スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

神奈川新聞社賞ローレル賞&納骨

2020-11-11 19:04:06 | 地方競馬
 北海道から1頭が遠征してきた東京2歳優駿牝馬トライアルとなっている昨晩の第20回ローレル賞
                                           
 セントレガーロは発馬後に両側の馬に挟まれ不利を受けました。僕が思っていたほど先行争いは激化しなかったのですが,セカイノホシとナジャは並んで逃げるようなレースになりました。3番手にケラススヴィアとサラママ。5番手にディアリッキー,ネレイスフラッシュ,ファストトラベルの3頭。2馬身差でオルディノとスセリヒメとベツセタイ。3馬身差でフェリスダージ。1馬身差でセントレガーロ。2馬身差でウインヒメユリ。4馬身差の最後尾にフライングトリップという隊列。前半の800mは50秒5のミドルペース。
 逃げた2頭は競り合ったまま直線に。その外にケラススヴィア。ディアリッキーも追ってきましたが,直線の入口で外に膨れてしまいました。直線は3頭の争いとなり,まずナジャが脱落。残った2頭の競り合いからケラススヴィアが抜け出す形になって優勝。セカイノホシが2馬身差で2着。最後はまた盛り返すようにナジャが半馬身差で3着。
 優勝したケラススヴィアはここまで2戦して連勝。初戦が5馬身,2戦目が3馬身差と,後ろに差をつけて勝っていましたので,ここも優勝候補の1頭。2着馬は北海道重賞で3着があった馬ですから,それに2馬身の差をつけて勝ったことは評価しなければなりませんし,砂を浴びるような形で勝ったことも収穫です。今後はもっと強い馬が転入してくるかもしれませんから,そういう馬たちとの争いになってくるのではないでしょうか。父はサウスヴィグラス。母の父はネオユニヴァース。祖母の3つ下の半弟に2006年に武蔵野ステークスを勝ったシーキングザベスト。Cerasus Viaはラテン語で桜の道。
 騎乗した船橋の森泰斗騎手東京記念以来の南関東重賞39勝目。ローレル賞は初勝利。管理している浦和の小久保智調教師は南関東重賞41勝目。ローレル賞は初勝利。

 3月1日,日曜日。H伯母の四九日法要でした。
 妹はフォーマルな喪服というのは所持していません。ですからこういう場合は黒い服を着せることになります。の存命中は,妹の洋服はすべて母が管理していました。母の死後,妹が葬祭に出席したのは,母の通夜と葬儀と四九日,そして一周忌の法要だけです。母の死は8月でしたから,いずれも暑い時期のことでした。ですからそういう時期に着用するための黒い服というのはどこにあるのかを僕は分かっていましたが,冬季,3月ですから冬季というには語弊があるとすればまだ寒い時期に着るための黒い服の所在はよく分かっていませんでしたので,前日に洋服箪笥や押し入れなどを調べて用意するということになりました。H伯母の法要がこの日に営まれるということは,23日の従兄,父のきょうだいの三女の長男からの電話で知らされていて,その場合には妹も参列することになるということは分かっていたのですが,基本的に僕はこのような準備は直前にならなければやらないことにしています。
 事前の電話で打ち合わせをしておいたように,従兄は8時50分に迎えに来てくれました。寒川町内の寺院に到着したのは午前10時10分です。法要の開始時刻は午前11時でしたから,やや早めに到着したことになります。予定通りの時刻に法要が始まり,30分ほどで終了しました。H伯母の墓はこの寺の敷地の中にありましたから,徒歩で墓へと移動し,納骨も済ませました。この後,海老名市内の日本食のレストランで精進落としがありましたので,それにも参加しました。このとき,日本食のコースが出されましたが,その内容が明らかに祝い事のときに出されるべきものでしたので,やや不思議に感じられました。法事に適切なコースがおそらくはなかったのでしょう。これが終って,僕と妹は従兄に自宅まで送ってもらいました。僕たちが帰宅したのは午後2時50分でした。
 3月2日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
 午後からは内分泌科の通院でした。病院に到着したのは午後2時半でした。中央検査室には患者がひとりも待機していませんでしたので,採血,採尿の順で済ませ,注射針の処理をしました。
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