でしたし,一切の用事もありませんでしたから,文字通りに家にいたのであって,一歩も外へは出ていません。もちろんこれは妹のことであり,僕は妹が眠っている午前の早い時間のうちには外出しています。
ゴールデンウィークはこの6日までで,翌7日に妹を通所施設に送っていく予定になっていました。この時点での電話の内容は,それが通所施設ではなく,グループホームに変更になる可能性があるということでした。グループホームに送るというのは,グループホームの利用者はグループホームに待機し,通所施設に通わないということを意味します。緊急事態宣言中でしたから,こうした措置が採られてもそれは不思議ではありません。ですがまだこの時点ではどうなるのかが決定していなかったため,もしもグループホームに送る必要があるのであれば,翌朝に電話を入れてもらうように依頼しました。
午後4時半に,昨年度から妹を担当することになったグループホームの職員からまた電話がありました。グループホームの利用者は,翌日はグループホームに待機することが決定したので,グループホームに送ってほしいということでした。
5月7日,木曜日。妹をグループホームに送りました。僕はこの日は妹を送った後,グループホームから上大岡までは歩きました。たとえばこのような仕方で僕は運動療法のためのウォーキングの時間を確保していると理解してください。
5月8日,金曜日。O眼科に眼科検診に行きました。内分泌科の主治医からは,1ヶ月や2ヶ月の単位であれば先延ばししてもいいだろうと言われていましたから,本来なら行くべきであった4月には行かなかったのですが,世の中の状況をみると,このまま先延ばししていってもすぐに新型コロナウイルスに関連する状況が改善することはないと僕には思えました。それならいつ行っても同じなので,早いうちに行ってしまおうと考えたのです。