スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

神は死んだ&本性に含まれる存在

2006-08-21 22:34:49 | 哲学
 神は死んだ。これはニーチェの最も有名なことばだと思います。
 ニーチェには『アンチクリスト』という著書があるくらいで,一般的にはこれはキリスト教を標的にしたことばであると考えられています。しかし僕には別の意味が込められているように思えてなりません。
                         
 というのも,キリスト教とスピノザ主義の間にはすでに相容れない部分があるのであって,ある意味では,キリスト教でいう神というのは,スピノザの哲学においてすでに死んでいるといえなくもないからです。一方,ニーチェとスピノザの対立のうちで大きなもののひとつは,ニーチェはスピノザの因果論を目的論の変種とみなすという点にあるのですが,これはひいてはニーチェはスピノザがいう神の存在を認めないということにつながってくるのです。
 神は死んだ。ニーチェはこのことばで,キリスト教的な神が死んだのはもちろん,スピノザの神も死んだのだといいたかったのではないかと僕には思えてならないのです。

 明日は松戸記念の決勝です。並びは村上ー加藤ー萩原の近畿中部,佐々木ー室井の四国の後ろは立花と加倉で競り,目標不在の関東は兵藤ー木村で自在戦になるようです。ここは村上選手◎です。当然加藤選手○になりますが,兵藤選手▲の競り込みもありそうで,優秀(チバテレビ賞)のようにはいかないと思います。あとは佐々木選手△。

 そして明日から王位戦の第四局が始まります。今回は九州開催で,西日本新聞の主催ですが,この西日本新聞のサイトがあらゆる将棋サイトの中で最も優れていると僕は思っています。

 ある事物の本性にその存在が含まれているなら,その存在のことを永遠というとするスピノザの主張は妥当なものだと思います。というのは,たとえばその内角の和が180゜であるということは三角形の本性に属します。ところでこの事実は,昨日もそうであり今日もそうであるから事実であることが1日延びたという類の事柄ではなく,むしろ永遠から永遠にわたっての真理というべきでしょう。
 このことから分かるように,事物の本性というのはある一定の期間に持続するものではなく,永遠のものなのです。したがって,もしもAの本性にAが存在するということが含まれていれば,Aの本性が永遠である以上,Aの存在も永遠であり,Aは永遠から永遠にわたって存在するということになるからです。

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