スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東京スプリント&条件

2021-04-15 19:09:01 | 地方競馬
 昨晩の第32回東京スプリント
 キャンドルグラスが好発でしたがすぐに控えました。先手を奪いにいったのはベストマッチョ,サイクロトロン,ヒロシゲゴールドの3頭。枠なりにベストマッチョ,サイクロトロン,ヒロシゲゴールドという並びになりましたが,この3頭は集団。3馬身差でリュウノユキナ。5番手にグランドボヌール。6番手にブルミラコロとノボバカラ。8番手にサブノジュニアとキャンドルグラス。10番手にクロスケ。11番手にイモータルスモークでこの8頭は一団。3馬身差でトロヴァオ。13番手にドーヴァー。4馬身差でナイトオブナイツとナリタスターワン。前半の600mは33秒9の超ハイペース。
 前の3頭に対してリュウノユキナが早めに追い掛けていき,4頭が横に並ぶ形で直線に。サイクロトロン,ベストマッチョ,ヒロシゲゴールドの順で一杯になり,リュウノユキナが単独の先頭に。差し込んできたのは馬群を捌いてきたサブノジュニア,外を回ったノボバカラ,さらにその外から伸びたキャンドルグラスの3頭。サブノジュニアが最も詰め寄り,リュウノユキナに並ぶところまでいきましたが,ぎりぎりで残したリュウノユキナが優勝。サブノジュニアがアタマ差で2着。キャンドルグラスが4分の3馬身差で3着。ノボバカラがクビ差で4着。
 優勝したリュウノユキナはこれが重賞初挑戦での勝利。北海道でデビューし2歳のときにJRAに遠征してオープンを勝つなど,早くから活躍していました。JRAに転入してからは徐々に力をつけてきて,昨年9月にオープンで2着になると次のレースも2着。その後にオープンを連勝してここに出走していました。強い雨風の中でのレースでしたので,おそらく先行した馬にはペース以上に不利だったと思われ,その3頭を最も早く追い掛けていき,後続の追い上げを僅かとはいえ凌いだという内容は強かったです。2着馬よりは斤量が2キロ軽かったので,能力で上回っているとは断定できませんが,ダートの1200mのレースでは今後も大きく崩れることなく戦っていくことができるでしょう。父はヴァーミリアン。母の父はクロフネビューチフルドリーマーワールドハヤブサの分枝。母のふたつ上の半姉に2007年にTCK女王盃を勝ったサウンドザビーチ
 騎乗した柴田善臣騎手は東京スプリント初勝利。管理してる小野次郎調教師は第27回以来5年ぶりの東京スプリント2勝目。

 柏葉がいっていることは,それ特有の弱点を抱えていますが,それ自体で不条理なことをいっているわけではありません。とはいえ,神Deusの無限な観念ideaが存在する限りにおいて必然的にnecessario存在する個物res singularisの観念が,現実的に存在することが不可能であるということは,論理的に可能であるだけであり,確かにそのような個物の観念が存在することを確定させるわけではありません。すでにいったように,僕はこのことについては人間の精神mens humanaにとっては不明であると結論するほかないと考えているので,確定させることについて何か結論を出すわけではありませんが,これを解決するためのヒントや条件がどのようなものであるかということについて,いくらかの見解opinioを示しておくことにします。
                                   
 柏葉の論文の中心は,第五部定理二二をどのように解釈するべきなのかという点にあるのですが,僕の考えでは,この第五部定理二二そのものが,この問題に対してある条件をつきつけています。この定理Propositioは,現実的に存在する人間の身体humanum corpusの本性essentiaを永遠の相species aeternitatisの下に表現するexprimere観念が神のうちにあるといっています。現実的に存在する人間の身体の本性とは,個々の人間の現実的本性actualis essentiaにほかなりません。つまり,人間の現実的本性,第二部定理八でいわれている,形相的本性essentia formalisとは異なったものとして解されなければならない現実的本性を,永遠の相の下に表現する観念は,神のうちにあるのです。
 次に,スピノザはこの定理の証明Demonstratioの冒頭で,第一部定理二五に訴えています。第一部定理二五は,神は人間の形相的本性の原因causaであるということだけを意味しているのではなく,神は人間の現実的本性の原因であるという意味も含んでいるといわなければなりません。そして第一部定理二五は,一般に神は個物の本性の原因であるということをいっていると解されなければなりません。よって単に人間の身体の現実的本性の原因が神であるわけではなく,すべての個物の現実的本性の原因が神であることになります。よってこのことに訴求して論証される第五部定理二二についても,単に現実的に存在する人間の身体の本性だけでなく,現実的に存在するすべての個物の本性に妥当しなければなりません。
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ブリリアントカップ&特有の弱点

2021-04-14 19:23:39 | 地方競馬
 昨晩の第4回ブリリアントカップ
 ミスディレクションが逃げてリンゾウチャネルが追い掛けていく形。この2頭で4馬身くらいのリード。3番手にはインペリシャブルとフィアットルクス。5番手にエメリミットとキャプテンキング。7番手にノーブルサターン。8番手にゴールドホイヤーとストライクイーグル。3馬身差でブラヴール。2馬身差でサルサレイアとトーセンブルとサブノクロヒョウ。14番手にナムラアラシ。3馬身差でハセノパイロ。4馬身差の最後尾にブレスジャーニー。最初の800mは49秒2のミドルペース。
 3コーナーでミスディレクションが一杯になり,リンゾウチャネルが単独の先頭に。追ってきたのがノーブルサターンとフィアットルクスの2頭。直線はこの3頭で一旦は後ろを離しての競り合い。外のフィアットルクスが制して優勝。真中のノーブルサターンが1馬身差で2着。内のリンゾウチャネルが半馬身差で3着。この3頭に迫ったのは直線入口ではまだ後ろの方にいた馬たち。その中からトーセンブルがクビ差まで迫って4着。
 優勝したフィアットルクスは2017年12月にJRAでデビュー。未勝利のまま翌年の秋に大井に転入。転入後に6連勝し,2着2回を挟んでまた4連勝。昨年の夏に4着になったのが唯一の着外でそこからまた前走のこのレースのトライアルまで3連勝して南関東重賞に初挑戦。すでに勝っている馬が多くいましたが,この成績ですから1番人気に支持され,見事にそれに応えて優勝しました。このレースは斤量に恵まれていましたし,馬場の状態が結果に大きく左右したと思われますから,メンバーの中で能力が最上位だったと結論するのは早計かと思いますが,少なくともこのレベルで十分に戦える能力があるということは実証したといえるでしょう。父はゴールドアリュール。Fiat Luxはラテン語で光あれ。
 騎乗した船橋の本橋孝太騎手は雲取賞以来の南関東重賞20勝目。ブリリアントカップは初勝利。管理している大井の藤田輝信調教師は南関東重賞19勝目。第3回からの連覇でブリリアントカップ2勝目。

 必然と不可能がスピノザの哲学において一般的に反対概念を形成していること,そしてそのために,そこから帰結している第一部定理一六の意味も一般的に解されなければならないので,神Deusの無限な観念ideaが存在する限りにおいて存在するといわれる個物res singularisの観念にも適用されなければならないし,現実的に存在しているといわれる個物の観念にも適用されなければならないのだとしたら,柏葉の主張,すなわち,神の無限な観念が存在する限りにおいて存在するといわれる個物の観念のすべてが現実的に存在することはないということのうちには,神の無限な観念が存在する限りでは必然的にnecessario存在する個物の観念のうちに,現実的に存在することが不可能な個物の観念があるということになります。この主張が特有に抱えていると僕が考えている弱点がこのことです。
                                   
 このことがそれ自体で不条理であるわけではありません。なぜなら,第二部定理九によれば,ある個物の観念が現実的に存在するとき,その個物の観念の起成原因causa efficiensはそれとは別の現実的に存在する個物の観念です。ですがこのことは,あくまでも個物の観念が現実的に存在する場合に適用されなければならないのであって,個物の観念が神の無限な観念が存在する限りで存在するといわれる場合には適用されません。むしろ個物の観念が神の無限な観念が存在する限りにおいて存在し,そしてその限りにおいてのみ存在する,いい換えれば現実的には存在しないという場合は,第二部定理九は適用されるべきではないといった方がいいでしょう。このことから神の無限な観念が存在する限りにおいて存在する個物の観念に,第二部定理九が適用されないということは,個物の観念が現実的に存在する場合も妥当するということになるでしょう。したがって,個物の観念が神の無限な観念が存在する限りにおいて存在するといわれる場合の秩序ordoと連結connexioは,個物の観念が現実的に存在する場合の秩序と連結と一致しません。このために前者の秩序と連結においては必然だけれど,後者の秩序と連結においては必然ではなく不可能であるということはあり得るでしょう。なので柏葉の主張がそれ自体で不条理というわけではないのです。
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ウイニングチケット&弱点

2021-04-13 19:16:49 | 名馬
 大阪杯を勝ったレイパパレの祖母の父はウイニングチケットです。3つ下の半弟に1995年にラジオたんぱ杯3歳ステークス,1996年にきさらぎ賞を勝ったロイヤルタッチ
                                        
 デビューは2歳9月。芝1200m戦で敗れると連闘の芝1800m戦で初勝利。暮れの中山で芝2000mの特別,オープンと連勝しました。
 3歳初戦は弥生賞。4連勝でこれを制して重賞初制覇。1番人気に推された皐月賞は4着に負けましたが,続けて1番人気に推されたダービーを制覇しました。
 秋の初戦は京都新聞杯でこれを勝って重賞3勝目。菊花賞は3着。ジャパンカップに出走して3着。さらに有馬記念にも出走しましたがこれはトウカイテイオーの11着でした。
 4歳初戦は高松宮杯で5着。オールカマーで2着になって天皇賞(秋)に向いましたが8着。これで引退となりました。
 ダービーを最大の目標とした面があり,その目標は達成しましたが,それで燃え尽きてしまったというような成績。ダービー馬という頂点には立ちましたが,世代で最強馬ではなかったと思っています。
 種牡馬としては大成功とはいきませんでした。それでも産駒のベルグチケットは,1999年にフェアリーステークスを勝っています。

 神Deusの無限な観念ideaが存在する限りで存在するといわれる個物res singularisの観念のすべてが,現実的に存在するようになると主張することが抱えている弱点は,柏木が指摘している通りですから,改めて詳しく述べる必要はないでしょう。第二部定理八備考の円と長方形の比喩を,そのまま神の無限な観念と個物の観念に適用するなら,確かにそのすべてが現実的に存在するようになるという主張は不条理です。また,仮に僕の見解opinioの通り,スピノザがこの比喩によってそのことまでを意味しようとする意図をもっていなかったのだとしても,第一部公理三の弱い意味のうちには,一定の原因causaが与えられなければ結果effectusが発生することはないということが確実に含まれていて,現実的に存在する個物の観念の原因が,その個物の観念とは別の個物の観念でなければならない以上,その原因のすべてを人間の精神mens humanaが認識するcognoscereことはできない,他面からいえばそのすべてを人間の精神が認識することができるということは不条理なのですから,この主張は裏付けられ得ないというはっきりとした弱点を抱えていることになります。
 一方,神の無限な観念が存在する限りで存在するといわれている個物の観念のすべてが現実的に存在するわけではないという主張は,必然と不可能がスピノザの哲学においては反対概念を形成するという観点から,この主張に特有の,つまり,すべての個物の観念が現実的に存在するという主張には含まれていないような弱点を抱えていると僕は考えます。このとこは柏葉の論文では十分に指摘されているとはいえないので,僕の方から詳しく説明することにします。
 必然と不可能が反対概念であるということは,スピノザの哲学においては一般的な原理のひとつです。ですからこのことを個物の観念に適用するとするなら,個物の観念が神の無限な観念が存在する限りにおいて存在するといわれる場合にも妥当しなければなりませんし,個物の観念が現実的に存在するという場合にも適用されなければなりません。そして第一部定理一六の意味は,この一般的原理から導かれているのですから,この意味もまた,そのふたつのどちらの場合にも成立するのでなければなりません。
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桜花賞・海老澤清杯&結論

2021-04-12 19:04:45 | 競輪
 昨晩の川崎記念の決勝。並びは松井‐郡司‐松谷の神奈川,古性‐南の大阪,清水‐桑原の山口,山崎に佐々木。
 桑原と清水がスタートを取りにいきました。同じラインですから清水の前受けに。3番手に松井,6番手に古性,8番手に山崎で周回。残り2周のホームの入口から山崎が上昇開始。佐々木の後ろに古性が続きました。しかし清水に並び掛けようかというところから清水が突っ張ったため,山崎は引くことに。これをみて3番手にいた松井がバックから発進。打鐘でラインの3人が清水を叩いて先行。4番手に清水,6番手に古性,8番手に山崎の一列棒状に。後方になってしまった山崎はホームから発進し,これに合わせて古性も発進。しかし追いつく前に4番手の清水がバックから発進したために,後方になったラインは不発。松井との車間を開けていた郡司が清水に合わせて発進。清水を前に出させることなく優勝。マークの松谷が1車身差の2着に続いて神奈川のワンツー。清水が1車身差で3着。
 優勝した神奈川の郡司浩平選手は当地で行われた2月の全日本選抜競輪以来の優勝。記念競輪は昨年10月の熊本記念以来となる11勝目。川崎記念は2017年2019年に優勝していて2年ぶりの3勝目。このレースは松井の先行が有力。だれかに絡まれない限りは郡司が有利。絡むとすれば古性だと思っていましたが,展開の上でそれが不可能になり,郡司が無風で番手を回りました。清水も脚力はありますが,松井クラスの選手の先行を郡司に番手から出られては,3着でも仕方がなかったように思います。

 すべての個物res singularisの観念ideaについて,それが現実的に存在するための起成原因causa efficiensが与えられるかどうかは人間の精神mens humanaによって認識するcognoscereことができないとすれば,少なくともこの観点からは,神Deusの無限な観念が存在する限りにおいて存在するといわれる個物の観念のすべてが,現実的に存在するようになるかどうかは人間には分からないと結論するほかありません。したがって柏葉がいっている通りに,もし標準的解釈が,そうした個物の観念のすべてが現実的に存在するようになるということを前提しなければ成立しないのであれば,標準的解釈は失敗しているといわざるを得ないだろうと僕は考えます。ただし一方で,このことは人間には分からないというだけであって,神の無限な観念が存在する限りにおいて存在するといわれる個物の観念のすべてが,現実的に存在するようになるわけではないということを意味しているわけではありません。むしろそうである可能性も排除することはできないというのが結論になります。よって柏葉は,第二部定理八備考の読解から,そうした観念のすべてが現実的に存在するようになるわけではないといっているわけですが,その読解の正当性は,この観点からは正当化することができないことになります。つまり,この観点から帰結することは,柏葉の解釈の通りであれば標準的解釈は明らかに失敗しているけれど,柏葉の主張が正しいわけでもないということです。
                                   
 ですからこのことについて何らかの結論を出そうと思うのであれば,それとは別の論理によって帰結させるほかないということになります。柏葉による第二部定理八備考の読解がそうした手法のひとつであることは僕も認めますが,その読解自体が正しいと結論することはできないということおよびその理由についてはすでに説明した通りです。なのでここでは,このことは人間の精神によっては不明であるということだけを結論としておきましょう。現状の考察の目的からすれば,これ以外の観点に着目してこの問いに対する正確な解答を導くこと自体はさほど重要ではないからです。ただ,どちらの解釈も弱点を抱えているとは思いますので,それについては説明しておきましょう。
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桜花賞&現実的存在の原因

2021-04-11 19:01:35 | 中央競馬
 第81回桜花賞
 好発はソダシでしたがすぐにストゥーティがハナを奪い,控えたソダシが2番手。3番手にはジネストラ。4番手にファインルージュ,アカイトリノムスメ,ヨカヨカの3頭。7番手にエンスージアズム,アールドヴィーヴル,エリザベスタワー,シゲルピンクルビーの4頭。後方に控えていたメイケイエールは外から上昇していき,3コーナーでは先頭に。12番手にブルーバード,ミニーアイル,ソングラインの3頭。15番手にストライプ,サトノレイナス,ホウオウイクセルの3頭。17頭は一団で,4馬身差の最後尾にククナ。前半の800mは45秒2のミドルペース。
 メイケイエールが先頭に立ったため2番手になったストゥーティですが,直線に入るとメイケイエールは一杯になったため自然と先頭に。少し離れたところからソダシが追ってくるとすぐにストゥーティを差して先頭に。内目を捌いて追ってきたのがファインルージュで,その外からアカイトリノムスメ。さらに大外からは後方に控えていたサトノレイナスの追い込み。しかしこれらの追撃をすべて凌いだソダシがレコードタイムで優勝。大外のサトノレイナスがクビ差の2着。ファインルージュが半馬身差の3着でアカイトリノムスメはクビ差で4着。
 優勝したソダシ阪神ジュベナイルフィリーズ以来のレース。デビューからの連勝を5に伸ばし,重賞4連勝で大レース連勝。このレースは前走で接戦を演じたソダシとサトノレイナスが上位で,その争いに加わってくる馬がいるかどうかが焦点。上位4頭が5着以下を引き離しましたが,3着馬と4着馬は阪神ジュベナイルフィリーズには出走せず,今年に入って重賞を勝った2頭。ですから現状はこの4頭の実力が上位で,オークスでも有力。伏兵候補は桜花賞には出走していない組の中にいるとみた方がよいように思います。父はクロフネ。母の父はキングカメハメハ。3代母がウェイブウインドで母の7つ上の半姉に2010年のNARグランプリで最優秀牝馬に選出されたユキチャン。馬名はサンスクリット語で純粋。
                                        
 騎乗した吉田隼人騎手は阪神ジュベナイルフィリーズ以来の大レース4勝目。桜花賞は初勝利。管理している須貝尚介調教師は阪神ジュベナイルフィリーズ以来の大レース14勝目。桜花賞は初勝利。

 第一部公理四により,結果effectusの認識cognitioは原因causaの認識を含んでいなければならず,原因の認識に依存します。したがって,個物res singularisAの観念ideaが現実的に存在するか否かということの認識は,個物Aの観念の起成原因causa efficiensの認識を含んでいなければなりませんし,その起成原因の認識に依存することになります。そして個物Aの観念の起成原因は,それ以外の個物たとえば個物Bの観念でした。よって,個物Aの観念が現実的に存在するか否かということは,この場合は個物Bの観念を含んでいるのでなければなりませんし,個物Bの観念に依存することになります。他面からいえば,個物Aの観念が現実的に存在する起成原因として,個物Bの観念が与えられるか否かということと,個物Aの観念が現実的に存在するか否かということは,同じことを問うている意味になります。そして第一部公理三により,起成原因さえ与えられるなら,結果は必然的にnecessario生起するのですから,もしも個物Bの観念が与えられるなら個物Aの観念は必然的に現実的に存在することになります。逆に個物Bの観念という起成原因が与えられないのなら,個物Aの観念が現実的に存在することは不可能です。この点でも必然と不可能は確かにスピノザの哲学において反対概念を構成しているといえるのです。
 個物Aの観念について,それが現実的に存在するようになる起成原因としての個物Bの観念が与えられるか否かということについては,人間の精神mens humanaによって認識されることがあり得るとしておきます。しかし,神Deusの無限な観念が存在する限りにおいて存在するといわれる個物の観念のすべてが現実的に存在するようになるとすれば,それらの個物の観念の起成原因が個々に必要とされるのですから,それらすべての起成原因が与えられるか否かということを認識するcognoscereことができるのでなければ,そうした個物の観念のすべてが現実的に存在するか否かを結論することはできません。しかしそれを人間の精神に要求することは無謀です。そもそも第二部定理九は,個物の観念の起成原因の連鎖は無限に進むといっているので,有限finitumである人間の精神がそのすべてを認識することができるということ自体が不条理といわなければならないでしょう。
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マイナビ女子オープン&個物の観念の原因

2021-04-10 19:02:17 | 将棋
 6日に鶴巻温泉で指された第14期マイナビ女子オープン五番勝負第一局。対戦成績は西山朋佳女王が5勝,伊藤沙恵女流三段が1勝。
 振駒で先手となった西山女王の角道オープン三間飛車に対し,後手の伊藤三段が早々に角を交換。互いに角を打ち合い馬を作るという力将棋になりました。
 この将棋は後手がうまく先手の大駒を押さえ込み,先手が突破こそしたものの攻め駒が足りなかったという一局だったと総括していたのですが,局後のインタビューでは先手は一時的に流れが来たと語っていました。ただその言い分も分からないではありません。
                                        
 第1図から後手は☖6七歩成と成り捨て,☗同歩に☖7六銀と出ました。対して先手は☗4五銀☖5三馬としておいて☗6六香と打ちました。
                                        
 この香打ちはなかなか厳しい手ですが,生じたのは後手が歩を成り捨てたからです。つまり第1図では後手は単に☖7六銀と出るべきで,それで先手は困ると思っていたのではないでしょうか。それが実戦は第2図のように進展したので,流れが来たというように感じたのではないかと思います。
 第1図で後手がミスを犯したのは確かだと思いますが,しかしこの後で先手がはっきりとよくする順はなかったように思えます。つまりミスはしても大事には至っていなかったということでしょう。
 伊藤三段が先勝。第二局は21日に指される予定です。

 第二部定理九は,現実的に存在する個物res singularisの観念ideaだけに適用されなければなりません。このことに異議が出ることはないでしょう。僕はこの定理Propositioでいわれていることは,現実的に存在する個物の観念の対象ideatumである,現実的に存在する個物,思惟の様態cogitandi modiではない現実的に存在する個物にも適用できると考えていますが,こちらには異論が出る可能性があるかもしれません。また,僕は第一部定理二八に関しては,個物が現実的に存在する場合だけでなく,個物が神Deusの属性attributumに包容される限りで存在するといわれる場合にも適用されると考えています。スピノザは第二部定理九の論証Demonstratioで,第一部定理二八に訴求している部分がありますが,このことは別に僕の考え方を否定する事柄ではないと僕は考えます。というのは,第一部定理二八は,個物が神の属性に包容されて存在するといわれる限りでも成立しますが,同時に,個物が現実的に存在するといわれる場合にも成立するというのが僕の考えだからです。したがって,第二部定理九が現実的に存在する個物の観念,いい換えれば現実的に存在する思惟の属性Cogitationis attributumの個物にのみ適用される定理であるとしても,論証のために第一部定理二八を援用することが可能です。よって,援用されている第一部定理二八も,現実的に存在する個物にのみ適用されると考える必要はないでしょう。
 第二部定理九が,現実的に存在する個物の観念についてのみ適用されることは間違いありませんから,ここでは個物の観念について考えていきます。つまり,神の無限な観念が存在する限りにおいて存在するといわれる個物の観念のすべてが,現実的に存在するようになるか否かを考えていくことにします。
 第二部定理九がいっていることは,現実的に個物の観念が存在するとき,たとえばAという個物の観念が現実的に存在するとき,このAの観念の起成原因causa efficiensは神であるけれど,それはAの観念とは別の個物,たとえば個物Bの観念に変状した限りでの神であるということです。要するに,Aという個物の観念が現実的に存在するとき,その起成原因はA以外の個物たとえばBの観念であるということです。そしてこれと同じことがBの観念にも成立するのです。
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京成盃グランドマイラーズ&別の根拠

2021-04-09 19:23:33 | 地方競馬
 昨晩の第24回京成盃グランドマイラーズ
 ニシノラッシュは躓いて4馬身の不利。逃げたのはカジノフォンテンで2番手にタービランス。3番手はアドマイヤゴッドとグレンツェントで5番手のアクアリーブルまでが一団。2馬身差でチェスナットコート。2馬身差でコスモロブロイ。6馬身差でニシノラッシュという隊列。前半の800mは49秒0のミドルペース。
 3コーナーを回ってカジノフォンテンのリードが2馬身くらいになり,タービランスは押しながらついていく形。3番手は内にアドマイヤゴッドで外にグレンツェントでしたが,ここでタービランスから4馬身くらい離されてしまい,この2頭は一杯。直線の入口の手応えではカジノフォンテンの楽勝かに思えましたが,タービランスがしぶとく伸び,徐々に差は詰まっていきました。しかし並ぶところまでいくのが精一杯。一杯に逃げ切ったカジノフォンテンの優勝でクビ差の2着にタービランス。一杯になったグレンツェントを,後方3番手から追い込んできたチェスナットコートが差して2秒差で3着。グレンツェントがクビ差で4着。
 優勝したカジノフォンテン川崎記念からの連勝。南関東重賞は勝島王冠以来の3勝目。昨年は6月に行われた京成盃グランドマイラーズを勝っていて連覇。ここは実力は断然で,そのわりには詰め寄られたという感じはあります。ただタービランスは相手なりに走るというタイプの馬で,対カジノフォンテンでもこれくらい喰らいついていくくらいの底力があったとみる方が適切だと思います。3着以下は2秒も離されているわけですから,2頭の力が抜けていたとみるべきだったのでしょう。父は2008年にピーターパンステークスを勝ったカジノドライヴ。母の父は1996年に中山金杯,1997年に中山金杯と東京新聞杯を勝ったベストタイアップ。母は2002年にスパーキングレディーカップ,2003年にエンプレス杯,2005年に報知グランプリカップとTCKディスタフを勝ったジーナフォンテン
 騎乗した船橋の張田昂騎手は勝島王冠以来の南関東重賞3勝目。京成盃グランドマイラーズは連覇で2勝目。管理している船橋の山下貴之調教師は南関東重賞3勝目。京成盃グランドマイラーズは連覇で2勝目。

 現実的に存在する個物res singularisがほかの様態modiと区別されるということについては,別の観点からも説明できそうだと僕は考えています。
                                   
 第二部定理九の論証Demonstratioは,現実的に存在する個物の観念ideaが,思惟Cogitatioの特定の様態であって,そのためにほかの様態とは区別されるということを,第二部定理八系に訴求しています。第二部定理八系では,個物が時間的に持続するdurareといわれる限りにおいても存在するようになると,その個物の観念も持続するといわれる存在existentiaを含むようになるといっています。持続するといわれる存在とは,現実的な存在のことにほかなりません。したがって,持続するといわれる存在を含む個物の観念が,思惟の特定の様態であり,ほかの様態とは区別されるのであれば,その個物の観念対象ideatumである個物もまた,それが個物となっている属性attributumの特定の様態であって,ほかの様態とは区別されるものであるということになるでしょう。つまり個物一般は,それが現実的に存在するようになると,特定の様態になり,特定の様態になることによって,ほかの様態とは区別されることになると理解していいと思います。つまりこのこと,それが現実的に存在するようになるとほかの様態と区別されるということは,個物の観念にだけ妥当するというわけではなく,個物一般に妥当すると理解してよいと僕は考えます。
 もしも個物が現実的に存在するようになると,それは特定の様態となり,そのことによってほかの様態と区別されるようになるのだとすれば,個物が現実的には存在しない場合,つまり個物がただ神Deusの属性の中に包容されている限りにおいて存在する場合はどうなのか,あるいは個物の観念が神の無限な観念が存在する限りにおいてのみ存在するといわれる場合にはどうなのかということが問題となるでしょう。実はこのことは柏葉の論文の中でも重要な論点となっています。なのでこのことについては柏葉の論文をさらに先に進めて考察するときに探求することにして,神の属性の中に包容されている限りで存在するといわれる個物のすべてが,現実的に存在するようになるかならないかということをどのように考えるべきなのかということの方を先に考えていきます。
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サッポロビール盃マリーンカップ&証明の冒頭

2021-04-08 18:58:39 | 地方競馬
 昨晩の第25回マリーンカップ
 サルサディオーネがハナへ。2番手はフェアリーポルカ,マドラスチェック,レッドアネモスの3頭で,この4頭は一団。3馬身差でシーアフェアリー。6馬身差でテオレーマ。3馬身差でアブソルートクインと,残りの3頭はばらばら。前半の800mは48秒2のハイペース。
 サルサディオーネを積極的に捕まえにいったのがマドラスチェックで,3コーナーで並び掛け,ここから2頭が併走で直線に。フェアリーポルカとレッドアネモスは競り合う前の2頭から徐々に離されていきました。直線でも前の2頭は激しく競り合い,2頭の優勝争いかと思われましたが,離れた後方2番手にいたテオレーマが外から鋭い差し脚を発揮。競り合う2頭を差し切って優勝。サルサディオーネを競り落としたマドラスチェックが2馬身差で2着。サルサディオーネが半馬身差で3着。
 優勝したテオレーマは重賞初挑戦での優勝。ここは牝馬のダート重賞で実績を残している2頭に,前走で牡馬を相手に3勝クラスを勝ったこの馬と,芝で実績を残して初めてのダート戦となる2頭がどこまで食い込めるのかが焦点。実績上位の2頭が早くから競り合うレースになったため,控えていたテオレーマが恵まれた面はありましたし,斤量が1キロ軽かったのも有利になったでしょう。とはいえラストの600mで36秒台の末脚を発揮して優勝という内容は素晴らしく,この路線に新星が登場したと判断してよいと思います。父はジャスタウェイ。Teoremaはスペイン語で定理。
                                        
 騎乗した川田将雅騎手と管理している石坂公一調教師はマリーンカップ初勝利。

 第一部定理二八が,個物res singularis一般が現実的に存在する場合だけでなく,個物が神Deusの属性attributumに包容されて存在しているといわれる限りでも成立しなければならない定理Propositioであるのに対して,第二部定理九は,個物の観念ideaが現実的に存在するといわれる場合にのみ適用される定理であるという僕の見解opinioの根拠は,各々の定理の文言にあります。とくに第二部定理九が,現実的に存在する個物の観念にのみ適用が可能であるということは,その文言から明らかだといえるでしょう。一方,第一部定理二八の方には,明確な文言がありませんので,僕の見解に対しては異議が出される可能性があるということは,僕も認めざるを得ません。とくに,個物が現実的に存在する場合のことというのは,『エチカ』では第二部定理八系から本格的な議論が始まるのですから,それ以前に置かれている第一部定理二八において,何事もいわれないのは当然と受け取ることができるからです。ただ,僕自身の見解はこの通りですので,僕の考察はこの見解を基にしたものとなります。
 第二部定理九をスピノザが論証するとき,冒頭でいっているのは,現実的に存在する個物の観念というのは,思惟Cogitatioの特定の様態modiであって,ほかの様態とは区別されるものであるということです。実は第一部定理二八の論証Demonstratioではこの種のことは何もいわれていません。したがって,現実的に存在する個物の観念が,ほかの様態と区別されるものであるという点は,第二部定理九を証明するにあたって重要な事柄であるとスピノザは考えていたと解するのが妥当だと僕は考えます。一方,スピノザはこの定理の証明の最後の方では,観念の秩序ordoと連結connexioが,原因causaの秩序と連結に同一であるということを主張していて,そのために第二部定理七に訴えています。このことは第二部定理七の証明の意味を確定させるための,重要な点のひとつを構成します。したがって,現実的に存在する個物の観念が,ほかの観念と区別されるような特定の思惟の様態cogitandi modiであるとするなら,その観念対象ideatumについても同じことがいわれなければならないと僕は考えます。つまり現実的に存在する個物とは,ほかの様態とは区別されるような特定の様態であることになるのです。
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ベイサイドナイトドリーム&両立可能

2021-04-07 19:08:25 | 競輪
 四日市競輪場で開催された昨晩のベイサイドナイトドリームの決勝。並びは平原‐諸橋の関東,深谷-守沢の東日本,松浦-原田‐香川‐福島の中四国で浅井は単騎。
 平原がスタートを取って前受け。3番手に浅井,4番手に松浦,8番手に深谷の周回に。残り2周のホームの出口から深谷が上昇していき,打鐘で平原を叩いて先行。3番手に平原,5番手に浅井,6番手に松浦の一列棒状に。ホームから松浦が発進。バックでそれを牽制しつつ平原も発進し,松浦は不発に。平原は直線入口で逃げる深谷に並ぶところまでいきました。平原は直線で深谷と接触するくらい内にきれ込んでしまい,マークの諸橋が平原を差して優勝。平原が半車輪差の2着で関東のワンツー。バックで浅井の内に潜り込み,諸橋を追う形になった香川が4分の3車身差で3着。
 優勝した新潟の諸橋愛選手は昨年12月の京王閣のFⅠ以来の優勝。グレードレースは2019年7月の弥彦記念以来の優勝でGⅢ8勝目。このレースはラインが長くなった松浦が先行するのか,深谷が先行するのかというのがまず焦点。深谷が先行の場合は3番手をだれが追走するのかも注目点。結果的に深谷の先行になり,3番手に平原が労せずして入りましたので,平原にとって最も有利な展開となりました。平原は深谷マークの守沢を牽制する意味で直線で内に入っていったのかもしれませんが,あるいは余力が十分に残っていなかったための走行だったかもしれません。そこを諸橋が差し込んだというレースでした。

 神Deusの本性naturaの必然性necessitasに則したものは何であれ存在することになり,逆に神の本性の必然性に反するものは存在することが不可能であるということと,僕たちの精神mensは存在することが不可能なものについて,それを肯定する意志作用volitioを有することがあるということは,両立させることが可能であるということは,ここまでの説明から理解することができたのではないかと思います。すなわち,僕たちは混乱した観念idea inadaequataを有する場合にも,それを肯定する意志作用を有しているのですが,それは無を肯定しているということなのです。一方,神の本性の必然性に則しているがゆえに必然的にnecessario存在しなければならないと考えられるもののすべては,存在するのですからそれらは無ではなくて有esseです。ですからたとえ僕たちの精神が,存在することが不可能なものを肯定する意志作用をもつことがある,というよりそうした意志作用を現に有しているとしても,それが無であるという点に注意するなら,神の本性の必然性に則したものはどんなものであっても存在することになるということは揺るがないですし,神の本性の必然性に反するものは存在することが不可能であるということとも,矛盾することはありません。
                                   
 それでは,第二部定理八系でいわれている,神の属性attributumの中に包容されている限りにおいてのみ存在するといわれている個物res singularesのすべてが,現実的に存在するようになるのかどうかということを検討していきます。すでにいったように,柏葉はそのようなことはあり得ないと主張していて,標準的解釈,より正確にいえば,柏葉が解している標準的解釈は,そのことが成立するということを前提としていて,それを前提としていなければ標準的解釈は成立しないというのが柏葉の見解opinioです。
 個物がいかにして存在することになるのかを示しているのは,第一部定理二八です。ただし,僕の解釈では,この定理Propositioというのは,個物が現実的に存在する場合についてのみ妥当する定理ではなく,個物が神の属性に包容されている限りで存在するといわれる場合にも適用されなければなりません。これに対して第二部定理九は,個物の観念が現実的に存在する仕方だけを説明している定理です。
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将棋大賞&無の肯定

2021-04-06 19:34:01 | 将棋トピック
 昨年度の将棋大賞が1日に発表されました。
                                        
 最優秀棋士賞は藤井聡太二冠。棋聖挑戦,奪取。王位挑戦,奪取。銀河戦優勝。朝日杯将棋オープン優勝。最多勝利賞と勝率一位賞という記録部門でもふたつを制したことが評価されました。最優秀棋士賞は初受賞。
 優秀棋士賞は渡辺明名人。名人奪取。王将防衛。棋王防衛。棋戦の優勝はありませんでしたが,タイトルは3つですから,最優秀棋士賞でないのならこうなるのは当然でしょう。2005年度,2008年度,2010年度,2011年度,2015年度,2018年度に続き2年ぶり7度目の優秀棋士賞。
 敢闘賞は豊島将之竜王。前年度中に挑戦を決めていた叡王を奪取。竜王防衛。日本シリーズ優勝2017年度以来3年ぶり2度目の敢闘賞。
 新人賞は池永天志四段。新人王戦優勝。対局数で5位,勝数と連勝で4位と,記録部門でも健闘しています。初受賞。
 記録部門は最多対局が永瀬拓矢王座,最多勝利は藤井二冠と永瀬王座,連勝は澤田真吾七段でした。
 最優秀女流棋士賞は里見香奈女流四冠。女流王位防衛。清麗防衛。女流王座挑戦。倉敷藤花防衛。女流名人防衛2009年度,2010年度,2011年度,2012年度,2013年度,2015年度,2016年度,2017年度,2018年度,2019年度に続く6年連続11度目の最優秀女流棋士賞。
 優秀女流棋士賞は山根ことみ女流二段。女流王位挑戦。年度中のタイトル戦には出場していませんが,勝利数と連勝は1位で,この点が大きく評価されたのでしょう。初受賞。
 記録部門の最多対局は加藤桃子女流三段でした。
 升田幸三賞は大橋貴洸六段の耀龍四間飛車。同特別賞は棋聖戦五番勝負第二局の☖3一銀により藤井聡太二冠。名局賞は棋聖戦五番勝負第一局。女流名局賞は女流王座戦五番勝負第五局。名局賞の特別賞は竜王戦二組準決勝の藤井二冠と松尾歩八段の一戦。これは3月の将棋で記憶に新しいところ。飛車を取る一手と思えたところで,銀を捨てる王手をしてから飛車を取った将棋です。

 ある人間の精神mens humanaのうちに混乱した観念idea inadaequataがあるとき,それはそれ自体でその人間が誤謬errorを犯しているということではないのですが,その人間の精神の一部が虚偽falsitasによって構成されているということは意味します。一方で十全な観念idea adaequataは真理veritasなので,第二部定理七系の意味から,神Deusのうちにある観念はすべて真理です。また,第二部定理三八系により,現実的に存在する人間の精神の一部は真理によって構成されていることになります。
 このことは,真理と虚偽の間にある関係だけを意味するのではありません。なぜなら,スピノザの哲学における十全な観念と混乱した観念の間にある関係は,前者が真理であり後者が虚偽であるということを意味すると同時に,有と無の関係,すなわち十全な観念が有esseであるのに対し,混乱した観念は無であるということも意味するからです。したがって,現実的に存在する人間の精神の一部が混乱した観念によって構成されているというとき,その人間の精神のうちに混乱した観念があるといういい方をするのは,厳密にいえば好ましくありません。混乱した観念は無なのであって,無であるものがあるというのは語義矛盾であるからです。ただ,たとえばAという人間の精神のうちに混乱した観念があるというのは,Aの精神の本性naturaを構成するとともにほかのものの観念を有する限りで神のうちにその観念があるということなのであり,この限りで神のうちにある観念は十全である,いい換えれば有ですから,この点まで注意すれば,混乱した観念について,それがあるといういい方をしても,許容はされるだろうと僕は考えます。
 このことから分かるように,混乱した観念のうちにもそれを肯定する意志作用volitioが含まれているということは,無であるものにもそれを肯定する意志作用が含まれているという意味なのです。このために僕たちは,不可能であるもの,必然的necessariusであるといわれるのと反対の意味において不可能であるものについても,それを表象し,あるいは同じことですがそれを肯定する意志作用を有することができるのです。不可能であるというのは存在することが不可能であるという意味であって,存在することが不可能ならそのものは無です。
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印象的な将棋⑰-7&補足

2021-04-05 19:01:14 | ポカと妙手etc
 おそらくその手は後手の読みにも無かったのだろうと思いますが,⑰-6の第1図で後手が指す手は☖9四同香しかありません。
                                        
 取る一手だということは僕にも分かっていましたが,先手がここからどう指し進めるのかということは不明でした。
 実戦の指し手は☗9一銀☖同王☗7三歩成です。
                                        
 第2図となって,先手の指し手の意味を把握することができました。それは後手に馬を取る余裕を与えない手順で,後手玉に詰めろを掛けるということです。6でいったように,僕はまだ先手の勝ちだと思って観戦していて,その見解はこの時点でも変化がありませんでした。異変に気付くのはもう少し進んでからです。

 第一部定理一六の意味は,神Deusの本性naturaの必然性necessitasに則するものであれば,どんなものであれ発生し,神の本性の必然性に反するものであれば,どんなものであっても発生しないということでした。発生するものは存在することになりますから,あるものが神の本性の必然性に則しているのなら,そのものは必然的にnecessario存在することになりますし,逆にあるものが神の本性の必然性に反しているのであれば,そうしたことは存在することが不可能なものであるということになります。神は自己原因causa suiなので必然的に存在するのですが,神の本性の必然性に合致するものについても,それと同じ意味において,必然的に存在するあるいは存在するようになるといわなければなりません、もっともこのことは,第一部定理二五備考で,神は自己原因であるといわれるのと同じ意味で万物の原因といわれるということから明らかでしょう。そこでいわれる万物とは,神の本性の必然性に合致しているものだけを対象としているということです。
 もしも神の本性の必然性に合致するもののすべてを十全に理解することができれば,僕たちは何が必然的に存在し,また何は存在することが不可能であるのかということのすべてを十全に知ることができるでしょう。ですがこのことを人間の精神mens humanaに要求することはできないと僕は考えます。したがって,あるものが必然的に存在するかどうかは分からないということが人間にはあるのであって,また逆に,人間が知り得ないようなものが必然的に存在しているということもあるだろうと僕は考えています。
 そうである以上は,第一部定理一六について,必然と不可能という反対概念だけによって説明するのでは不十分だといわれ得るでしょう。何となれば僕たちは何が必然的であるのかを十全に認識するcognoscereことができないがゆえに,混乱した観念idea inadaequataについてそれを肯定する意志作用volitioについても,それは不可能なのではなくて必然的であると強弁することもできないわけではないからです。そこで僕はこの種の問題についても解消するために,これとは異なった観点からの補足を加えておきます。それは思惟の様態cogitandi modiの実在的有entia realiaとはどのようなものであるのかという観点です。
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大阪杯&除去されない肯定

2021-04-04 19:29:31 | 中央競馬
 第65回大阪杯。大野騎手が頸椎の捻挫のためペルシアンナイトは幸騎手に変更。
 好発はサリオス。外から2頭が抜いていき,逃げたのはレイパパレ。リードは1馬身半。2番手にハッピーグリン。2馬身差で控えたサリオスとワグネリアン。2馬身半差でグランアレグリア。3馬身差でクレッシェンドラヴとアドマイヤビルゴ。1馬身差でアーデントリー。2馬身差でコントレイル。2馬身差でカデナとモズベッロ。2馬身差でブラヴァス。3馬身差の最後尾にペルシアンナイトと縦長の隊列。前半の1000mは59秒8のハイペース。
 ハッピーグリンは3コーナーで下がっていきました。内を回ってサリオスが2番手に。外からグランアレグリアが追い上げ,この外にコントレイルが併せてきて3頭が横一線に。少し離れた5番手に外からモズベッロが進出。直線に入ると逃げたレイパパレは直線の中ほどまで持ち出し,サリオスは内埒沿い。このコース取りで瞬間的に差が詰まりましたが,レイパパレが再び突き放し,そのまま逃げ切って優勝。これも馬場の中央近くで競り合うグランアレグリアとコントレイルの外からモズベッロが差して4馬身差の2着。競り合いを制したコントレイルが4分の3馬身差の3着でグランアレグリアがクビ差で4着。サリオスは1馬身4分の1差で5着。
 優勝したレイパパレはこれでデビューから6連勝。重賞は前走のチャレンジカップに続く2勝目で大レースは初制覇。この馬はまだ底を見せていませんでしたが,ここは実績が上位の馬が揃っていたため試金石。それをいきなり突破したのですから高く評価しなければならないでしょう。もちろん馬場の状態が結果に影響を与えた面があったとは思いますが,今後も大きな活躍を期待してよさそうです。父はディープインパクト。母の父はクロフネ。祖母の父は1993年に弥生賞,日本ダービー,京都新聞杯を勝ったウイニングチケットフロリースカップモンテホープの分枝。5つ上の半兄に2014年にホープフルステークス,2017年にCBC賞を勝ったシャイニングレイ。Lei Papaleはハワイ語で帽子の縁に飾るレイ。
                                        
 騎乗した川田将雅騎手は先週の高松宮記念に続く大レース26勝目。大阪杯は初勝利。管理している高野友和調教師は2015年のジャパンカップ以来の大レース3勝目。大阪杯は初勝利。

 虚偽falsitasは真理veritasによっては排除されることも阻害されることもないということは,不可能なものに対する肯定affirmatioは,必然的なものに対する肯定によっては排除されることもないし阻害されることもないということを帰結させます。つまり,たとえばある人間が,死んだ人間は生き返ることはないということを肯定している,いい換えればそういう十全な観念idea adaequataを有しているからといって,現実的に存在するある人間,たとえばJという人間に対して,死んだJが甦ったことを肯定する意志作用volitioを有することは排除されないし,阻害されることもありません。同様にある人間が,馬を肯定する意志作用を有している,いい換えれば馬の十全な観念を有しているからといって,馬に対して翼を肯定する意志作用を有することはあるのであって,この意志作用は馬の十全な観念によって排除されることも阻害されることもありません。
 第四部定理一を一般的にいうなら,Xの誤った観念idea falsaすなわち混乱した観念idea inadaequataは,Xが真verumであるということの現在によっては除去されないということです。このことの意味を,虚偽と誤謬を分別するこのブログに照合させていうと,真理は誤謬errorを排除することはできても虚偽を排除することはできないということになります。よって,混乱した観念というのはそれ自体では誤謬ではありませんが虚偽ではありますので,Xの十全な観念とXの混乱した観念が,同じ人間の精神mens humanaのうちに同時に存在することができる,できるというよりそうしたことが現にあるということになります。そして意志作用というのは,個々の観念に対する肯定ないしは否定negatioであって,それは混乱した観念にも含まれているのですから,同じことが意志作用についてもいえます。つまり,Xについてその真理を肯定する意志作用と,Xについて虚偽を肯定する意志作用が,同じ人間の精神のうちに同時にあることができるのです。あるいは,Xについて必然的なことを肯定する意志作用と,Xについて不可能なことを肯定する意志作用が,同じ人間の精神のうちに同時にあることができるといってもいいでしょう。
 ですから,第一部定理一六を説明する場合には,このことも考慮する必要があります。
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戸口の雑感⑧&不可能の肯定

2021-04-03 18:58:35 | NOAH
 の最後のところでいったように,1977年10月29日に,戸口とジャンボ・鶴田のシングルマッチが初めて組まれました。この日は馬場と大木金太郎のシングルマッチも組まれていて,格としてはそちらがメインだった筈ですが,鶴田と戸口の試合の方がメインに組まれました。戸口はメインだったことを覚えていなかったようですが,こちらをメインにしたのは,馬場の配慮が働いたからだと思われます。というのも,馬場はこの当時の鶴田に適切なライバルがいなかったため,戸口にまた全日本プロレスで仕事をするように頼み込んだから,戸口は全日本プロレスに戻ったのだと語っています。だから馬場は鶴田と戸口の試合を売り出したかった筈だと戸口は推測しています。
 この試合は60分3本勝負で,戸口が速攻で1本を取った後,鶴田が1本を返し,3本目は戸口の反則負けとなりました。これは⑦でいったチェーンを使ってのものだったようです。このシリーズの後,韓国への遠征があり,そこで大木と戸口のチームが再びインタータッグの王者になりました。さらに日本に戻ってのシリーズで防衛戦が行われ,戸口と鶴田がそれぞれ1本ずつを取った後,両軍リングアウトという結果でしたが防衛に成功します。そして年末の世界オープンタッグ選手権,世界最強タッグ決定リーグの前身となった大会でも大木と戸口のチームは馬場・鶴田組と公式戦の最終戦で対戦。このときは馬場が戸口をフォールして決着しました。
 これでまた戸口はアメリカに戻りたかったそうですが,馬場が先手を打って佐藤昭雄を戸口の代打としてカロライナに送りました。なので1978年は正月から戸口は全日本プロレスで仕事をすることになりました。この間にちょっとした事件が起こります。これはアントン・ヘーシンクが全日本でデビューしたことと関係します。これは戸口は語っていませんが,ヘーシンクはどうも日本テレビが契約した選手だったようです。つまり日本テレビが全日本プロレスの話題を作るために参戦することになったのであり,馬場としてもヘーシンクを使うことは本意ではなかったのかもしれません。

 神Deusの本性naturaの必然性necessitasに則する事柄はどんな事柄であれ,いい換えれば人間がそれを認識するcognoscereことができるのかできないかということを問わずにそのすべてが生じます。逆に神の本性の必然性に反することが生じることは不可能です。これがスピノザの哲学において,必然と不可能が反対概念を構成するということの具体的な意味でした。ところが,ある観念ideaは人間の精神mens humanaとだけ関連付けられる場合には混乱した観念idea inadaequataである場合があり,いい換えるなら,人間の精神を構成する観念のうちの一部は混乱した観念によって組織されていて,こうした混乱した観念にも固有の意志作用volitioが含まれているのですから,人間の精神は,それ単独でみられる場合には,必然であることだけを肯定するというわけではなく,不可能である事柄についても肯定するということがあるのです。第二部定理四九備考では,人間の精神が馬に対して翼を肯定する意志作用をもつことがあるということが認められていますが,これはそのことの一例であると解することができるでしょう。これと同様に,たとえばJという人間が死んだ後に,Jが生き返るということを肯定する意志作用を人間の精神が有するということもあり得るのです。
                                   
 僕はスピノザの哲学では,虚偽と誤謬を厳密に分けて考える必要があると考えています。このとき,混乱した観念というのは,虚偽falsitasではあるのですが,それ自体で誤謬errorというわけではありません。ですから混乱した観念すなわち虚偽を肯定する意志作用についても,それ自体で誤謬であるということはできないと僕は考えます。というのは虚偽には虚偽の積極性とでもいうべきものがあるのであって,人間が事物を混乱して認識すること,たとえば事物を表象するimaginariことというのは,それ自体でみるならば一切の誤謬を含んでいないとみるべきだからです。たとえば第二部定理一七備考でスピノザがいっていることは,その一例であるとみることができます。
 このような積極性が虚偽の中にも含まれているがゆえに,第四部定理一にあるように,虚偽は真理veritasによって,つまり混乱した観念は十全な観念idea adaequataによって阻害されるということもないし,排除されるということもないのです。
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流星②&第二部定理四九備考

2021-04-02 19:19:38 | 歌・小説
 で歌い手はバスを降りて自動販売機のコーヒーを買って飲みました。このサービスエリアには長距離トラックが何台か並んでいました。そのトラックの運転手に歌い手は話し掛けられます。

                                   

     どこまで行くの 何しているの

 これに対して歌い手はこう答えます。

     歌を歌っているんです

 ここで歌い手が歌手であるということが分かります。よってバスに乗っているのは,前回の興業の地から次回の興業の地へと移動するためであって,このバスにはこの歌い手の一行,たとえばスタッフやバンドのメンバーなどが同乗しているのだろうと推定することができます。

     そうかい、 おいらは歌は知らねえな 演歌じゃねえんだろ、 そのなりじゃあな

 歌手であるということを知った運転手はこのように答えます。歌は知らない,と言っていますが,演歌なら分かるというようにも受け取れますから,まったく知らないというわけでもなさそうです。普段の身なりで演歌歌手であるかどうかを確定することができるのかということは僕には疑問ですが,この歌い手が演歌歌手でないことは間違いないのでしょう。

 どのような観念ideaにも固有の意志作用volitioが含まれているということについて,スピノザは第二部定理四九備考の中で,馬に対して翼を肯定すること,観念としていうなら,翼のある馬の観念を例材として説明しています。スピノザがこの例材によっていいたかったことは,どのような観念にも固有の意志作用が含まれているということは,十全な観念idea adaequataだけに妥当するわけではなく,混乱した観念idea inadaequataにも妥当するということです。そのことはこの直前の部分でいわれていることからはっきりします。
 「私は,人間が知覚する限りにおいて何ものも肯定していないということはこれを否定する」。
 人間が何かを知覚するpercipere,いい換えれば人間が何事かを認識するcognoscereということは,その何事かの観念がその人間の精神mens humanaのうちにあるという意味です。つまり,人間は何事かを認識するそのたびごとに,その何事かについて何らかのことを肯定しているのです。したがって,こうした肯定affirmatioすなわち意志作用は,その観念が十全な観念であるか混乱した観念であるかを問わずに,すべての観念の中に含まれているのでなければなりません。
 第二部定理七系の意味から,神Deusのうちにある客観的有esse objectivumすなわち観念はすべて十全です。他面からいえば,ある観念が適切に神と関連付けられるのであれば,その観念は十全な観念です。ですからこの場合には,混乱した観念に意志作用が含まれているかいないかということは問題とする必要がありません。ではなぜスピノザが,混乱した観念にも固有の意志作用が含まれているということを強調するかといえば,もしある観念が神と関連付けられず,単に人間の精神とだけ関連付けられる場合には,混乱した観念というものがあるといわなければならないからです。いい換えれば,混乱した観念というのは,もしそれがあるというのであれば,たとえば人間の精神のような,有限な精神のうちにだけあるのです。これを神と関連付けると,神がある人間の精神の本性naturaを構成するとともに,ほかのものの観念を有する限りでXの観念があるといわれます。このとき,Xの観念は神のうちでは十全な観念ですが,人間の精神のうちでは混乱した観念であることになるのです。
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買占め&矛盾を含む本性

2021-04-01 19:07:33 | 哲学
 ある特殊な状況が発生したとき,それがなければ品薄になることなどあり得ないような商品の在庫が不足してしまうということが,どういった原因causaによって生じるのかということを説明することができました。しかしこれはその原因の一端なのであって,すべてではありません。もちろんこうしたことが人間の現実的本性actualis essentiaから生じるということは,人間の行動によって生じる事態である以上は当然のことなのですが,そのことは僕たちの他人の欲望の表象が,他人の行動の表象imaginatioに依存し,したがって多くの人が同じ行動をしているのを表象すればするほど,それと同じ行動をとりたくなる,いい換えれば表象しているのと同じ欲望cupiditasを自身も抱くという感情の模倣imitatio affectuumだけで説明することができるわけではありません。
                                   
 僕はかつて羨望について説明したときに,入手の困難性ということが,羨望の度合を強めるということをいいました。僕がいう羨望というのは欲望の一種なのですから,実はこのことは欲望一般にも適用することが可能なのです。つまりもしもその他の条件が同一であるならば,入手することが困難であると認識されるものは,入手することが容易であると認識されるものよりも,強く欲望される,あるいは同じことですが大きな欲望の対象となるのです。このことは僕たちはおそらく経験的に知っているといっていいでしょう。そしてこれを論理的に示すなら,第三部定理三二を広い意味で解するのが適切だと思います。僕はこの定理Propositioの意味のうちに,入手の困難性の度合と,それを他人が入手することを妨害しようとする度合は,比例的な関係にあるということが含まれるといいましたが,僕たちは自身が欲望していないものを他人が入手することを妨害する必要はありませんから,これは入手の困難性の認識と,そのものを入手することへの欲望の度合が比例関係にあるとみることもできます。
 品薄になった商品はそれ自体で入手することが困難になったと認識されるでしょう。このために僕たちは単に多くの人間がそれを欲望していると表象するimaginariだけでなく,それを入手することの困難さも高まったと表象するようになるのです。そしてこのために,普段であれば大して欲望しないようなことでもそれを欲望するようになります。
 ある商品が品薄になったときには,それを買い占めるという行為も頻繁に発生します。それもこのような人間の現実的本性,いい換えれば第三諸感情の定義一により,欲望の結果effectusであると説明することができるのです。

 事物の本性essentiaが神Deusの本性naturaの必然性necessitasに反するというのがどういうことであるのかも,さほど難しく考える必要はありません。もしある事物の本性に矛盾が含まれているならそれは神の本性の必然性に反していることになります。他面からいえば,事物の本性が何ら矛盾を含んでいないのであれば,そうしたものは必然的にnecessario存在することになります。このことは,ある事物の本性に矛盾が含まれていないのであれば,知性intellectusはその事物の本性を概念するconcipereことができるということから明白だといえるでしょう。ある事物が客観的有esse objectivumすなわち観念ideaとして存在するのであれば,その事物の形相的有esse formaleすなわち観念の対象ideatumも存在することになるからです。要するに本性の矛盾が,神の本性の必然性に則しているか反しているかを決定するのです。このことは,第一部定理二五により,事物の本性の起成原因causa efficiensは神であるということから,当然のことといっていいでしょう。
 よって,たとえば角のある円とか翼のある馬とかいったものは,本性に矛盾を含んでいるがゆえに存在することは不可能です。そしてこのことからも,神の本性から無限に多くのinfinitaものが生じるとはいえ,どんなものでも生じるというわけではないということが理解できると思います。つまり角のある円が神の本性の必然性から生じるということは不可能ですし,翼をもつ馬が神の本性の必然性から生じるということも不可能なのです。一方,その本性に矛盾が含まれていないのであれば,そうしたものはどんなものであれ,いい換えれば人間には知られていないものであったとしても,それは必然的に存在することになるのです。したがってそうしたすべてのものは,現実的に存在するかどうかはまた別ですが,少なくともその形相的本性essentia formalisが神の属性の中に存在していると解さなければなりません。
 僕の基本的な考え方はこのようなものではありますが,同時に僕は次のようなことも認めた上でそういっているのだと解してください。
 第二部定理四九から分かるように,スピノザは個別の意志作用というのを,観念に含まれている肯定affirmatioないしは否定negatioであるといっています。つまりどんな観念にも固有の意志作用が含まれているのです。
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