スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

玉藻杯争覇戦&様態

2025-02-02 16:46:24 | 競輪
 高松記念の決勝。並びは郡司‐松谷‐福田の神奈川,田中に成田,犬伏‐島川‐香川の四国に坂本。
 成田がスタートを取って田中の前受け。3番手に犬伏,7番手に郡司で周回。残り2周のホームの入口から郡司が上昇。犬伏が合わせなかったので郡司は成田の後ろに。3番手が郡司,6番手に犬伏という一列棒状で打鐘になりました。ここから犬伏が発進。郡司が合わせようとしましたが,外から犬伏が前に。松谷の牽制を受けた島川がやや離れ,バックに入って郡司も島川を大きく牽制。これで郡司が犬伏を追うことになり,郡司の動きに松谷が離れたので,成田が郡司の後ろにスイッチ。バックではかなり車間が開いていたのですが,直線に向けて徐々に差が詰まり,差し切った郡司が優勝。マークになった成田が半車身差の2着。バック先頭の犬伏が4分の3車身差で3着。
 優勝した神奈川の郡司浩平選手は松阪記念からの連続優勝で記念競輪22勝目。高松記念は初優勝ですが,2017年のウィナーズカップを当地で制しています。このレースは郡司の脚力が上なので,逃げなければならないような展開にならない限りは勝てるのではないかと思っていました。田中の前受けというのは意外な展開だったと思うのですが,後方から動いて無理なく3番手に入れたのが大きかったです。それでも犬伏には一旦は出られてしまったわけで,完勝といえるような内容ではなったのも事実ではないでしょうか。

 様態modiという語の元来の意味は,大きさとか尺度であったそうです。これが転じてもっと広きにわたるようになり,ものごとの定まったあり方や性質,状態などを意味するようになったと吉田は説明しています。このラテン語から容易に推測できるように,これはモードの語源なので,哲学で様態といわれるときは,モードと訳した方が,現代の僕たちには分かりやすいのではないかと吉田は提案しています。つまり黒猫が歩いているというのは,ネコという実体substantiaに,黒という色のモード,歩くという動作のモードがあるということで,黒毛のモードのネコが歩行というモードに入っていると理解するということです。スピノザ自身がいっているように,事物は十全に観念されることが重要なのであって,ことばによってどう表現されるのかに重要な意味があるわけではありません。なのでこの方が理解が容易であるというのなら,そう理解した方がよいだろうと僕も思います。
                            
 とはいえ,スピノザの哲学における実体とか様態といったものが,ここまで説明してきたように規定されているわけではないということは,よほどの初心者でない限りは心得ているところでしょう。ネコの実体とかイヌの実体などというのは,実体という語句の説明のためには無益ではないかもしれませんが,実際にスピノザがそういう実体を想定しているわけではありません。第一部定義三でいわれているように,実体というのはそれ自身のうちにあり,かつそれ自身によって概念されなければならないのであって,ネコとかイヌとかいったものは,その定義Definitioからは外れることになるからです。そしてここが重要なところですが,このことが意味するのは,第一部定義三のような仕方で実体を定義するのであれば,一般に実体として考えられているようなものはすべて,すべてがいいすぎならほとんどは,実体ではないということになるということです。といのも,もしそれがそれ自身のうちにあってそれ自身によって考えられるなら,そのものは存在するために自分以外のものは不要ですし,それを概念するために別の概念notioを必要としないでしょう。いい換えれば一切の外部を必要としないことになるでしょう。

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