スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東日本大震災被災地支援青森記念&第一部定理二六

2011-09-26 18:51:52 | 競輪
 初日には坂本勉選手の引退セレモニーも執り行われた青森記念は今日が決勝。並びは佐藤友和-成田-佐藤康紀の北日本,平原-関の関東,小嶋-坂上の石川,坂本-柏野の西国。
 坂本がスタートを取りにいきましたが,外から坂上が誘導の後ろに入り小嶋の前受けに。坂本が3番手,佐藤が5番手,平原が8番手で周回。残り2周のホームの手前から平原が上昇,ホームで小嶋を叩くと佐藤が続き,坂本がこの後ろを確保し引いた小嶋が8番手となりバック。打鐘から佐藤が発進。平原は際立った抵抗はなくこのラインがかましきって先行。ホームから小嶋が巻き返すと,坂上は離れたものの成田の牽制を乗り越えて捲り,そのまま千切って優勝。逃げた佐藤が2着に残り,佐藤マークの成田が3着。
 優勝した石川の小嶋敬二選手は昨年11月の観音寺記念以来となる記念競輪30勝目。年齢的な面もあるでしょうが,同じ力を安定して発揮するのが難しくなってきているように思えますが,マックスの力が出ると今日のように非常に強い競走がまだできます。縦の競走のみで,横に動きませんから相手が作戦を立てやすいところもあり,かつてのように脚力で連戦連勝とはいかないでしょうが,記念競輪はまだどこかで勝てるものと思います。

 拡大解釈となってしまうおそれは否めないのですが,もしもスピノザが第一部定理二五備考および第一部定理二八備考で示している事柄の両様の意味を併せもっていると考えることができるような定理というものを『エチカ』の中から探し出そうとすれば,それは第一部定理二六をおいてほかにはないだろうというのが現時点での僕の結論です。
 「ある作用をするように決定された物は神から必然的にそう決定されたのである。そして神から決定されない物は自己自身を作用するように決定することができない」。
 これはスピノザ自身が証明の中でいっていることと同じですが,この定理の後半部分というのは,もしもそれが成立しないと仮定するなら,つまり,神から決定されていないものが自身をある作用に決定することができるとすれば,今度は前半部分が成立しなくなってしまいます。したがって,この定理というのは,その前半部分が証明されさえすれば,後半部分も証明されたということになります。
 実はこの定理のスピノザによる証明には,ある興味深い視点が導入されています。しかもこれはマシュレによるスピノザの哲学の考察とも関係します。一言でいってしまえばこれは『エチカ』において,働くということと作用するということをどのように考えるべきなのかということなのですが,これは現状の考察そのものにはほとんど関係してきませんから,ここでは省略します。このことについてこの定理周辺のいくつかの定理を分析したものとして,現代思想の1996年11月号の臨時増刊の総特集スピノザの中に桜井直文による「スピノザのマテリアリスム」という非常によくまとまった良質の論文がありますので,関心があればそれを熟読してください。
                         
 ここではこの定理は第一部定理一五から明らかであるとしておきます。というのは,もしも神から決定されないものAがある作用をなすとするなら,この作用の結果として何らかの事物,たとえばBが発生してくるでしょう。すると第一部公理四により,Bの認識のためにはAの認識だけが必要であり,神の認識は不要であるということになります。しかしこれが第一部定理一五に反しているということは,それ自体で明らかだと思います。
コメント
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