『悪霊』における作品内作者である記者の人物評は,物語そのものとは関連性が薄いステパン・トロフィーモヴィチ・ヴェルホヴェンスキーに対するものを除外すれば,わりと公平な視点に貫かれていると僕は読みました。実際,記者が冒頭で才能豊かで最も尊敬すべきという形容をヴェルホヴェンスキーに与えるとき,同時にこれは本題の物語のほんの前置きであると記述していて,そうであるから記者はヴェルホヴェンスキーにだけは,好感を抱いていることを隠す必要を感じなかったのだろうと僕は思うのです。

しかし,これとは異なった読解というのが存在しています。それは亀山郁夫の『謎解き『悪霊』』にみられるものです。
この中で亀山は,記者はヴェルホヴェンスキーとは親密な関係を有しているとしていて,これは僕と同じ見解です。もっとも,このことは『悪霊』を読めばだれでも気付くことだといえるでしょう。ですがもうひとり,記者はリーザにも強い好意を抱いているのであって,見方によっては恋している可能性もあるとしています。亀山は具体的なテクストをあげていないので,なぜそういえるのかは僕には分からないのですが,亀山ほどの人がそういうのですから,そう読解できる何らかの根拠があるものと思います。
僕には分からないのですが,その読解が正しいなら,リーザの死の場面で叫び声をあげたのが記者であるという可能性もあり得ることになるのではないでしょうか。リーザに恋していた記者が,直前までスタヴローギンと会っていたリーザに対して激しい憎悪に駆られ,リーザの身を危険に晒すということを承知の上でリーザをなじるということは,因果関係の序列としては非合理的ではないからです。つまりこのとき記者はリーザに対する恋心の裏返しとして,リーザを殺してやりたいと思うほどの憎しみを抱き,その欲望の代行をだれかがすることまで考慮に入れ,叫んだということがあり得ることになります。
前にもいいましたが,スタヴローギンが欲望の代行をさせた火事現場に,ミニ・スタヴローギンたる記者が存在したという読解は僕にはとても魅力的です。その魅力的な読解が成立する要素が,亀山の読解のうちにはあるのです。
母と妹が帰国したのは5月11日の水曜日でした。僕はこの日は午前中に本牧に行っただけで,午後は家にいました。もっとも,ふたりが家に着いたのは午後10時でしたから,この日の夕食までは僕ひとりだったことになります。
この渡米中,5月5日に伯母の夫の母,つまり伯母の義母が亡くなったそうです。もちろんこれは偶然で,具合が悪いと知って渡米したわけではありません。彼女が倒れたのは祖母の死があって伯母が来日していたとき,2011年12月で,そのまま緊急帰国しました。高齢でしたがこのときは回復し,退院後は老人ホームで暮らしていました。放置していたわけではなく,定期的に伯母は面会し,身の回りの世話もしていました。もっとも,伯母の夫には姉妹がいましたので,伯母がひとりでそうしたことのすべてをこなしていたわけではありません。もしそうであれば伯母はその後は来日することもままならなかったでしょう。とはいえ,それが伯母にとって負担となっていたのは事実で,母が渡米するようになったのは,負担をいくらかでも軽減するためであったのです。
死因とか,そのときの状況は僕はよく分かりません。ただ,こうしたいい方は不適切であるということは重々承知の上でいいますが,ちょうど最期のときに立ち合うことができ,葬儀にも参列できたのですから,このタイミングで渡米したのはよかったのではないでしょうか。
5月14日,土曜日。妹のピアノのレッスン。午後3時半から。これは前々日に先生から連絡があったものです。ただ,そのときは家にだれもいませんでしたので,留守番電話に入っていた連絡でした。
5月18日,水曜日。母と妹が美容院へ。本当なら15日の日曜日に行きたかったのですが,その日は予約が取れませんでした。水曜日は妹がほかの日よりも1時間早く作業を終了しますので,その分だけ早く帰ることができる日を選んだようです。母が根岸駅まで迎えに行ってそのまま美容院に直行したとのこと。僕はこの日は川崎で,午後5時20分に帰りましたが,ふたりは不在でした。帰ったのは午後6時半でした。なおこの日の午前中,母は歯科検診にも行っています。

しかし,これとは異なった読解というのが存在しています。それは亀山郁夫の『謎解き『悪霊』』にみられるものです。
この中で亀山は,記者はヴェルホヴェンスキーとは親密な関係を有しているとしていて,これは僕と同じ見解です。もっとも,このことは『悪霊』を読めばだれでも気付くことだといえるでしょう。ですがもうひとり,記者はリーザにも強い好意を抱いているのであって,見方によっては恋している可能性もあるとしています。亀山は具体的なテクストをあげていないので,なぜそういえるのかは僕には分からないのですが,亀山ほどの人がそういうのですから,そう読解できる何らかの根拠があるものと思います。
僕には分からないのですが,その読解が正しいなら,リーザの死の場面で叫び声をあげたのが記者であるという可能性もあり得ることになるのではないでしょうか。リーザに恋していた記者が,直前までスタヴローギンと会っていたリーザに対して激しい憎悪に駆られ,リーザの身を危険に晒すということを承知の上でリーザをなじるということは,因果関係の序列としては非合理的ではないからです。つまりこのとき記者はリーザに対する恋心の裏返しとして,リーザを殺してやりたいと思うほどの憎しみを抱き,その欲望の代行をだれかがすることまで考慮に入れ,叫んだということがあり得ることになります。
前にもいいましたが,スタヴローギンが欲望の代行をさせた火事現場に,ミニ・スタヴローギンたる記者が存在したという読解は僕にはとても魅力的です。その魅力的な読解が成立する要素が,亀山の読解のうちにはあるのです。
母と妹が帰国したのは5月11日の水曜日でした。僕はこの日は午前中に本牧に行っただけで,午後は家にいました。もっとも,ふたりが家に着いたのは午後10時でしたから,この日の夕食までは僕ひとりだったことになります。
この渡米中,5月5日に伯母の夫の母,つまり伯母の義母が亡くなったそうです。もちろんこれは偶然で,具合が悪いと知って渡米したわけではありません。彼女が倒れたのは祖母の死があって伯母が来日していたとき,2011年12月で,そのまま緊急帰国しました。高齢でしたがこのときは回復し,退院後は老人ホームで暮らしていました。放置していたわけではなく,定期的に伯母は面会し,身の回りの世話もしていました。もっとも,伯母の夫には姉妹がいましたので,伯母がひとりでそうしたことのすべてをこなしていたわけではありません。もしそうであれば伯母はその後は来日することもままならなかったでしょう。とはいえ,それが伯母にとって負担となっていたのは事実で,母が渡米するようになったのは,負担をいくらかでも軽減するためであったのです。
死因とか,そのときの状況は僕はよく分かりません。ただ,こうしたいい方は不適切であるということは重々承知の上でいいますが,ちょうど最期のときに立ち合うことができ,葬儀にも参列できたのですから,このタイミングで渡米したのはよかったのではないでしょうか。
5月14日,土曜日。妹のピアノのレッスン。午後3時半から。これは前々日に先生から連絡があったものです。ただ,そのときは家にだれもいませんでしたので,留守番電話に入っていた連絡でした。
5月18日,水曜日。母と妹が美容院へ。本当なら15日の日曜日に行きたかったのですが,その日は予約が取れませんでした。水曜日は妹がほかの日よりも1時間早く作業を終了しますので,その分だけ早く帰ることができる日を選んだようです。母が根岸駅まで迎えに行ってそのまま美容院に直行したとのこと。僕はこの日は川崎で,午後5時20分に帰りましたが,ふたりは不在でした。帰ったのは午後6時半でした。なおこの日の午前中,母は歯科検診にも行っています。
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