昨晩の第66回羽田盃。
アランバローズが迷うことなくハナへ。発走後の正面では外連味なく飛ばしていき,向正面に入るところでは5馬身のリード。2番手にはイグナイター。また2馬身差でフォルメッシとトランセンデンス。5番手にランリョウオー。6番手にチサット。7番手にトゥースパークル。8番手がマカベウスとタブラオでこの7頭は集団。3馬身差でブライトフラッグとセイカメテオポリス。5馬身差でトーセンブライアンとミラコロカナーレ。後方2番手がトーセンダーウィンで最後尾にノットリグレットという隊列。最初の800mは48秒3のハイペース。
直線の入口でアランバローズのリードは3馬身ほど。外から追ってきたのがトランセンデンスで,コーナーは内を回り,直線でアランバローズとトランセンデンスの間を突いたのがランリョウオー。直線はこの3頭の争いとなり,最後は外からアランバローズを差し切ったトランセンデンスが優勝。逃げ粘ったアランバローズが1馬身4分の1差で2着。これまでより早めのレースをしたためか直線はこれまで程の伸びを欠いたランリョウオーがクビ差で3着。
優勝したトランセンデンスはニューイヤーカップ以来の勝利で南関東重賞2勝目。ニューイヤーカップ以後の2戦は勝てませんでしたが,クラシックの根幹レースで大きく負けることなく上位に入っていましたから,ここでもチャンスがあるとみていました。ここは僕の見立てでは優勝候補が6頭いるという混戦でしたが,そのうちの4頭が4着までを占めていますので,結果としては順当とみていいように思います。ただ,強い風雨の中でのレースとなりましたので,そのために十全には能力を発揮しきれなかった馬もいたとみておくのも大事かと思います。父はトランセンド。祖母の父はマンハッタンカフェ。Transcendenceは超越。
騎乗した船橋の森泰斗騎手は東京プリンセス賞に続く連夜の南関東重賞制覇で通算45勝目。第61回以来5年ぶりの羽田盃2勝目。管理している浦和の小久保智調教師は南関東重賞49勝目。羽田盃は初勝利。
スピノザの哲学で事物が存在するということは,現実的に存在するということだけを一義的に意味するという柏葉の見解opinioに対して,僕が異議を唱えている理由と,僕自身の結論については示すことができました。僕は個物res singularisの観念ideaが神Deusの無限な観念に包容される限りで存在するといわれる場合は,現実的に存在する各々の観念は区別されないという点で柏葉に同意しますが,区別distinguereの可能性が存在existentiaと不存在を分かつという見解に対しては同意しません。これは,僕が個物の形相的本性essentia formalisと個物の現実的本性actualis essentiaを異なったものとして考えることが最大の根拠となっています。そして事物の本性をそのように解釈することが可能であるということは,考察の中で十分に示すことができたと思っています。

それでは柏葉の論文を対象とした考察の最後に,第二部定理八および第二部定理八系でいわれている,神の無限な観念の身分に関して考えていくことにします。
実は柏葉の論文の中では,この神の無限な観念を無限知性intellectus infinitusと同一視することはできないということが主張されているだけで,ではそれをどのように解するべきなのかということについてはっきりとした結論が出されているわけではありません。しかしどのような結論になるであろうかということは,おおよその見当がつけられるようになっています。
神の無限な観念の身分に関して,柏葉が重視しているのは,第一部定理八備考二で,現実的に存在しない様態的変状modificatioの本性がほかのものの中に含まれているといわれている点です。僕はこのほかのものというのを,第一部定義五に依拠して実体substantiaであると解しましたが,この解釈については柏葉も一致しています。柏葉はこの点を重視することによって,現実的に存在しない個物の観念は,無限様態modus infinitusと有限様態という区分において解するべきではなく,実体と様態という区分で解するべきだといっています。このことは,神の無限な観念と無限知性を同一視する観点の批判に直結します。なぜなら無限知性は,書簡六十四により思惟の属性Cogitationis attributumの直接無限様態を意味するので,これは現実的に存在しない個物の観念を,無限様態と有限様態という区分で解釈している場合に該当するからです。
アランバローズが迷うことなくハナへ。発走後の正面では外連味なく飛ばしていき,向正面に入るところでは5馬身のリード。2番手にはイグナイター。また2馬身差でフォルメッシとトランセンデンス。5番手にランリョウオー。6番手にチサット。7番手にトゥースパークル。8番手がマカベウスとタブラオでこの7頭は集団。3馬身差でブライトフラッグとセイカメテオポリス。5馬身差でトーセンブライアンとミラコロカナーレ。後方2番手がトーセンダーウィンで最後尾にノットリグレットという隊列。最初の800mは48秒3のハイペース。
直線の入口でアランバローズのリードは3馬身ほど。外から追ってきたのがトランセンデンスで,コーナーは内を回り,直線でアランバローズとトランセンデンスの間を突いたのがランリョウオー。直線はこの3頭の争いとなり,最後は外からアランバローズを差し切ったトランセンデンスが優勝。逃げ粘ったアランバローズが1馬身4分の1差で2着。これまでより早めのレースをしたためか直線はこれまで程の伸びを欠いたランリョウオーがクビ差で3着。
優勝したトランセンデンスはニューイヤーカップ以来の勝利で南関東重賞2勝目。ニューイヤーカップ以後の2戦は勝てませんでしたが,クラシックの根幹レースで大きく負けることなく上位に入っていましたから,ここでもチャンスがあるとみていました。ここは僕の見立てでは優勝候補が6頭いるという混戦でしたが,そのうちの4頭が4着までを占めていますので,結果としては順当とみていいように思います。ただ,強い風雨の中でのレースとなりましたので,そのために十全には能力を発揮しきれなかった馬もいたとみておくのも大事かと思います。父はトランセンド。祖母の父はマンハッタンカフェ。Transcendenceは超越。
騎乗した船橋の森泰斗騎手は東京プリンセス賞に続く連夜の南関東重賞制覇で通算45勝目。第61回以来5年ぶりの羽田盃2勝目。管理している浦和の小久保智調教師は南関東重賞49勝目。羽田盃は初勝利。
スピノザの哲学で事物が存在するということは,現実的に存在するということだけを一義的に意味するという柏葉の見解opinioに対して,僕が異議を唱えている理由と,僕自身の結論については示すことができました。僕は個物res singularisの観念ideaが神Deusの無限な観念に包容される限りで存在するといわれる場合は,現実的に存在する各々の観念は区別されないという点で柏葉に同意しますが,区別distinguereの可能性が存在existentiaと不存在を分かつという見解に対しては同意しません。これは,僕が個物の形相的本性essentia formalisと個物の現実的本性actualis essentiaを異なったものとして考えることが最大の根拠となっています。そして事物の本性をそのように解釈することが可能であるということは,考察の中で十分に示すことができたと思っています。

それでは柏葉の論文を対象とした考察の最後に,第二部定理八および第二部定理八系でいわれている,神の無限な観念の身分に関して考えていくことにします。
実は柏葉の論文の中では,この神の無限な観念を無限知性intellectus infinitusと同一視することはできないということが主張されているだけで,ではそれをどのように解するべきなのかということについてはっきりとした結論が出されているわけではありません。しかしどのような結論になるであろうかということは,おおよその見当がつけられるようになっています。
神の無限な観念の身分に関して,柏葉が重視しているのは,第一部定理八備考二で,現実的に存在しない様態的変状modificatioの本性がほかのものの中に含まれているといわれている点です。僕はこのほかのものというのを,第一部定義五に依拠して実体substantiaであると解しましたが,この解釈については柏葉も一致しています。柏葉はこの点を重視することによって,現実的に存在しない個物の観念は,無限様態modus infinitusと有限様態という区分において解するべきではなく,実体と様態という区分で解するべきだといっています。このことは,神の無限な観念と無限知性を同一視する観点の批判に直結します。なぜなら無限知性は,書簡六十四により思惟の属性Cogitationis attributumの直接無限様態を意味するので,これは現実的に存在しない個物の観念を,無限様態と有限様態という区分で解釈している場合に該当するからです。