第80回桜花賞。
逃げたのはスマイルカナ。ナイントゥファイブ,マルターズディオサ,サンクテュエール,レシステンシアの4頭がその後ろの集団を形成。6番手の集団にウーマンズハート,リアアメリア,ミヤマザクラ,ヤマカツマーメイドの4頭。10番手の集団はクラヴァシュドール,インターミッション,エーポスの3頭。その後ろにデアリングタクト。ここからは3馬身ほど開き,ケープコッドとマジックキャッスル。あとはフィオリキアリ,チェーンオブラブと続き最後尾にヒルノマリブ。前半の800mは46秒5の超ハイペース。
3コーナーではレシステンシアが単独の2番手に。ここから逃げたスマイルカナと共に単独の3番手となったマルターズディオサに2馬身ほどの差をつけ,直線に入ってもこの2頭の競り合い。競り勝ったのはレシステンシアで一旦は先頭。マルターズディオサは前の2頭に追いつくことができず,その外から追い込んできたのがデアリングタクト。そのままレシステンシアを差し切って優勝。1馬身半差の2着にレシステンシア。1馬身4分の3差の3着にスマイルカナ。
優勝したデアリングタクトはここまで新馬,オープンと連勝。前走は強敵が相手ではなかったのですが,4馬身もの差をつけての勝利でしたから,未知の魅力はありました。ペースはものすごく速かったのですが,先行した2頭が粘ったレースを後方から追い込んで勝ったのですから,このメンバーの中では相当の能力の持ち主であったと判断するのが妥当かと思います。父は2012年にラジオNIKKEI杯2歳ステークス,2013年に神戸新聞杯と菊花賞,2014年にジャパンカップを勝ったエピファネイアでその父がシンボリクリスエスで母はシーザリオ。母の父はキングカメハメハ。祖母は2006年にクイーンステークスと府中牝馬ステークス,2007年に府中牝馬ステークスを勝ったデアリングハート。Daring Tactは大胆な戦術。
騎乗した松山弘平騎手は2017年の皐月賞以来の大レース3勝目。管理している杉山晴紀調教師は2018年のJBCクラシック以来の大レース2勝目。
アルチュセールLouis Pierre AlthusserがゲルーMartial Gueroultに対して抱いていた不満の正体が本当はどういう点にあったかは,ここまでの論考から見当がつくと思います。実際には『〈内在の哲学〉へ』で触れられているように,アルチュセールはゲルーのスピノザ論が非政治的である,ノンポリであるから不満を感じたのではありません。それがアルチュセール自身の立場を基礎づけるようなスピノザ論となっていなかったから不満を感じたのです。僕が予測したいい方をすれば,ゲルーのスピノザ論が,プロレタリアートの哲学論とはなっていなかったから不満を感じたのです。

このことは次のことから明らかにすることができます。もしアルチュセールが感じていた不満が,ゲルーのスピノザ論が非政治的であるという点にあったのだとすれば,ゲルーのスピノザ論に何らかの意味で政治的な要素を発見することができれば,アルチュセールはそれに対して不満を感じることがなかったと理解しなければなりません。そしてそれが成立するのであれば,そういうスピノザ論というものが現実的に可能であるかどうかということは別にして,もしもゲルーのスピノザ論が,何らかの意味においてブルジョアジーの哲学を補強するような,あるいはブルジョアジーの哲学と協力関係にあるようなものとして展開されていたのであれば,アルチュセールはそれに対して不満を感じることはなかったと結論しなければなりません。僕がいうプロレタリアートの哲学というのが政治的なものであるとアルチュセールによってみられるのであれば,アルチュセール自身が現象学や実存主義に対してそのようなレッテルを貼ったブルジョアジーの哲学もまた,政治的なものとしてみられなければならないということはそれ自体で明らかだからです。というか,僕はこうした観点から,アルチュセールがブルジョアジーの哲学といった哲学に対立する哲学を,プロレタリアートの哲学と名付けたのです。
しかし実際にこのようなことが成立するとは思えません。むしろゲルーのスピノザ論がブルジョアジーの哲学に与するようなスピノザ論であったなら,アルチュセールは非政治的とみた場合よりも大きな不満を抱いたことでしょう。
逃げたのはスマイルカナ。ナイントゥファイブ,マルターズディオサ,サンクテュエール,レシステンシアの4頭がその後ろの集団を形成。6番手の集団にウーマンズハート,リアアメリア,ミヤマザクラ,ヤマカツマーメイドの4頭。10番手の集団はクラヴァシュドール,インターミッション,エーポスの3頭。その後ろにデアリングタクト。ここからは3馬身ほど開き,ケープコッドとマジックキャッスル。あとはフィオリキアリ,チェーンオブラブと続き最後尾にヒルノマリブ。前半の800mは46秒5の超ハイペース。
3コーナーではレシステンシアが単独の2番手に。ここから逃げたスマイルカナと共に単独の3番手となったマルターズディオサに2馬身ほどの差をつけ,直線に入ってもこの2頭の競り合い。競り勝ったのはレシステンシアで一旦は先頭。マルターズディオサは前の2頭に追いつくことができず,その外から追い込んできたのがデアリングタクト。そのままレシステンシアを差し切って優勝。1馬身半差の2着にレシステンシア。1馬身4分の3差の3着にスマイルカナ。
優勝したデアリングタクトはここまで新馬,オープンと連勝。前走は強敵が相手ではなかったのですが,4馬身もの差をつけての勝利でしたから,未知の魅力はありました。ペースはものすごく速かったのですが,先行した2頭が粘ったレースを後方から追い込んで勝ったのですから,このメンバーの中では相当の能力の持ち主であったと判断するのが妥当かと思います。父は2012年にラジオNIKKEI杯2歳ステークス,2013年に神戸新聞杯と菊花賞,2014年にジャパンカップを勝ったエピファネイアでその父がシンボリクリスエスで母はシーザリオ。母の父はキングカメハメハ。祖母は2006年にクイーンステークスと府中牝馬ステークス,2007年に府中牝馬ステークスを勝ったデアリングハート。Daring Tactは大胆な戦術。
騎乗した松山弘平騎手は2017年の皐月賞以来の大レース3勝目。管理している杉山晴紀調教師は2018年のJBCクラシック以来の大レース2勝目。
アルチュセールLouis Pierre AlthusserがゲルーMartial Gueroultに対して抱いていた不満の正体が本当はどういう点にあったかは,ここまでの論考から見当がつくと思います。実際には『〈内在の哲学〉へ』で触れられているように,アルチュセールはゲルーのスピノザ論が非政治的である,ノンポリであるから不満を感じたのではありません。それがアルチュセール自身の立場を基礎づけるようなスピノザ論となっていなかったから不満を感じたのです。僕が予測したいい方をすれば,ゲルーのスピノザ論が,プロレタリアートの哲学論とはなっていなかったから不満を感じたのです。

このことは次のことから明らかにすることができます。もしアルチュセールが感じていた不満が,ゲルーのスピノザ論が非政治的であるという点にあったのだとすれば,ゲルーのスピノザ論に何らかの意味で政治的な要素を発見することができれば,アルチュセールはそれに対して不満を感じることがなかったと理解しなければなりません。そしてそれが成立するのであれば,そういうスピノザ論というものが現実的に可能であるかどうかということは別にして,もしもゲルーのスピノザ論が,何らかの意味においてブルジョアジーの哲学を補強するような,あるいはブルジョアジーの哲学と協力関係にあるようなものとして展開されていたのであれば,アルチュセールはそれに対して不満を感じることはなかったと結論しなければなりません。僕がいうプロレタリアートの哲学というのが政治的なものであるとアルチュセールによってみられるのであれば,アルチュセール自身が現象学や実存主義に対してそのようなレッテルを貼ったブルジョアジーの哲学もまた,政治的なものとしてみられなければならないということはそれ自体で明らかだからです。というか,僕はこうした観点から,アルチュセールがブルジョアジーの哲学といった哲学に対立する哲学を,プロレタリアートの哲学と名付けたのです。
しかし実際にこのようなことが成立するとは思えません。むしろゲルーのスピノザ論がブルジョアジーの哲学に与するようなスピノザ論であったなら,アルチュセールは非政治的とみた場合よりも大きな不満を抱いたことでしょう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます