昨晩の第5回ゴールドジュニア。
ラブミーメアリーが逃げて2番手にプリムスパールス。3番手にフリーダムでこの3頭が集団で先行。クロビーンズとユーロジータビートが並んで続きました。4馬身差でムサシエクスプレス。2馬身差でランベリーとオーシンレーベン。4馬身差でシビックドリーム。2馬身差でアレゴウドウレモン。後方2番手にシューボーイで3馬身差の最後尾にオニアシと,6番手以下はばらばらの追走。前半の600mは36秒4のハイペース。
3コーナーからはラブミーメアリー,プリムスパールス,ユーロジータビートの3頭が雁行になりました。コーナーの途中でプリムスパールスは脱落。逃げたラブミーメアリーはユーロジータビートは振り切って直線で一旦は抜け出しましたが,直線の半ばで一杯。内から5頭目あたりを追い込んできたオーシンレーベンが先頭に立ちましたが,その内から馬群を捌いたランベリーが追いついてきて,2頭の競り合い。内から競り落としたランベリーが優勝。オーシンレーベンが半馬身差で2着。大外を追い込んだシビックドリームがクビ差まで迫って3着。
優勝したランベリーは4月にデビュー。デビュー戦は大敗でしたが立て直した2戦目で勝利。その後は2着,3着で,2歳の重賞で勝つ戦績ではありませんでした。このレースは先行勢が総崩れとなるレースで,展開面の恩恵がありました。前走で1600mのレースを使っていたのですが,厳しい展開となって,その経験が生きたという面もあったと思います。父はモーニン。祖母の父はアグネスデジタル。母の6つ下の半妹に2020年のNARグランプリで2歳最優秀牝馬に選出されたソロユニット。L'Embellirはフランス語で美しくする。
騎乗した大井の矢野貴之騎手は優駿スプリント以来の南関東重賞40勝目。第2回以来となる3年ぶりのゴールドジュニア2勝目。管理している大井の赤嶺本浩調教師は南関東重賞5勝目。ゴールドジュニアは初勝利。
書簡七十および書簡七十二が公表されれば,スピノザとライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizとの間で書簡を通しての交流があったということが判明してしまうということは,この両方の書簡を読んだことがある人物でなければ分からない筈です。遺稿集Opera Posthumaの編集者のうち,その内容を事前に知っていたのは,書簡七十をスピノザに送り,書簡七十二をスピノザから受け取ったシュラーGeorg Hermann Schuller以外にあり得ないでしょう。ですからこの2通の書簡が遺稿集に掲載されなかったのは,ライプニッツの意向を汲んだシュラーの功績であったのではないかと僕は思うのです。ということは,それ以外の,この事前に交わされていたライプニッツとスピノザの間の書簡が遺稿集に掲載されなかったことも,シュラーの功績だったのではないでしょうか。
一方,シュラーとライプニッツは書簡で交流を続けていたのですが,書簡七十と書簡七十二を通してだけしかスピノザとライプニッツの書簡での交流があったということをシュラーが知らなかったら,ふたりの間での書簡というのは,哲学とか神学に関連するものだけであったと早合点してもおかしくはありません。そうなると,そうした書簡については掲載しないようにすることは可能であったかもしれませんが,書簡四十五および書簡四十六に関してはそうした内容を有していないので,そもそもそういう書簡があったということを見落としてしまい,掲載に至ってしまったということはあり得るでしょう。つまりシュラーは事前にライプニッツに関する書簡というのを,ほかの編集者たちが知らないうちに抜き取っておいたのだけれど,自身がそういうような書簡があるとは思うに至らなかった2通の書簡に関しては抜き取り忘れてしまったということです。
もしも実際にこのような物語があったのだとしたら,シュラーが事前に書簡を抜き取る好機というのは,スピノザが死んだときであったと思われます。シュラーはこのことを編集者たちの知らないうちになさなければならなかったと同時に,スピノザも知らないうちになさなければならなかったのですから,もしもスピノザの臨終の場にシュラーがいたら,シュラーにとってそれは最大のチャンスだったでしょう。
ラブミーメアリーが逃げて2番手にプリムスパールス。3番手にフリーダムでこの3頭が集団で先行。クロビーンズとユーロジータビートが並んで続きました。4馬身差でムサシエクスプレス。2馬身差でランベリーとオーシンレーベン。4馬身差でシビックドリーム。2馬身差でアレゴウドウレモン。後方2番手にシューボーイで3馬身差の最後尾にオニアシと,6番手以下はばらばらの追走。前半の600mは36秒4のハイペース。
3コーナーからはラブミーメアリー,プリムスパールス,ユーロジータビートの3頭が雁行になりました。コーナーの途中でプリムスパールスは脱落。逃げたラブミーメアリーはユーロジータビートは振り切って直線で一旦は抜け出しましたが,直線の半ばで一杯。内から5頭目あたりを追い込んできたオーシンレーベンが先頭に立ちましたが,その内から馬群を捌いたランベリーが追いついてきて,2頭の競り合い。内から競り落としたランベリーが優勝。オーシンレーベンが半馬身差で2着。大外を追い込んだシビックドリームがクビ差まで迫って3着。
優勝したランベリーは4月にデビュー。デビュー戦は大敗でしたが立て直した2戦目で勝利。その後は2着,3着で,2歳の重賞で勝つ戦績ではありませんでした。このレースは先行勢が総崩れとなるレースで,展開面の恩恵がありました。前走で1600mのレースを使っていたのですが,厳しい展開となって,その経験が生きたという面もあったと思います。父はモーニン。祖母の父はアグネスデジタル。母の6つ下の半妹に2020年のNARグランプリで2歳最優秀牝馬に選出されたソロユニット。L'Embellirはフランス語で美しくする。
騎乗した大井の矢野貴之騎手は優駿スプリント以来の南関東重賞40勝目。第2回以来となる3年ぶりのゴールドジュニア2勝目。管理している大井の赤嶺本浩調教師は南関東重賞5勝目。ゴールドジュニアは初勝利。
書簡七十および書簡七十二が公表されれば,スピノザとライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizとの間で書簡を通しての交流があったということが判明してしまうということは,この両方の書簡を読んだことがある人物でなければ分からない筈です。遺稿集Opera Posthumaの編集者のうち,その内容を事前に知っていたのは,書簡七十をスピノザに送り,書簡七十二をスピノザから受け取ったシュラーGeorg Hermann Schuller以外にあり得ないでしょう。ですからこの2通の書簡が遺稿集に掲載されなかったのは,ライプニッツの意向を汲んだシュラーの功績であったのではないかと僕は思うのです。ということは,それ以外の,この事前に交わされていたライプニッツとスピノザの間の書簡が遺稿集に掲載されなかったことも,シュラーの功績だったのではないでしょうか。
一方,シュラーとライプニッツは書簡で交流を続けていたのですが,書簡七十と書簡七十二を通してだけしかスピノザとライプニッツの書簡での交流があったということをシュラーが知らなかったら,ふたりの間での書簡というのは,哲学とか神学に関連するものだけであったと早合点してもおかしくはありません。そうなると,そうした書簡については掲載しないようにすることは可能であったかもしれませんが,書簡四十五および書簡四十六に関してはそうした内容を有していないので,そもそもそういう書簡があったということを見落としてしまい,掲載に至ってしまったということはあり得るでしょう。つまりシュラーは事前にライプニッツに関する書簡というのを,ほかの編集者たちが知らないうちに抜き取っておいたのだけれど,自身がそういうような書簡があるとは思うに至らなかった2通の書簡に関しては抜き取り忘れてしまったということです。
もしも実際にこのような物語があったのだとしたら,シュラーが事前に書簡を抜き取る好機というのは,スピノザが死んだときであったと思われます。シュラーはこのことを編集者たちの知らないうちになさなければならなかったと同時に,スピノザも知らないうちになさなければならなかったのですから,もしもスピノザの臨終の場にシュラーがいたら,シュラーにとってそれは最大のチャンスだったでしょう。
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