書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

実証不能の嘘無くしては生きられない程弱いもの

2019年07月05日 14時22分45秒 | 意識論関連
2014年にニュージーランドで虐待連鎖の実証実験が計画されたという それは「虐待があっても無視し 将来子供に虐待が連鎖するかどうかを実証する」というものだったが 当時の大臣が中止させたという

時折 こうした実証主義の暴走というものが起きるのだが

その原因は実証に付随する評価だけが目的になってしまっているからである

それはなぜか? 簡単である 評価承認中毒だからだ

虐待が連鎖することは 既に統計的に実証されているにも関わらず それを実地で検証すれば科学的評価になるはずだという妄念が 実証主義の暴走を招いたのである

評価承認中毒患者というのは 評価されることだけが目的になってしまうため 自律的な社会的責任判断選択能力が著しく欠如することになる

「他人からの評価」だけが動機になってしまっているため 「自律」がないのである

「実験によって再現可能であることが実証されなければ評価されない」とか

「権威による査読がなければ理論として評価されない」といった

まるで役所のような「手続き」ばかりが優先されているからこそ 他人の迷惑も顧みずに評価だけを目的に実証主義は暴走するのである

学会で論文として発表されていなかろうが 権威による査読がなかろうが 論理的に正しいことは真理であることに違いはない

科学や哲学の真理というのは特定の専門家だけの特権ではないのである

ましてや哲学界や生物学界全体の間違いを指摘批判している内容を それらの権威が認める訳がない

なぜなら 権威性を失墜し「飯が喰えなくなるから」である



Ende;
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哲学の本質

2019年07月05日 13時16分17秒 | 意識論関連
セーレン:キェルケゴールやジャン:ポール:サルトルやカール:ライムンド:ポパーを読んで気分が良くなったり 「自分の頭が良くなった」ような錯覚に陥ることはない

むしろ 自分の頭の悪さを嫌というほど知らされることになる

それが哲学の本当の姿である

「哲学者」達の多くは「哲学には好き嫌いがあります」などと称して あたかも主観的好き嫌いこそが真理への近道であるかのように促すが これこそが大きな間違いの素である

多くのヒトがマイケル:サンデルの講義を聴いて「自分は頭が良くなった」かのような錯覚に陥り「サンデル先生は素晴らしい」などという主観的感覚(好き嫌い)によって論理検証的批判精神を失い洗脳状態に陥る

フリードリヒ:ニーチェやマルティン:ハイデガーやプラトンには こうした思考停止の中毒症状による洗脳性があるため 多くの大衆から人気を得られるのである

「先天本能習性によって人間としての社会性が立証できるはずだ」などという非科学的オカルト観念を用いて京都大学学長山極寿一や霊長類研究所の松沢哲郎は大衆人気を得たのも 大衆の多くが「自分は先天的に人間性が組み込まれた優秀な生物」だという観念が正常性バイアスにとって都合が良いためである

心理学的には これを「合理化」と呼ぶが 別に科学的な合理的根拠に基づいたものではなく あくまで「主観的気分にとって都合が良いような勝手な解釈」に過ぎない

テロリストがなぜテロリスト集団に同調するのかと言えば テロリストの観念に同調することで主観的気分が良くなるからである

それは ニーチェを読んで気分が良くなり 疑うことを忘れているのと同じである

「ニーチェがナチズムを思想的に支えた」と言われる所以は 主観的感覚を絶対的なものであるかのように錯覚させ 思考停止に陥れるからである

ニーチェなんぞ鵜呑みにしている時点で哲学者としてはポンコツ極まりないデクノボウである

そんな指摘をする「哲学者」なんぞ 今の哲学界にはいないだろ

だから組織腐敗だって言ってんだよ



現状の哲学界からすれば こうした内部告発的批判は「裏切り行為」であり 少数異端でもあるため 差別排除の対象にしかならんだろう

私を差別排除するのは勝手だが その結果真理を見失い 間違った観念や信念に基づいた不毛で有害な因習や体制が温存されていれば 本来回避可能なはずの危険性も放置されることになるのである

だが その責任は私にはない 私には 私に出来ること以上のことをするつもりはない

その結果 誰も理解出来ずに危険性が放置されることで生ずる「人災」の全ては 私の関知する所ではない



Ende;
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口に苦し

2019年07月05日 11時32分52秒 | 意識論関連
「信念は、嘘よりも危険な真理の敵である。」

このニーチェの「身勝手な決めつけ」を 誰も論理検証することなく鵜呑みにし その場限りに主観的気分がよくなるような身勝手な「解釈」をでっち上げることを哲学だと勘違いしているバカの 何と多いことか

信念というものが暴走して「実証不能の観念を振り回し 他人に多大な迷惑をかける」ことは多いが だからといって「信念は真理の敵」という短絡的帰結を鵜呑みにすることもまた「実証不能の観念」に過ぎない

何かをわかったような感覚に溺れて 同じ構造で騙されていることには気付かない

まあ 要するに ただのバカなのだが

ヒトがバカに陥る原因は解っている その場限りに主観的気分が良くなる話を鵜呑みにするからである

なぜ気分が良くなる話を鵜呑みに出来るのかと言えば 自分の主観的感覚を完全無欠の絶対的正義だと勘違いしているからである

いわゆる「正常性バイアス」が促すこうした錯覚は 何せ気分が良いため自覚症状がない

それは 振り込め詐欺に騙されているヒト達と同じ構造である

 ◇

バカを治すために必要なのは 自分の頭の悪さを自覚することである

「良薬口に苦し」なのである

私は残念ながらオブラートに包んで苦味を抑えるつもりはない

そういうのは他の人にお任せする

なぜって?

バカバカしくて面倒臭ぇからだよ



Ende;
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牛の耳

2019年07月05日 10時52分02秒 | 意識論関連
ヒトは今まで実証不能の観念を振り回し他人に多大な迷惑をかけてきた

「信念」というものは論理的根拠を伴わなければ「実証不能の観念」だが

客観的で統合的な観点を持っていれば「信念」は人間性を持つものでもある

フリードリヒ:ニーチェのように「信念の全ては真理の敵だ」などという短絡的で安易な話の方が バカにとっては人気が得られ易い

ナチスの信念は迷惑だが多数人気は得られた

しかし ヴァルター:ベンヤミンの信念は「裏切り者」「反逆者」として差別排除された



地動説を唱えたガリレオ:ガリレイを火炙りにしようとしたヒト達は 天動説こそが正しいという「信念」に基づいて真理を燃やそうとしたのである

「実証不能の神無くしては バカな大衆から金が集められずに飯が喰えず 生きてゆけない」などというクソみたいな話が一番要らないのである

地動説を燃やさなければならなかった理由とは いままで天動説を唱えてきた集団組織体制にとって 多数大衆からの信頼を得られなくなるという恐怖心からである

 ◇

現状の「哲学者」達は 危険学者 畑村洋太郎の提唱する「個人が自律的に社会的責任を負うこと」という倫理の本質を「なかったこと」にしようとしている

こうした「過ち」を繰り返す原因とは 従来の体制に対する観念的信頼性を失うことへの恐怖心に因るものであり 

他人から見た 外見上の同一性を維持することで 多数大衆からの観念的信頼性を維持するための「嘘」なのである

外見上の観念的信頼性が優先してしまうのは 要するに評価承認欲求が優先しているからであって そこに自発性に伴う自律的判断は「なかったこと」にされてしまうのである

倫理の本質が国会原発事故調査委員会報告書に書かれていることに気付かなかった頭の悪さを隠蔽黙殺することで 権威性という既得権益の維持を優先し 真理を闇に葬ろうとしているのである

倫理哲学者であれば 本来マイケル:サンデルやマルクス:ガブリエルやジャレド:ダイアモンドなどの生物学者達の間違いを指摘できなければならないが

そんな奴いねぇだろ

哲学界全体が無能なバカ権威者で牛耳られてるからだよ



Ende;
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