第四部定理五六を証明しておきます。
第四部定理二二系により,徳virtusの第一にして唯一の基礎はコナトゥスconatusです。また,第四部定理二四により,理性ratioの導きに従うことを,自己の利益suum utilisを求める原理に基づいてなすことが,有徳的に働くagereということを意味します。これらを合わせると,徳の第一にして唯一の基礎は,理性に基づいたコナトゥスであるということになります。
このゆえに,もしもある人間が現実的に存在していると仮定して,その人間が理性に基づく自身のコナトゥスあるいは理性に基づく自身の利益というものを何も知らないとしたら,その人間は徳の第一にして唯一の基礎を知らないというのと同じことです。逆に,その人間が理性の導きに従ったコナトゥスあるいは理性に基づく自身の利益を知っているとしたら,その人間は自分がそれを知っているということもまた知っていることになります。これは第二部定理四三から明らかであるといわなければなりません。よってその人間が,理性に基づくコナトゥスあるいは自己の利益を知らないというのは,まさにそれを知っていないということにほかならないので,現にその人間は徳の第一にして唯一の基礎を知らないということです。ですからこの人間は,一切の徳それ自体を知ることが最も少ない人間であるということになりますから,当然ながら有徳的に働くことが最も少ない人間であることになります。第四部定義八により,徳と力potentiamは同一ですから,この人間は最も無能力な人間であることになるでしょう。
第四部定理五五でいわれているように,最大の高慢superbiaと最大の自卑abjectioは,自己に関する最大の無知です。すなわち自己の利益を知らないので,徳の第一にして唯一の基礎を知らないことになります。よって最大の高慢と最大の自卑は,精神mensの最大の無能力impotentiaを表示することになるのです。
チルンハウスEhrenfried Walther von TschirnhausはシュラーGeorg Hermann Schullerと知己になることによりスピノザとも面識を得たとされています。そのシュラーとチルンハウスの間では,定期的な書簡のやり取りがありました。これは書簡七十から確証できます。シュラーはスピノザに宛てたこの書簡の中で,チルンハウスから3ヶ月も手紙が来なかったので,イギリスからフランスへ渡る間に何かよくないことが起こったのではないかと不安だったという主旨のことを書いています。これは3ヶ月にわたって書簡が途絶えると,シュラーがチルンハウスのことを心配してしまうくらい頻繁な書簡のやり取りがあったことを確定させます。
途絶えていたチルンハウスからシュラーへの手紙は,パリに到着してからシュラーに送られました。シュラーはパリでのチルンハウスの様子をスピノザに伝えています。それによれば,スピノザから『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』を送られたホイヘンスChristiaan Huygensにチルンハウスが会い,ホイヘンスがほかにスピノザが著した書物が出版されていないかをチルンハウスに尋ねたので,チルンハウスは『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』以外に知らないと答えたと書かれています。
この時点でチルンハウスは『エチカ』の草稿,すなわちバチカン写本を所持していたのですが,そのことをホイヘンスには伝えなかった,あるいは同じことですが秘匿したということを意味しています。一方でチルンハウスは,パリでライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizとも会い,ライプニッツにはバチカン写本を読ませても構わないと判断したので,その許可をスピノザに求めていることもシュラーは伝えています。
書簡七十二でスピノザはバチカン写本をライプニッツに閲覧させることを不許可としました。実際にライプニッツがそれを読んだかどうか,つまりチルンハウスがスピノザの指示を守ったのか否かは,研究者によって見解が分かれています。なので,僕はチルンハウスはその指示を守ったと考えていますが,ここでは指示を守らなかったかもしれないとしておきます。しかし,チルンハウスが少なくとも許可を得ようとしたことは事実なのであって,スピノザからの指示を待たずに独断でライプニッツにバチカン写本を見せなかったことは間違いないといえます。
第四部定理二二系により,徳virtusの第一にして唯一の基礎はコナトゥスconatusです。また,第四部定理二四により,理性ratioの導きに従うことを,自己の利益suum utilisを求める原理に基づいてなすことが,有徳的に働くagereということを意味します。これらを合わせると,徳の第一にして唯一の基礎は,理性に基づいたコナトゥスであるということになります。
このゆえに,もしもある人間が現実的に存在していると仮定して,その人間が理性に基づく自身のコナトゥスあるいは理性に基づく自身の利益というものを何も知らないとしたら,その人間は徳の第一にして唯一の基礎を知らないというのと同じことです。逆に,その人間が理性の導きに従ったコナトゥスあるいは理性に基づく自身の利益を知っているとしたら,その人間は自分がそれを知っているということもまた知っていることになります。これは第二部定理四三から明らかであるといわなければなりません。よってその人間が,理性に基づくコナトゥスあるいは自己の利益を知らないというのは,まさにそれを知っていないということにほかならないので,現にその人間は徳の第一にして唯一の基礎を知らないということです。ですからこの人間は,一切の徳それ自体を知ることが最も少ない人間であるということになりますから,当然ながら有徳的に働くことが最も少ない人間であることになります。第四部定義八により,徳と力potentiamは同一ですから,この人間は最も無能力な人間であることになるでしょう。
第四部定理五五でいわれているように,最大の高慢superbiaと最大の自卑abjectioは,自己に関する最大の無知です。すなわち自己の利益を知らないので,徳の第一にして唯一の基礎を知らないことになります。よって最大の高慢と最大の自卑は,精神mensの最大の無能力impotentiaを表示することになるのです。
チルンハウスEhrenfried Walther von TschirnhausはシュラーGeorg Hermann Schullerと知己になることによりスピノザとも面識を得たとされています。そのシュラーとチルンハウスの間では,定期的な書簡のやり取りがありました。これは書簡七十から確証できます。シュラーはスピノザに宛てたこの書簡の中で,チルンハウスから3ヶ月も手紙が来なかったので,イギリスからフランスへ渡る間に何かよくないことが起こったのではないかと不安だったという主旨のことを書いています。これは3ヶ月にわたって書簡が途絶えると,シュラーがチルンハウスのことを心配してしまうくらい頻繁な書簡のやり取りがあったことを確定させます。
途絶えていたチルンハウスからシュラーへの手紙は,パリに到着してからシュラーに送られました。シュラーはパリでのチルンハウスの様子をスピノザに伝えています。それによれば,スピノザから『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』を送られたホイヘンスChristiaan Huygensにチルンハウスが会い,ホイヘンスがほかにスピノザが著した書物が出版されていないかをチルンハウスに尋ねたので,チルンハウスは『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』以外に知らないと答えたと書かれています。
この時点でチルンハウスは『エチカ』の草稿,すなわちバチカン写本を所持していたのですが,そのことをホイヘンスには伝えなかった,あるいは同じことですが秘匿したということを意味しています。一方でチルンハウスは,パリでライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizとも会い,ライプニッツにはバチカン写本を読ませても構わないと判断したので,その許可をスピノザに求めていることもシュラーは伝えています。
書簡七十二でスピノザはバチカン写本をライプニッツに閲覧させることを不許可としました。実際にライプニッツがそれを読んだかどうか,つまりチルンハウスがスピノザの指示を守ったのか否かは,研究者によって見解が分かれています。なので,僕はチルンハウスはその指示を守ったと考えていますが,ここでは指示を守らなかったかもしれないとしておきます。しかし,チルンハウスが少なくとも許可を得ようとしたことは事実なのであって,スピノザからの指示を待たずに独断でライプニッツにバチカン写本を見せなかったことは間違いないといえます。