○自閉症スペクトラム。
自閉症スペクトラムを理由にイジメを受けるからといって、イジメられる方に問題があるかの如く論ずるのは、明らかに問題の焦点がズレている。
個人差を受け入れられずにイジメをしてしまう多数派の異常性の方を問題にすべきである。
安心して差別迫害をしてしまう多数派を、多数派であると言うだけで「正常」として扱うのは間違いだからである。
空気を読んで、統率協調的に差別迫害をする「普通のヒト。」の危険性については、心理学者も脳神経科学者も問題として扱わないが。原発の危険性が放置されたのも「普通のヒト。」が持つ危険性こそが原因であり、少数派を「治療」と称して矯正することばかりに囚われているのはとんでもない間違いである。
EMDR治療法の副作用ってないのかね。自分の痛みを分からなくさせてしまうと、他人の痛みも分からなくなる危険性があるのではないかと、おいらは思う。
ナチス総統のアドルフ:ヒトラーも、戦場での後遺症治療と称して催眠療法を行った結果、ナチズムに傾倒したとも言われており。その場限りに多数派に合わせて「治療」することは、問題の本質を撹乱するだけである。そもそもヒトラーに従属した多数のヒトの無意識性こそが、ナチズムという洗脳状態を作り出したのであって、ヒトラー個人がキチガイなだけならナチズムなんぞ作られることはないのである。
個人差を許容出来ずに、多数派で統率協調的に差別迫害を行う多数派の「普通のヒト」の異常性の方を問題とし、これを「治療」対策しないことには、あらゆる「人災」は構造原理的に治らない。
少数派の「変わったヒト。」に対して観念的不安を抱き、差別排除することで安心したがる多数派の「普通のヒト。」の異常性こそが、あらゆる「人災」の根源にあるからである。
//------
自分が虐待を連鎖していることに気付き、自己嫌悪に陥るのは間違いである。
親から受けた虐待を認識し、自分の行為を客観視出来ているからこそ、虐待の連鎖を止めることが可能なのであって。気分的に凹んだり、憂鬱になる必要性は全くない。
後天的に刷り込み学習されてしまった無意識な行動バイアスは本質的な個人の「人格」ではない。無意識に虐待を連鎖していた方が自己嫌悪などに陥ることもなく、当然それを止める意志も働かないことの方が、むしろ「人格」異常なのであって、無意識な行動バイアス/既存の自己の無意識な傾向性を客観的に認識することこそが、人間としての本質的「人格」の基礎となるのである。
最も悪いのは、「どうせ自分は悪い人間だ。」などと称して自分の行動バイアスに無意識に流されることに抗うことを放棄することである。こうした身勝手な「決め付け」をしておけば大脳辺縁系は気分的に安心満足して、無意識な行動バイアスに流されることに何の疑問も持たずに済むであろう。それこそが人間性としての「人格」を放棄することなのである。
Ende;
自閉症スペクトラムを理由にイジメを受けるからといって、イジメられる方に問題があるかの如く論ずるのは、明らかに問題の焦点がズレている。
個人差を受け入れられずにイジメをしてしまう多数派の異常性の方を問題にすべきである。
安心して差別迫害をしてしまう多数派を、多数派であると言うだけで「正常」として扱うのは間違いだからである。
空気を読んで、統率協調的に差別迫害をする「普通のヒト。」の危険性については、心理学者も脳神経科学者も問題として扱わないが。原発の危険性が放置されたのも「普通のヒト。」が持つ危険性こそが原因であり、少数派を「治療」と称して矯正することばかりに囚われているのはとんでもない間違いである。
EMDR治療法の副作用ってないのかね。自分の痛みを分からなくさせてしまうと、他人の痛みも分からなくなる危険性があるのではないかと、おいらは思う。
ナチス総統のアドルフ:ヒトラーも、戦場での後遺症治療と称して催眠療法を行った結果、ナチズムに傾倒したとも言われており。その場限りに多数派に合わせて「治療」することは、問題の本質を撹乱するだけである。そもそもヒトラーに従属した多数のヒトの無意識性こそが、ナチズムという洗脳状態を作り出したのであって、ヒトラー個人がキチガイなだけならナチズムなんぞ作られることはないのである。
個人差を許容出来ずに、多数派で統率協調的に差別迫害を行う多数派の「普通のヒト」の異常性の方を問題とし、これを「治療」対策しないことには、あらゆる「人災」は構造原理的に治らない。
少数派の「変わったヒト。」に対して観念的不安を抱き、差別排除することで安心したがる多数派の「普通のヒト。」の異常性こそが、あらゆる「人災」の根源にあるからである。
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自分が虐待を連鎖していることに気付き、自己嫌悪に陥るのは間違いである。
親から受けた虐待を認識し、自分の行為を客観視出来ているからこそ、虐待の連鎖を止めることが可能なのであって。気分的に凹んだり、憂鬱になる必要性は全くない。
後天的に刷り込み学習されてしまった無意識な行動バイアスは本質的な個人の「人格」ではない。無意識に虐待を連鎖していた方が自己嫌悪などに陥ることもなく、当然それを止める意志も働かないことの方が、むしろ「人格」異常なのであって、無意識な行動バイアス/既存の自己の無意識な傾向性を客観的に認識することこそが、人間としての本質的「人格」の基礎となるのである。
最も悪いのは、「どうせ自分は悪い人間だ。」などと称して自分の行動バイアスに無意識に流されることに抗うことを放棄することである。こうした身勝手な「決め付け」をしておけば大脳辺縁系は気分的に安心満足して、無意識な行動バイアスに流されることに何の疑問も持たずに済むであろう。それこそが人間性としての「人格」を放棄することなのである。
Ende;