スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

神奈川新聞社賞戸塚記念&十全な観念

2011-09-02 20:47:19 | 地方競馬
 週初めから台風の影響が懸念された第40回戸塚記念でしたが,幸いにも開催には影響はありませんでした。
                         
 ヴェガスの発馬が悪く最後尾に。先手を奪ったのはナターレでしたが,1周目の3コーナーを回るとペースが落ち,ハバナマティーニ,ファジュル,エースフォンテン,タイセイヴィグラスまではほとんど差がなく続きました。
 ヴェガスは1コーナーを回ると早くも進出を開始。直線の入口では逃げるナターレの2番手まで押し上げましたがここまでで一杯。内からカンユウが2番手に上がりましたがこちらも目立った脚ではなく,悠々と逃げ切ってナターレの優勝。結果的にヴェガスが先行勢を一掃したようなレースとなり,2着は後方2番手から大外を追い込んだゴールドスガで,僅差の3着にも後方で待機していたハルサンサン。
 優勝したナターレは4月のクラウンカップ以来の勝利で南関東重賞2勝目。実績からは優勝候補の1頭。個人的には距離を案じていましたが,楽な逃げに持ち込んで克服しました。ロジータ記念を目標にするものと思われますが,牡馬相手に川崎で南関東重賞2勝ですから,有力馬の一角を占めることとなるでしょう。父はクロフネ,母の父がダンスインザダークで,祖母の姉にセントウルステークスを勝ち,フサイチゼノン,アグネスゴールド,リミットレスビッドと3頭の重賞勝ち馬の母となったエリザベスローズ。Nataleはイタリア語でクリスマス。
 騎乗した大井の的場文男騎手は5月の川崎マイラーズ以来の南関東重賞制覇で2005年以来の戸塚記念3勝目。管理している川崎の内田勝義調教師は初勝利。

 一方,僕がこのようにして人間の精神のうちに球の観念が形成される場合に,それを精神の能動とみなすのか精神の受動とみなすのかと問われるなら,これは精神の能動であると答えます。つまりこの球の場合では,僕とマシュレの間で意見の統一が図れるであろうと僕は考えているのです。
 僕がこれを精神の能動とみなす根拠を説明しましょう。簡単にいいますと,『知性改善論』の当該部分において,スピノザはこうして人間の精神のうちに形成される球の観念について,それは真の観念であるといっています。つまり第二部定義四によってこれは球の十全な観念なのです。しかるに僕は,人間の精神のうちにある十全な観念が生じるならば,それは人間の能動であると考えています。だからこの場合にもこれを人間の精神の能動であると結論します。
 ただし,ここではいくつかの注意点があります。そのうち最初のものは,十全な観念というものが,それ自体の内的特徴として含んでいるとされるようなものが,『エチカ』ないしはスピノザの哲学においてどのように規定されているのかということです。スピノザがそれを真の観念といっているからそれは十全な観念であるというのでは,あまりに根拠として薄弱でしょうから,これについてはきちんと考えておかなければなりません。
 スピノザの哲学において,ものの定義というのは,そのものの本性と発生とを含んでいなければならないというのが原則になっています。僕はこのことが,十全な観念にも妥当しなければならないと考えます。というのは,あるものの本性からは,そのものの諸々の特質が必然的に導き出されるのですが,ものの十全な観念というのは,そのものの特質というものがそこから必然的に導かれるような観念でなければならず,したがってあるものの特質の十全な観念というのはそのもの自体の十全な観念ではなく,そうした特質の十全な観念がそこから必然的に導かれるような観念,すなわちものの本性の十全な観念というものこそ,そのもの自体の十全な観念であると考えるからです。しかしそのとき,そのものの本性を十全に表現するのは,そのものの発生を含むような観念だけであると思うのです。
コメント
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