スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

真理獲得の方法&意志と善意

2015-02-19 19:24:41 | 哲学
 『個と無限』の第六章では,スピノザの方法論に関する考察がなされています。方法論というのは内容が多岐にわたるので,幅広い考察が必要とされます。ここでは方法論中の方法論ともいえる,知性intellectusが真理veritasの獲得に至る方法論が,スピノザの哲学の中でどのようになっているか,僕の考え方を説明します。
                         
 真理とは真の観念idea veraの総体です。なので真理の獲得とは知性による思惟作用です。したがって,真理を獲得するための方法論ということが第一義的に意味するのは,どのような思惟作用をなせば,知性は真理を獲得できるのか,いい換えれば事物を真に認識するcognoscereことができるのということになります。
 しかし,この種の方法論はスピノザの哲学にはないと僕は理解しています。その根拠は第二部定理四二の意味です。もしも僕たちが真理の獲得の方法を知りたいと欲するならば,少なくとも真理とは何であるのかということを知っていなければなりません。ところが真理の規範,すなわち真理と虚偽falsitasとを分つもの,正確にいうなら真理と虚偽を分かつ方法を知性に教えるのは,虚偽ではなくて真理なのです。したがって,もしもある知性が虚偽,すなわち混乱した観念idea inadaequataだけで組織されていたなら,この知性は真理とは何であるかを知り得ません。ですから真理を獲得する方法がどんなものであるかなどは知る術がないのです。
 逆にいうと,真理,つまり十全な観念idea adaequataが与えられれば,その知性は真理と虚偽を分かつことが可能になります。つまりたったひとつの十全な観念さえ知性のうちにあれば,その知性は一般に真理と虚偽を分かつことが可能になるのです。したがってこの知性は,いかにして真理を獲得するのかも知ることができるようになるのです。
 要するに,真理獲得の方法を知るということと,真理を知るということは,同じことであるというようにスピノザの哲学ではなっていると僕は考えています。事物をひとつ十全に認識すれば,必ず真理を獲得する方法も知ることができますが,それが達成される前に,真理の獲得の方法だけを単独で知るということは不可能であるというのが僕の考えです。

 神Deusの本性essentiaに意志voluntasが属するという意見opinio,いい換えれば,神が意志によってすべての物事を決定するという意見は,神が第一原因causa primaであるということ,それも絶対に第一の原因であることを意味します。もしも神がほかから決定されて意志するというなら,その意志は神の本性に属するのではなく,それ以外の原因によって決定される思惟作用であることになってしまいますから,これはそれ自体で明らかでしょう。したがって,第一部定理一六系三というのは,意味合いに大きな違いこそあれど,守られることになります。
 もちろんこのとき,意味合いの相違というのを軽く見積もってはいけません。神からの人格の剥奪は徹底されなければならないからです。しかし,この意志を単なる意志として設定するのではなく,善意として設定する場合には,他面からいえば,複数の選択肢の中から神は必ず最善のものを選択すると設定するならば,第一部定理一六系三さえ否定されることになります。このゆえに,第一部定理三三備考二の意味が成立するのです。
 複数の選択肢から神が最善であるものを選択するなら,少なくとも神はそれを選択する以前に,何が善bonumでありまた何が悪malumであるかを知っている必要があります。厳密にいうと,神が選択したものが最善であると規定することにより,この条件からは免れるのですが,ライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizがこの規定をすると,第三部定理四九が示すような神に関連する問題を拭うことができないので、ここでは神が事前に善悪を知っていなければならないという条件を絶対的なものと規定しておきます。そして神は善という目的に向って物事を決定するということになります。
 これは全体でいえば,神の外部に神自身が努力しなければならないような目標というものを立てて,神はその目標を達成するように作用するといっているのに等しいといえます。したがって神は絶対に第一の原因ではなく,むしろその目標が第一原因であるということになるでしょう。要するに神が善意で事物を決定するというライプニッツのような意見というのは,スピノザからすれば,善こそが絶対的な第一原因であると主張しているのと同じことになるのです。

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