名人戦七番勝負は今日から第四局が始まりましたが,ここでは7日と8日に指された第三局を振り返ります。
挑戦者の郷田真隆九段の先手で▲7六歩△3四歩▲7五歩。昨年の棋聖戦第一局と第三局で鈴木八段が指した手で,早石田を目指したものですが,郷田九段はほとんど振飛車を指さない棋士ですのでかなり意外に思いました。対して森内俊之名人は少考して△5四歩。相振飛車になりました。
相振飛車というのは序盤の駒組がきわめて重要な戦型で,軽快な捌きを狙う先手に対して後手は押さえこみに出て,34手目の△6四銀,38手目からの△7三金~△8四金でこれに成功。先手は手も足も出せなくなってしまい,駒を引いたり手待ちを繰り返している間に後手陣がどんどんと好型に。先手もジリ貧負けはいやだとばかりに55手目に▲8四飛と切って攻撃に出ましたが,さすがにこれは無理で,ほどなく後手の反撃をくらい森内名人の勝ちとなりました。この反撃の過程で,68手目の△7六歩というのは森内名人らしいぬかりのない一手であったと思います。森内名人はこれがプロ公式戦通算700勝目でした。
これで森内名人の1勝2敗。第四局が得意の先手番ですので,防衛に向けて視界の開けた1勝といえるのではないかと思います。
明日は宇都宮記念の2日目優秀が行われます。前後は微妙ですが高谷-山田の北日本と武田-神山-宗景の茨城栃木は並ぶでしょう,渡辺-海野の静岡はおそらく北日本追走と思われますが,大塚-島田の九州の出方は分かりません。並びに微妙な部分があるので予想は割愛します。
まず,混乱した観念と,それに反対の意味で対応する十全な観念との関係を,基本的に僕がどのように考えているのかということについて改めて説明しておきます。
第二部定義四から,十全な観念は,もしもその外的な特徴からみられれば,真の観念であるということが分かります。そしてこのことは同時に,混乱した観念が外的特徴から判断される場合には誤った観念であるということを意味します。
次に第一部公理六からして,真の観念,すなわち十全な観念というのは,ある実在的な対象を有する観念であるということになります。したがってこれとは逆に,誤った観念,すなわち混乱した観念というのは,そうした実在的な対象というのをもたない観念であるということになります。
ここで第二部定理七に注目してみれば,観念の秩序はその対象の秩序に一致するわけですから,観念はその対象が有するのと同じだけの実在性を有するということになります。したがって,十全な観念はある実在的な対象を有するので,その対象が有するのと同じだけの実在性を有するのですが,混乱した観念は実在的な対象をもたないのですから,一切の実在性を有さない観念であるということになります。
十全な観念と混乱した観念の関係は,第一義的には前者が真理であるのに対して後者は虚偽であるということだと思います。しかし同時に,前者は実在的なものであるが後者は非実在的なものである,いい換えれば,十全な観念が有であるのに対し混乱した観念は無であるという関係もあるというのが僕の考え方です。
挑戦者の郷田真隆九段の先手で▲7六歩△3四歩▲7五歩。昨年の棋聖戦第一局と第三局で鈴木八段が指した手で,早石田を目指したものですが,郷田九段はほとんど振飛車を指さない棋士ですのでかなり意外に思いました。対して森内俊之名人は少考して△5四歩。相振飛車になりました。
相振飛車というのは序盤の駒組がきわめて重要な戦型で,軽快な捌きを狙う先手に対して後手は押さえこみに出て,34手目の△6四銀,38手目からの△7三金~△8四金でこれに成功。先手は手も足も出せなくなってしまい,駒を引いたり手待ちを繰り返している間に後手陣がどんどんと好型に。先手もジリ貧負けはいやだとばかりに55手目に▲8四飛と切って攻撃に出ましたが,さすがにこれは無理で,ほどなく後手の反撃をくらい森内名人の勝ちとなりました。この反撃の過程で,68手目の△7六歩というのは森内名人らしいぬかりのない一手であったと思います。森内名人はこれがプロ公式戦通算700勝目でした。
これで森内名人の1勝2敗。第四局が得意の先手番ですので,防衛に向けて視界の開けた1勝といえるのではないかと思います。
明日は宇都宮記念の2日目優秀が行われます。前後は微妙ですが高谷-山田の北日本と武田-神山-宗景の茨城栃木は並ぶでしょう,渡辺-海野の静岡はおそらく北日本追走と思われますが,大塚-島田の九州の出方は分かりません。並びに微妙な部分があるので予想は割愛します。
まず,混乱した観念と,それに反対の意味で対応する十全な観念との関係を,基本的に僕がどのように考えているのかということについて改めて説明しておきます。
第二部定義四から,十全な観念は,もしもその外的な特徴からみられれば,真の観念であるということが分かります。そしてこのことは同時に,混乱した観念が外的特徴から判断される場合には誤った観念であるということを意味します。
次に第一部公理六からして,真の観念,すなわち十全な観念というのは,ある実在的な対象を有する観念であるということになります。したがってこれとは逆に,誤った観念,すなわち混乱した観念というのは,そうした実在的な対象というのをもたない観念であるということになります。
ここで第二部定理七に注目してみれば,観念の秩序はその対象の秩序に一致するわけですから,観念はその対象が有するのと同じだけの実在性を有するということになります。したがって,十全な観念はある実在的な対象を有するので,その対象が有するのと同じだけの実在性を有するのですが,混乱した観念は実在的な対象をもたないのですから,一切の実在性を有さない観念であるということになります。
十全な観念と混乱した観念の関係は,第一義的には前者が真理であるのに対して後者は虚偽であるということだと思います。しかし同時に,前者は実在的なものであるが後者は非実在的なものである,いい換えれば,十全な観念が有であるのに対し混乱した観念は無であるという関係もあるというのが僕の考え方です。
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