スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

NOAHを創った男&自己原因と原因

2011-09-18 18:31:52 | NOAH
 『読む全日本プロレス』が全日本プロレスに残った立場からNOAHの旗揚げの頃の事情に言及しているのに対し,NOAHに移った側から当時の状況を語っているものに『NOAHを創った男』があります。基本的に仲田龍の証言を本多誠がまとめたという体裁で,巻末には仲田と和田京平の対談も収録されています。
                         
 和田が明らかにしたところによれば,三沢は馬場の存命中から元子夫人について進言していたとありました。仲田によればこれは1998年頃とのこと。馬場が死んだのは1999年1月31日ですから,もう最晩年にあたります。ただ仲田の話ですと,三沢はその2年前くらいからは元子夫人に直接的に意見したことがあり,ふたりの間の亀裂はその頃には発生していたそうです。
 三沢がどう思っていたかは不明ですが,仲田の説明は,三沢の行動は本人単独の意志というよりも,レスラーの総意に基づいたもので,要するに中間管理職の立場にあるような人間が,部下の意志を代表して上司に進言したものであるというような内容になっています。三沢は馬場には可愛がられていたので,もしもこうした行動を取らなければ,すんなりと三沢が馬場の後継者になっていたのではないかというのが仲田の考え方のようです。
 和田は,元子夫人も含めて馬場を支えたのに対し,三沢や仲田はそうではなかったという主旨のことを述べていますが,このことは少なくとも仲田自身については真実であったよう。仲田自身,自分は馬場のために働いているのであって,元子夫人のためではないという主旨のことを,元子夫人自身や和田にも言ったことがあるそうです。
 こちらはあくまでもNOAHに移った人間の証言です。したがって読解する場合にもそうしてフィルターを通す必要はやはりあるのだろうと思います。

 このコペルニクス的転換は,第一部定義一第一部公理三との間にあるであろう関係を以下のように説明することとなるでしょう。
 第一部公理三というのは,原因と結果とが別のものであるような場合にのみ適用することが可能な公理Axiomaではなく,自己原因causa suiにも適用されなければならない公理です。実際に第一部公理三が示していることは,結果が発生するためにはその原因が存在するのでなければならないということです。ところで自己原因というのは,それ自身の本性natura,essentiaのうちにそれ自身の発生が含まれているようなもの,いい換えればそれ自身が発生するためにそれ自身が原因となっているもののことです。したがってこれは第一部公理三に則して発生しているということになるでしょう。
 しかしながら,第一部公理三は一般的な意味で原因と結果との間にある必然的な関係についての言及です。ところがすでにみたように,原因と結果が別であるようなものに対しては,自己原因が本性の上で先行します。したがって,第一部公理三の立場に立って第一部定義一について考えるのではなく,第一部定義一の立場に立って,そこから第一部公理三の意味を把握するのでなければなりません。このことはスピノザの哲学の方法論からもそうでなければならないということになるでしょう。つまりスピノザは方法論としては演繹法を採用します。いい換えれば,原因から結果へと辿っていくような方法,本性の上で先行するものから後発するものへと進んでいくような方法を採用するのであって,その逆ではありません。原因と結果が別のものであるような,あるいは別のものであり得るようなものから自己原因について考えることが,主客の転倒をもたらすというのは,このことからも理解できます。そうではなくて,自己原因によって原因と結果とが別のものであるような場合の原因について考えることが,演繹法であるということになります。よって,第一部定義一の立場に立って,第一部公理三について考えなければならないということになるのです。
 そこで,第一部公理三というのは,原因と結果とが別のものであるようないかなる場合にも適用されなければなりません。そのことを第一部定義一から考えるなら,どういったことが帰結してくるのでしょうか。
コメント
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