天龍の雑感㉒で示した提案をジャンボ・鶴田に蹴られたので,天龍は熱い心に水を差されたような気持ちになったそうです。鶴田にしても自身が肝炎のキャリアであるということをこの当時は秘匿していましたから,なぜ流血戦を拒否しなければならないのかということの正確な理由を天龍には説明できませんでしたから,これは仕方がないところであったかもしれません。
この試合を最後に天龍は全日本プロレスを退団しました。ただ,鶴田のことを気にしなくなったというわけではありません。天龍が離脱した直後の東京都体育館の試合でタイガー・マスクがマスクを脱いで素顔の三沢光晴に戻り,そのシリーズの最終戦で三沢と鶴田のシングルマッチがあったように,天龍が去った後の全日本プロレスのリングで鶴田が対戦するようになったのは三沢たちでした。天龍には鶴田が三沢たちの引き立て役に回ったように見えたようで,鶴田も自分を悟ってきたのかなと思ったし,もしそうであるならそれは遅すぎるとも感じました。と同時に,鶴田がそのような役回りをさせられるようになったという時代の流れも感じたそうです。天龍は全日本のリングでは鶴田に負けてたまるかという気概でプロレスをしていましたが,それは全日本プロレスを去り,鶴田と直接の対戦がなくなってからも同様で,鶴田に負けたくないという気概はその後もずっと持ち続けていたと言っています。これはおそらく天龍がプロレスラーとしてデビューしたときから鶴田のことを意識していたからであって,そういう気概というのはプロレスラーという仕事を続けていく以上は,天龍の精神のうちに自然と湧き上がるような情念であったのだろうと僕には思えます。
鶴田がどこまで天龍のことを意識していたかは分かりません。ただ天龍がデビューした時点ではすでに全日本プロレスのトップクラスであった鶴田の天龍に対する思いは,天龍が鶴田に感じた思いほどには強くなかったでしょう。なので自然な感情の発露としては,鶴田は天龍が鶴田に感じるほどには,強い感情を天龍には抱いていなかっただろうと僕は思います。
ここまでにみてきた親和性が,スピノザの哲学と主知主義の間にあると僕はみるのですが,吉田は前もっていっておいたように,主知主義的な神Deusの理解から主意主義的な神の理解へという流れを断ち切ったのがスピノザだといっています。これはこれで一理あります。というのも,僕が説明したように,スピノザの哲学が主意主義と相容れることがないのは,スピノザの哲学では神に自由意志voluntas liberaが認められていないからであるのですが,それと同様に,スピノザは無限知性intellectus infinitusを思惟の属性Cogitationis attributumの直接無限様態とみなしているので,それが神の本性essentiaを構成するものとはなっていないからです。いい換えればスピノザが理解する神は,意志も知性も有さないような神なのであって,これは主意主義的な神の理解ではないというだけでなく,主知主義的な神の理解でもないということになるでしょう。そしてさらにもう一点,スピノザがこの流れを断ち切ったキーポイントのひとつとして,吉田はコナトゥスconatusをあげています。なぜコナトゥスがこのことと関連してくるのか,吉田の探究を詳しく追っていきましょう。
まず吉田は「我思うゆえに我ありcogito, ergo sum」のうち,我思うという点,いい換えれば私が考えているということについてはスピノザは否定しないといっています。これを吉田は第二部公理二に訴求しています。この公理Axiomaを,私が考えているということ,スピノザの哲学において考えるconcipereというのは概念するconcipereという意味であって,これは精神の能動actio Mentisを意味するのですが,その精神の能動とだけ関連付けられるのかということに関しては僕は疑問を有さないわけではありません。ただ,考えるということが思惟するということの一部を構成しているのは間違いないのであって,現実的に存在するある人間が能動的に事物を考えるということについて,スピノザが否定するnegareとみることができないのは確実です。したがって,私が考えるということについては,スピノザは肯定しているといわなければならないでしょう。というのもこのことは公理として示されているのであって,公理というのはこれから開始する議論の大前提を構成するわけですから,私が考えるということは無条件の前提といえるからです。
この試合を最後に天龍は全日本プロレスを退団しました。ただ,鶴田のことを気にしなくなったというわけではありません。天龍が離脱した直後の東京都体育館の試合でタイガー・マスクがマスクを脱いで素顔の三沢光晴に戻り,そのシリーズの最終戦で三沢と鶴田のシングルマッチがあったように,天龍が去った後の全日本プロレスのリングで鶴田が対戦するようになったのは三沢たちでした。天龍には鶴田が三沢たちの引き立て役に回ったように見えたようで,鶴田も自分を悟ってきたのかなと思ったし,もしそうであるならそれは遅すぎるとも感じました。と同時に,鶴田がそのような役回りをさせられるようになったという時代の流れも感じたそうです。天龍は全日本のリングでは鶴田に負けてたまるかという気概でプロレスをしていましたが,それは全日本プロレスを去り,鶴田と直接の対戦がなくなってからも同様で,鶴田に負けたくないという気概はその後もずっと持ち続けていたと言っています。これはおそらく天龍がプロレスラーとしてデビューしたときから鶴田のことを意識していたからであって,そういう気概というのはプロレスラーという仕事を続けていく以上は,天龍の精神のうちに自然と湧き上がるような情念であったのだろうと僕には思えます。
鶴田がどこまで天龍のことを意識していたかは分かりません。ただ天龍がデビューした時点ではすでに全日本プロレスのトップクラスであった鶴田の天龍に対する思いは,天龍が鶴田に感じた思いほどには強くなかったでしょう。なので自然な感情の発露としては,鶴田は天龍が鶴田に感じるほどには,強い感情を天龍には抱いていなかっただろうと僕は思います。
ここまでにみてきた親和性が,スピノザの哲学と主知主義の間にあると僕はみるのですが,吉田は前もっていっておいたように,主知主義的な神Deusの理解から主意主義的な神の理解へという流れを断ち切ったのがスピノザだといっています。これはこれで一理あります。というのも,僕が説明したように,スピノザの哲学が主意主義と相容れることがないのは,スピノザの哲学では神に自由意志voluntas liberaが認められていないからであるのですが,それと同様に,スピノザは無限知性intellectus infinitusを思惟の属性Cogitationis attributumの直接無限様態とみなしているので,それが神の本性essentiaを構成するものとはなっていないからです。いい換えればスピノザが理解する神は,意志も知性も有さないような神なのであって,これは主意主義的な神の理解ではないというだけでなく,主知主義的な神の理解でもないということになるでしょう。そしてさらにもう一点,スピノザがこの流れを断ち切ったキーポイントのひとつとして,吉田はコナトゥスconatusをあげています。なぜコナトゥスがこのことと関連してくるのか,吉田の探究を詳しく追っていきましょう。
まず吉田は「我思うゆえに我ありcogito, ergo sum」のうち,我思うという点,いい換えれば私が考えているということについてはスピノザは否定しないといっています。これを吉田は第二部公理二に訴求しています。この公理Axiomaを,私が考えているということ,スピノザの哲学において考えるconcipereというのは概念するconcipereという意味であって,これは精神の能動actio Mentisを意味するのですが,その精神の能動とだけ関連付けられるのかということに関しては僕は疑問を有さないわけではありません。ただ,考えるということが思惟するということの一部を構成しているのは間違いないのであって,現実的に存在するある人間が能動的に事物を考えるということについて,スピノザが否定するnegareとみることができないのは確実です。したがって,私が考えるということについては,スピノザは肯定しているといわなければならないでしょう。というのもこのことは公理として示されているのであって,公理というのはこれから開始する議論の大前提を構成するわけですから,私が考えるということは無条件の前提といえるからです。