具体的に誰のツィートなのかは敢えて言わないけどこんなツィートがあった
「なぜ生きているのかという問いに対して、死んでいないからだ それで終わり。」
という趣旨のものである
本来、「なぜ生きているのか。」という問いの意味としては、「なぜ生き続けているのか。」の理由を問うているのであって
「死んでないから、生きている。」というのは単なる結果論であって、目的としての「生き続ける理由」には全くなっていない
左脳優位なヒトというのは、何かにつけて話を「終わり」にしたがる習性があり
物事を深く考え検証する気持ちというものがない
ヒトが「なぜ生きているのか」を問うている場合、単なる結果論など誰も聞いていないのは当たり前の話なのだが
「死んでいないから、生きている。」などという意思も目的も行動選択も介在しない単なる結果論だけを述べて「終わりだ。」などと断言する
そして、それを聞いた大多数のヒトもまた何の疑問も抱かず「ああ、話は終わりなんだな。」と納得してしまう
「死んでいない」という結果を述べたところで、問いの本質である目的としての「生き続ける理由」になど全くならない
言語というのは、物事の抽象化であるため。言葉の一面だけを捉えて具体的内容をすっ飛ばして表面的な「納得」をしてしまい。思考を停止させてしまうことがよくある
ジャレド:ダイアモンドが「潜在意識には、目的がある。」と断言すれば、バカな生徒達は何の疑問も持たずに鵜呑みにするのも、思考停止である
マイケル:サンデルによる洗脳も同様である
洗脳状態のヒトというのは、何せ自分の頭が良くなっていると勘違い錯覚妄想しているので、疑問というものを一切抱かなくなる
論理的思考というものは、気分観念的な「納得」をすることによって簡単に停止状態に陥るものなのである
「自分の頭が良くなった。」という錯覚は、「納得」という気分的快楽によって促されるものであり
むしろ思考停止状態によってバカになっている状態なのである
洗脳状態のヒトが他人の話に耳を貸さなくなるのは、それが気分的に安心で満足だからであって
脱洗脳にするためには、一回自分の頭の悪さを認識する必要性がある
養老孟司による「脳化」云々の話に対し、文科系大衆マスコミの大多数は、何かの役に立つ理論か何かと勘違いしているが
あれは実は大衆迎合であって科学根拠のある理論ではない
養老本人も脳化を理論だと言ったことは一度もなく、そのあたりは養老というのは非常に狡猾である
刑法による懲罰というものも、それによって脳が快楽を感じる故に「解決」だと錯覚しているだけであって。刑罰は論理的な原因究明にも、それに伴う再発防止策にも一切なっていないのだが
その場限りに「死刑にしちまぇ!」と怒鳴り倒して思考停止に陥り満足しているだけの不毛な社会制度に過ぎないのである
NHK解説委員の室山哲也が「人類は絶対に絶滅します。」と断言したのも、思考停止に陥って決めつけてしまえば論理検証を続けずに済むためであり、「話を終わらせる。」ことで自分の頭が良くなったかのような錯覚に陥いることが出来るからなのである
JR尼崎線脱線事故の調査委員会において、具体的にJR社内の社風にまで言及することをせず。仕方なしに被害者遺族達による徹底究明を必要としたのも、「そこまで調べたら、キリがない。」などという手抜きが原因である
物事を深く考えたくない奴というのは、何せ気分感情が動機で話を終わらせようとするため、声がデカくて威圧的でもあるため。物事を深く考えようとする人の言っていることに耳を貸さなくなる
例えばである
ジャレド:ダイアモンドが講義の中で「潜在意識には目的があります。」と述べた時
生徒の一人が「なぜ、潜在意識に目的があると言えるのですか? その論理的根拠を教えて下さい。」と言い出した場合。
その生徒は周りの生徒からは「空気を読まない面倒臭い奴だ。」として扱われ、権威の言っていることにイチイチ疑問を持たないよう同調圧力が働くであろう
こうした同調圧力というものも、洗脳(思考停止)の原因であり。この同調圧力というものはヒトの先天的な社会形成習性が促す一つの行動バイアスである
間違った行動や思考に異を唱えないというのは、子供のイジメにおける傍観の原因でもあり。ヒトという種の生物の先天的な頭の悪さの大部分が先天的な社会形成習性が促すバイアスによって作り出されているのである
ガリレオ:ガリレイの地動説に対し、なぜヒステリックに火炙りなどという暴力で抑圧しなければならなかったのかと言えば
理論的反論が出来ないからこそ、ヒステリックな対応しかできなかったのである
ヒトという種の生物は論理思考が先天的に嫌いなのである
Ende;
「なぜ生きているのかという問いに対して、死んでいないからだ それで終わり。」
という趣旨のものである
本来、「なぜ生きているのか。」という問いの意味としては、「なぜ生き続けているのか。」の理由を問うているのであって
「死んでないから、生きている。」というのは単なる結果論であって、目的としての「生き続ける理由」には全くなっていない
左脳優位なヒトというのは、何かにつけて話を「終わり」にしたがる習性があり
物事を深く考え検証する気持ちというものがない
ヒトが「なぜ生きているのか」を問うている場合、単なる結果論など誰も聞いていないのは当たり前の話なのだが
「死んでいないから、生きている。」などという意思も目的も行動選択も介在しない単なる結果論だけを述べて「終わりだ。」などと断言する
そして、それを聞いた大多数のヒトもまた何の疑問も抱かず「ああ、話は終わりなんだな。」と納得してしまう
「死んでいない」という結果を述べたところで、問いの本質である目的としての「生き続ける理由」になど全くならない
言語というのは、物事の抽象化であるため。言葉の一面だけを捉えて具体的内容をすっ飛ばして表面的な「納得」をしてしまい。思考を停止させてしまうことがよくある
ジャレド:ダイアモンドが「潜在意識には、目的がある。」と断言すれば、バカな生徒達は何の疑問も持たずに鵜呑みにするのも、思考停止である
マイケル:サンデルによる洗脳も同様である
洗脳状態のヒトというのは、何せ自分の頭が良くなっていると勘違い錯覚妄想しているので、疑問というものを一切抱かなくなる
論理的思考というものは、気分観念的な「納得」をすることによって簡単に停止状態に陥るものなのである
「自分の頭が良くなった。」という錯覚は、「納得」という気分的快楽によって促されるものであり
むしろ思考停止状態によってバカになっている状態なのである
洗脳状態のヒトが他人の話に耳を貸さなくなるのは、それが気分的に安心で満足だからであって
脱洗脳にするためには、一回自分の頭の悪さを認識する必要性がある
養老孟司による「脳化」云々の話に対し、文科系大衆マスコミの大多数は、何かの役に立つ理論か何かと勘違いしているが
あれは実は大衆迎合であって科学根拠のある理論ではない
養老本人も脳化を理論だと言ったことは一度もなく、そのあたりは養老というのは非常に狡猾である
刑法による懲罰というものも、それによって脳が快楽を感じる故に「解決」だと錯覚しているだけであって。刑罰は論理的な原因究明にも、それに伴う再発防止策にも一切なっていないのだが
その場限りに「死刑にしちまぇ!」と怒鳴り倒して思考停止に陥り満足しているだけの不毛な社会制度に過ぎないのである
NHK解説委員の室山哲也が「人類は絶対に絶滅します。」と断言したのも、思考停止に陥って決めつけてしまえば論理検証を続けずに済むためであり、「話を終わらせる。」ことで自分の頭が良くなったかのような錯覚に陥いることが出来るからなのである
JR尼崎線脱線事故の調査委員会において、具体的にJR社内の社風にまで言及することをせず。仕方なしに被害者遺族達による徹底究明を必要としたのも、「そこまで調べたら、キリがない。」などという手抜きが原因である
物事を深く考えたくない奴というのは、何せ気分感情が動機で話を終わらせようとするため、声がデカくて威圧的でもあるため。物事を深く考えようとする人の言っていることに耳を貸さなくなる
例えばである
ジャレド:ダイアモンドが講義の中で「潜在意識には目的があります。」と述べた時
生徒の一人が「なぜ、潜在意識に目的があると言えるのですか? その論理的根拠を教えて下さい。」と言い出した場合。
その生徒は周りの生徒からは「空気を読まない面倒臭い奴だ。」として扱われ、権威の言っていることにイチイチ疑問を持たないよう同調圧力が働くであろう
こうした同調圧力というものも、洗脳(思考停止)の原因であり。この同調圧力というものはヒトの先天的な社会形成習性が促す一つの行動バイアスである
間違った行動や思考に異を唱えないというのは、子供のイジメにおける傍観の原因でもあり。ヒトという種の生物の先天的な頭の悪さの大部分が先天的な社会形成習性が促すバイアスによって作り出されているのである
ガリレオ:ガリレイの地動説に対し、なぜヒステリックに火炙りなどという暴力で抑圧しなければならなかったのかと言えば
理論的反論が出来ないからこそ、ヒステリックな対応しかできなかったのである
ヒトという種の生物は論理思考が先天的に嫌いなのである
Ende;