『漱石追想』に収録されている,篠本二郎の「腕白時代の夏目君」から,重要だと思われる部分を何回かに分けて紹介し,僕の見解をそれぞれに示していきます。
このエッセーは4章に分かれています。その第1章の冒頭は,篠本と漱石が知り合ったのがいつ頃どこであったかということが示されています。篠本はそれは明治六年だったといっていて,場所はすでに紹介したように,漱石が転校してきた市ヶ谷の小学校です。そしてその直後に,その近所の子どもは,武士でも商人でも一様にこの学校に入学することを許されたという主旨の記述があります。この記述からみて,少なくとも篠本が,江戸時代の階級制度というものを意識していたということが窺えるでしょう。もちろんこれが実際に書かれたのは昭和十年のことであり,そのときに篠本がそれを意識していたとはいえません。ただ,小学生だった時のことを書くにあたっては,篠本にとってこのことは外すことができなかったことだったのです。これはその後のエッセーの内容からも明らかです。そして篠本がこのようにいうことで示唆したかったのは,実際にそれが事実であったということや,篠本自身がそうした意識をもって小学校に通っていたということだけではなく,そうした意識は漱石にも共有されていたということだったと推測されます。そしてそのこともまた,その後の篠本の記述にによって裏付けすることが可能だと僕は考えます。
さらにこの時代の特徴として,廃刀令の前後であったということを篠本は書いています。実際に日本に廃刀令,つまり軍人や警察官などを除いては帯刀することを禁ずることが発令されたのは明治9年です。ですから漱石と篠本が知り合った頃は,一般人,といってもこれは江戸時代に武士階級に所属していた男子に限られたのではないかと思われますが,そうした人びとの中には,日本刀を持って歩いていたという人がまだいたのではないでしょうか。ただ,篠本がその前後だったといっているのは,廃刀令が発令に至ったのは明治九年であっても,すでにそれに関する議論は始まっていたという事情があったからだと思います。
漱石の出自は武士の家庭でした。漱石の父が刀を持ち歩いていたかは分かりませんが,漱石の実家には刀があったのです。
僕は事物の本性essentiaというのは,その事物が現実的に存在するときの現実的本性actualis essentiaと,第二部定理八でいわれている,神Deusの属性attributumの中に含まれている形相的本性essentia formalisのふたつしかないと考えています。ですから第一部定理八備考二でいわれている人間の本性natura humanaが,人間の現実的本性と解することができない以上,それは第二部定理八の形相的本性でなければならないと考えるのです。しかしここではこのことを強調することはしません。いい換えれば,それと異なった見解opinioについても受け入れます。ただ,僕がここまでに明らかにしたことから,第一部定理八備考二の人間の本性が,神の属性に含まれている人間の形相的本性である可能性を否定することはできないということに同意してもらえれば十分です。それに同意してもらえれば,たとえ仮定のことだとしても,この前提でさらに考察を進めていくことに意義があることになるからです。あるいはそれが柏葉の主張を考えるためのヒントになるからです。
神の属性に含まれている人間の形相的本性が,第一部定理八備考二でいわれるような人間の本性であるとしましょう。当然ながらこのことは人間にだけ適用されるわけではなく,現実的に存在するあらゆる個物res singularisに妥当しなければなりません。よってたとえば個物Aの形相的本性というのを有する複数の個物Aが現実的に存在するということを認めなければなりません。逆にいえば,現実的に多数の個物Aが存在するとき,そのすべての個物Aに共通する本性として,個物Aの形相的本性が神の属性に含まれているということになります。よって,個物Aが現実的に存在するようになるか否かを問うことは,個物Aの形相的本性に,何らかの現実的本性が与えられるか否か,あるいは同じことですが,個物Aの現実的本性の起成原因causa efficiensが与えられるか否かを問うているのと同じことになります。たとえ多数の個物Aが現実的に存在するのだとしても,たったひとつの個物Aが現実的に存在するのであれば,それは個物Aの現実的本性が与えられたということになるのです。
さらに第二部定理八は,この場合の個物Aの形相的本性の観念ideaが,神の無限な観念が存在する限りで存在するといっています。
このエッセーは4章に分かれています。その第1章の冒頭は,篠本と漱石が知り合ったのがいつ頃どこであったかということが示されています。篠本はそれは明治六年だったといっていて,場所はすでに紹介したように,漱石が転校してきた市ヶ谷の小学校です。そしてその直後に,その近所の子どもは,武士でも商人でも一様にこの学校に入学することを許されたという主旨の記述があります。この記述からみて,少なくとも篠本が,江戸時代の階級制度というものを意識していたということが窺えるでしょう。もちろんこれが実際に書かれたのは昭和十年のことであり,そのときに篠本がそれを意識していたとはいえません。ただ,小学生だった時のことを書くにあたっては,篠本にとってこのことは外すことができなかったことだったのです。これはその後のエッセーの内容からも明らかです。そして篠本がこのようにいうことで示唆したかったのは,実際にそれが事実であったということや,篠本自身がそうした意識をもって小学校に通っていたということだけではなく,そうした意識は漱石にも共有されていたということだったと推測されます。そしてそのこともまた,その後の篠本の記述にによって裏付けすることが可能だと僕は考えます。
さらにこの時代の特徴として,廃刀令の前後であったということを篠本は書いています。実際に日本に廃刀令,つまり軍人や警察官などを除いては帯刀することを禁ずることが発令されたのは明治9年です。ですから漱石と篠本が知り合った頃は,一般人,といってもこれは江戸時代に武士階級に所属していた男子に限られたのではないかと思われますが,そうした人びとの中には,日本刀を持って歩いていたという人がまだいたのではないでしょうか。ただ,篠本がその前後だったといっているのは,廃刀令が発令に至ったのは明治九年であっても,すでにそれに関する議論は始まっていたという事情があったからだと思います。
漱石の出自は武士の家庭でした。漱石の父が刀を持ち歩いていたかは分かりませんが,漱石の実家には刀があったのです。
僕は事物の本性essentiaというのは,その事物が現実的に存在するときの現実的本性actualis essentiaと,第二部定理八でいわれている,神Deusの属性attributumの中に含まれている形相的本性essentia formalisのふたつしかないと考えています。ですから第一部定理八備考二でいわれている人間の本性natura humanaが,人間の現実的本性と解することができない以上,それは第二部定理八の形相的本性でなければならないと考えるのです。しかしここではこのことを強調することはしません。いい換えれば,それと異なった見解opinioについても受け入れます。ただ,僕がここまでに明らかにしたことから,第一部定理八備考二の人間の本性が,神の属性に含まれている人間の形相的本性である可能性を否定することはできないということに同意してもらえれば十分です。それに同意してもらえれば,たとえ仮定のことだとしても,この前提でさらに考察を進めていくことに意義があることになるからです。あるいはそれが柏葉の主張を考えるためのヒントになるからです。
神の属性に含まれている人間の形相的本性が,第一部定理八備考二でいわれるような人間の本性であるとしましょう。当然ながらこのことは人間にだけ適用されるわけではなく,現実的に存在するあらゆる個物res singularisに妥当しなければなりません。よってたとえば個物Aの形相的本性というのを有する複数の個物Aが現実的に存在するということを認めなければなりません。逆にいえば,現実的に多数の個物Aが存在するとき,そのすべての個物Aに共通する本性として,個物Aの形相的本性が神の属性に含まれているということになります。よって,個物Aが現実的に存在するようになるか否かを問うことは,個物Aの形相的本性に,何らかの現実的本性が与えられるか否か,あるいは同じことですが,個物Aの現実的本性の起成原因causa efficiensが与えられるか否かを問うているのと同じことになります。たとえ多数の個物Aが現実的に存在するのだとしても,たったひとつの個物Aが現実的に存在するのであれば,それは個物Aの現実的本性が与えられたということになるのです。
さらに第二部定理八は,この場合の個物Aの形相的本性の観念ideaが,神の無限な観念が存在する限りで存在するといっています。