スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

女流王位戦&不同意の理由

2021-04-28 19:01:39 | 将棋
 塩田温泉で指された昨日の第32期女流王位戦五番勝負第一局。対戦成績は里見香奈女流王位が2勝,山根ことみ女流二段が0勝。
 振駒で山根二段の先手。後手の里見王位の三間飛車に対して先手が向飛車にしての相振飛車。中盤で戦いになってからは後手が有利で進展していましたが,途中は先手にもチャンスが訪れていたと思います。
                                        
 先手が歩を打った局面。ここから☖5四銀☗3二角☖4五銀と進みました。第1図で☖4五銀と打つことができるのですから,この手順は明らかに先手の得で,この将棋で先手に最大のチャンスが訪れたのがここだったのではないかと思います。
 飛車取りなので☗8五飛と逃げました。これが成銀取りになっているので☖9九成銀。先手は☗6五角成としました。
                                        
 第2図で☖5四銀打とされ,先手はやや忙しくなったようです。☗6五角成では☗9九角と駒を補充しておく手も有力で,先手はもう少しだけゆっくり指す必要があったのではないでしょうか。実戦は第2図以下も先手にチャンスはあったと思いますが,ここを逃したのが最も大きかったように思えました。
 里見女流王位が先勝。第二局は来月18日に指される予定です。

 第一部定理八備考二で,考えられることができるといわれるときの考えるconcipereというのは,概念するconcipereというのと同じです。そしてこの概念conceptusは,第二部定義三説明でいわれている概念に該当します。つまり,僕たちは僕たちの精神の能動actionem Mentisによって,現実的に存在しないものを認識するcognoscereことができるといっているのです。よって第三部定理一第二部定理四〇から,それは十全な観念idea adaequataです。もっともこのことは,僕たちが現実的に存在していない様態的変状modificatioについて,真の観念idea veraを有することができるといわれていることから明らかでしょう。
 第一部公理六から,真の観念は観念されたものideatumと一致するのです。よって,Xの真の観念があるのであれば,その観念対象ideatumであるXもあるといわなければなりません。つまり,個物res singularisの形相的本性essentia formalisの真の観念を僕たちがもつことができるのであれば,個物の形相的本性も存在するといわなければなりません。これが僕が柏葉の見解opinioに異を唱えるひとつめの理由です。
 ただしこのことは,第二部定理八でいわれている形相的本性を,個物の現実的本性actualis essentiaと異なったものとして解する僕の見解に依拠しています。柏葉の論文では,僕のいっているところの現実的本性と,第二部定理八の形相的本性が同一視されている面がありますので,この根拠というのは柏葉の主張を否定するまでには至っていません。とはいえ,そもそも第二部定理八の形相的本性を現実的本性と考えることはできないという僕の見解についても説明していますので,僕が柏葉の主張に対して同意することができないという点では変わりはありません。
 さらに,第二部定理八では確かに存在しない個物の形相的本性といわれているのですが,この同じものが,第二部定理八系では,個物が神Deusの属性attributumの中に包容される限りで存在するといわれているということは,この部分の考察の冒頭で僕が指摘しておいたことです。ここでも,柏葉は現実的本性と形相的本性を同一視していますから,柏葉の主張自体がこのことによって崩壊するというわけではないかもしれません。しかしこの系Corollariumでは,個物が存在するといういわれ方をしていますので,柏葉の主張が弱みを抱えているのは間違いありません。
コメント
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