夏目漱石は1907年に大学教授の職を辞し,朝日新聞に入社しました。このあたりの詳しい経緯が『漱石を読みなおす』に書かれているのですが,僕が最も興味を抱いたのは次の点です。
現在でもそういうところがあるかもしれませんが,大学教授と新聞社の社員では,職業として有しているイメージが違ったようです。とくに漱石の時代だと,現在のように多くの大学が存在したわけではありませんから,大学教授というのは特別視される存在であったようです。なのでそれを辞めて一介の新聞社の社員になるという決断は,世間的には異例の出来事とみなされる面があったようです。
これに対して漱石は,入社の辞を紙面に寄せています。その中で,大学教授も商売だし,新聞記者も商売なのであって,相違があるとすれば,大学教授がお上が営業する商売であるのに対し,新聞社は個人で営業する商売であるという点だけであるという主旨のことをいっています。
小森の批評は,漱石が新聞も大学も商売であると漱石が認識していたという点に着目しています。大学教授にしろ新聞社にしろ,一般的に語られる文脈においては,商売としてみなされることは意外に少ないと思われるからです。逆にいえば漱石にとっては,それは商売にすぎなかった,つまり生活の糧を入手する方法にすぎなかったのであり,よりよいと思われる条件を選択しただけのことであったのです。もし新聞屋が下卑た商売なら大学教授も下卑た商売であるといっているように,商売の中で高く評価されなければならないものはないと漱石は考えていました。
漱石が新聞屋を選んだのは,給与条件が自分にとって適していたからかもしれません。しかし,作家として活動するためには,お上が経営する大学教授より個人営業の新聞屋の方が適していると考えた可能性もあると僕は思うのです。
スピノザは「哲学する自由」という観点からハイデルベルク大学教授への招聘を断りました。同様に,「文学する自由」という観点から,漱石は大学教授から新聞屋に商売を変えたという見方も成り立つと思います。
僕が理解するところでは,ライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizは無神論を,純粋に思想的背景から把握します。このとき,理神論が無神論と等価か,少なくとも無神論の一種であることをライプニッツは肯定します。もちろんスピノザの哲学が理神論であることはいうまでもありません。ところがライプニッツは,行動を規準にする限り,スピノザが無神論者であったと考えません。むしろ敬虔pietasであったと考えています。スピノザとライプニッツは実際に面会していますから,その根拠はライプニッツ自身の経験にあったかもしれませんし,伝えられたスピノザの生活内容にあったかもしれません。とにかくスピノザの生活が放埓ではなかったことを,ライプニッツは肯定するのです。
ライプニッツのいい方だと,これは,無神論という思想を抱く人間が,無神論者として行動するわけではないことになります。僕のいい方に適合させれば,理神論者は無神論者であるわけではなく,少なくとも敬虔であり得るということになります。この見解opinioは,カルヴィニストとデカルト主義者とスピノザのうち,スピノザとだけ一致するのであり,カルヴィニストやデカルト主義者とは一致しません。この点において,確かにライプニッツの把握は,スピノザに近かったと僕は考えるのです。
ライプニッツはキリスト教に適合するような哲学の構築を目指しました。しかし当の本人は,それほど信仰心が強かったわけではないようです。『宮廷人と異端者The Courtier and the Heretuc : Leibniz,Spinoza,and the Fate of God in the Modern World』には,ライプニッツの助手であったエックハルトの証言として,地元の聖職者から何度も説教されていたにも関わらず,ライプニッツは1度として教会には行かなかったというエピソードが示されています。このためにライプニッツは不信心な人物と周りからみなされていたようで,埋葬式のときにも人がほとんど集まらなかったそうです。スチュアートMatthew Stewartは脚色を交えていると僕は思いますが,ライプニッツがキリスト教に深い信仰心を抱いてはいなかったというのは,事実とみなしてよいと僕は考えます。ライプニッツが理性ratioに依拠して神Deusを認識するcognoscere不信心な理神論者も敬虔であり得ると考えたのは,案外そんなところに理由があったかもしれません。
現在でもそういうところがあるかもしれませんが,大学教授と新聞社の社員では,職業として有しているイメージが違ったようです。とくに漱石の時代だと,現在のように多くの大学が存在したわけではありませんから,大学教授というのは特別視される存在であったようです。なのでそれを辞めて一介の新聞社の社員になるという決断は,世間的には異例の出来事とみなされる面があったようです。
これに対して漱石は,入社の辞を紙面に寄せています。その中で,大学教授も商売だし,新聞記者も商売なのであって,相違があるとすれば,大学教授がお上が営業する商売であるのに対し,新聞社は個人で営業する商売であるという点だけであるという主旨のことをいっています。
小森の批評は,漱石が新聞も大学も商売であると漱石が認識していたという点に着目しています。大学教授にしろ新聞社にしろ,一般的に語られる文脈においては,商売としてみなされることは意外に少ないと思われるからです。逆にいえば漱石にとっては,それは商売にすぎなかった,つまり生活の糧を入手する方法にすぎなかったのであり,よりよいと思われる条件を選択しただけのことであったのです。もし新聞屋が下卑た商売なら大学教授も下卑た商売であるといっているように,商売の中で高く評価されなければならないものはないと漱石は考えていました。
漱石が新聞屋を選んだのは,給与条件が自分にとって適していたからかもしれません。しかし,作家として活動するためには,お上が経営する大学教授より個人営業の新聞屋の方が適していると考えた可能性もあると僕は思うのです。
スピノザは「哲学する自由」という観点からハイデルベルク大学教授への招聘を断りました。同様に,「文学する自由」という観点から,漱石は大学教授から新聞屋に商売を変えたという見方も成り立つと思います。
僕が理解するところでは,ライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizは無神論を,純粋に思想的背景から把握します。このとき,理神論が無神論と等価か,少なくとも無神論の一種であることをライプニッツは肯定します。もちろんスピノザの哲学が理神論であることはいうまでもありません。ところがライプニッツは,行動を規準にする限り,スピノザが無神論者であったと考えません。むしろ敬虔pietasであったと考えています。スピノザとライプニッツは実際に面会していますから,その根拠はライプニッツ自身の経験にあったかもしれませんし,伝えられたスピノザの生活内容にあったかもしれません。とにかくスピノザの生活が放埓ではなかったことを,ライプニッツは肯定するのです。
ライプニッツのいい方だと,これは,無神論という思想を抱く人間が,無神論者として行動するわけではないことになります。僕のいい方に適合させれば,理神論者は無神論者であるわけではなく,少なくとも敬虔であり得るということになります。この見解opinioは,カルヴィニストとデカルト主義者とスピノザのうち,スピノザとだけ一致するのであり,カルヴィニストやデカルト主義者とは一致しません。この点において,確かにライプニッツの把握は,スピノザに近かったと僕は考えるのです。
ライプニッツはキリスト教に適合するような哲学の構築を目指しました。しかし当の本人は,それほど信仰心が強かったわけではないようです。『宮廷人と異端者The Courtier and the Heretuc : Leibniz,Spinoza,and the Fate of God in the Modern World』には,ライプニッツの助手であったエックハルトの証言として,地元の聖職者から何度も説教されていたにも関わらず,ライプニッツは1度として教会には行かなかったというエピソードが示されています。このためにライプニッツは不信心な人物と周りからみなされていたようで,埋葬式のときにも人がほとんど集まらなかったそうです。スチュアートMatthew Stewartは脚色を交えていると僕は思いますが,ライプニッツがキリスト教に深い信仰心を抱いてはいなかったというのは,事実とみなしてよいと僕は考えます。ライプニッツが理性ratioに依拠して神Deusを認識するcognoscere不信心な理神論者も敬虔であり得ると考えたのは,案外そんなところに理由があったかもしれません。
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