マイケル:サンデルとか養老孟司の講義って オウム真理教教祖麻原彰晃の説法と構造が似ていて
「皆さん考えてみて下さい」的なことを言うんだけど
これって認知行動療法でも用いられる手法だったりする
患者当人が自主的に考えが及ばない事柄に対して 「それはどうしてでしょう?」なんて問いかけをして考えを促すことで 患者はあたかも自分自身で考え 思い付いたかのような感覚(錯覚)を持つことによって自分の思考の欠陥を認識させるんですね
これが 本論みたいにダイレクトに「お前のここが間違いだぞ」なんて言っちゃうと気分が悪くなって拒絶反応によって耳を貸さなくなってしまうために 認知行動療法ではまどろっこしい一種の「ご機嫌取り」みたいな手続きを踏むことで 患者本人の何が間違っているのかを認識させる
「認識させる」とはいうものの 何をどのように認識させるのかは問いかけをしている方の意図に依存しているので 間違った認識に誘導させるために用いることも出来る
マイケル:サンデルのようなペテン師なら 相手が「何かがわかったような感覚(錯覚)」に誘導することで バカになるよう誘い込むことにも利用出来るのです
サンデルも養老も麻原彰晃も 本当は何にも具体的な考えがあるわけではなくて 何か考えがあるかのような雰囲気だけ演出し あたかも何もかも知っているかのような錯覚を与え 更に聴衆には「自分は何かを深く考えたかのような感覚(錯覚)」を与えることによって 「自分は頭が良くなったかのような感覚(錯覚)」を持つようになる
「自分の頭が良くなった」と錯覚している状態(バカの状態)になると 自分にとって都合の悪い話に一切耳を貸さなくなります
全能感というのは正常性バイアスが作り出す錯覚で 全能感覚に囚われているヒトは非常にポジティブで 外見上は能動的に見えるんですが この能動性というのは環境によって促されたものなので 本当は自発性がないんですね
要するに麻薬中毒患者が麻薬欲しさに積極的に麻薬を求める能動性であって これは本質的には主体性や能動性ではないわけです
だから 自律的には抑制ブレーキが効かず 破綻するまで暴走する
非常に積極的にユダヤ人殺害計画に邁進するようにもなったりする
命がけで毒ガステロをやらかしたりもする
ヒトという種の生物は 洗脳されて何も自発的には論理検証せず 誰か観念的に信頼出来る相手を権威と見なして盲目的に服従している方が「幸福(主観)」なわけです
こうした先天的習性は 生存にとっては有利に働くため 進化の過程で脳に組み込まれたものだと言えます
が
あくまで「生存にとって有利だった(過去形)」だけなので そこには目的関数のようなものがあるわけではなく 同時に合理性もありゃしないわけです
そもそも権威に対する服従信頼による封建的統率協調性というものはヒトに限らず存在するものであり ハダカデバネズミの方がむしろ蟻や蜂のような「真社会性」を持つものでもあり ヒトに進化する以前から組み込まれた動物的行動シーケンスに過ぎないのです
シーケンシャルであるということは 機械手続き的であるという意味でもあり それが進化の過程において「生存にとって有利に働くこともあった」からといって 永遠に何かの役に立つわけではないのです
「役に立つこともあった」とは言っても それはあくまで「生存にとって」の話であって 生存にとって役に立ったからといって人間性や倫理にまで有効であることの論理的根拠はんぞなんもないのです
「遺伝的進化任せにしておけば全ては上手くゆく」という話は たとえイジメがおきようとも虐待が連鎖しようともほったらかしにしておいて 結果的に「死ななかった」個体への淘汰圧力任せにしておけば「上手くゆく」と言っているのと意味が同じです
そりゃもう 頭がイカれてるんですよ
こういうトンデモナイ話を哲学界や生物学界は100年以上も何の疑問も持たずに鵜呑みにしている訳です
遺伝的進化というものには目的や方向性がありませんから たとえ絶滅しようと バカに進化しようと 野蛮な個体への進化が促されようとも 誰も責任を取ってはくれることはありません
ヒトという種の生物はもう既にバカへの淘汰圧力が働いて バカに進化しているからこういう事態が漫然と放置されているんでしょう
ヒトが既にバカしかいなくて もはや誰も何の問題意識も働かないのであれば そんなんどうにもならんわ
Ende;
「皆さん考えてみて下さい」的なことを言うんだけど
これって認知行動療法でも用いられる手法だったりする
患者当人が自主的に考えが及ばない事柄に対して 「それはどうしてでしょう?」なんて問いかけをして考えを促すことで 患者はあたかも自分自身で考え 思い付いたかのような感覚(錯覚)を持つことによって自分の思考の欠陥を認識させるんですね
これが 本論みたいにダイレクトに「お前のここが間違いだぞ」なんて言っちゃうと気分が悪くなって拒絶反応によって耳を貸さなくなってしまうために 認知行動療法ではまどろっこしい一種の「ご機嫌取り」みたいな手続きを踏むことで 患者本人の何が間違っているのかを認識させる
「認識させる」とはいうものの 何をどのように認識させるのかは問いかけをしている方の意図に依存しているので 間違った認識に誘導させるために用いることも出来る
マイケル:サンデルのようなペテン師なら 相手が「何かがわかったような感覚(錯覚)」に誘導することで バカになるよう誘い込むことにも利用出来るのです
サンデルも養老も麻原彰晃も 本当は何にも具体的な考えがあるわけではなくて 何か考えがあるかのような雰囲気だけ演出し あたかも何もかも知っているかのような錯覚を与え 更に聴衆には「自分は何かを深く考えたかのような感覚(錯覚)」を与えることによって 「自分は頭が良くなったかのような感覚(錯覚)」を持つようになる
「自分の頭が良くなった」と錯覚している状態(バカの状態)になると 自分にとって都合の悪い話に一切耳を貸さなくなります
全能感というのは正常性バイアスが作り出す錯覚で 全能感覚に囚われているヒトは非常にポジティブで 外見上は能動的に見えるんですが この能動性というのは環境によって促されたものなので 本当は自発性がないんですね
要するに麻薬中毒患者が麻薬欲しさに積極的に麻薬を求める能動性であって これは本質的には主体性や能動性ではないわけです
だから 自律的には抑制ブレーキが効かず 破綻するまで暴走する
非常に積極的にユダヤ人殺害計画に邁進するようにもなったりする
命がけで毒ガステロをやらかしたりもする
ヒトという種の生物は 洗脳されて何も自発的には論理検証せず 誰か観念的に信頼出来る相手を権威と見なして盲目的に服従している方が「幸福(主観)」なわけです
こうした先天的習性は 生存にとっては有利に働くため 進化の過程で脳に組み込まれたものだと言えます
が
あくまで「生存にとって有利だった(過去形)」だけなので そこには目的関数のようなものがあるわけではなく 同時に合理性もありゃしないわけです
そもそも権威に対する服従信頼による封建的統率協調性というものはヒトに限らず存在するものであり ハダカデバネズミの方がむしろ蟻や蜂のような「真社会性」を持つものでもあり ヒトに進化する以前から組み込まれた動物的行動シーケンスに過ぎないのです
シーケンシャルであるということは 機械手続き的であるという意味でもあり それが進化の過程において「生存にとって有利に働くこともあった」からといって 永遠に何かの役に立つわけではないのです
「役に立つこともあった」とは言っても それはあくまで「生存にとって」の話であって 生存にとって役に立ったからといって人間性や倫理にまで有効であることの論理的根拠はんぞなんもないのです
「遺伝的進化任せにしておけば全ては上手くゆく」という話は たとえイジメがおきようとも虐待が連鎖しようともほったらかしにしておいて 結果的に「死ななかった」個体への淘汰圧力任せにしておけば「上手くゆく」と言っているのと意味が同じです
そりゃもう 頭がイカれてるんですよ
こういうトンデモナイ話を哲学界や生物学界は100年以上も何の疑問も持たずに鵜呑みにしている訳です
遺伝的進化というものには目的や方向性がありませんから たとえ絶滅しようと バカに進化しようと 野蛮な個体への進化が促されようとも 誰も責任を取ってはくれることはありません
ヒトという種の生物はもう既にバカへの淘汰圧力が働いて バカに進化しているからこういう事態が漫然と放置されているんでしょう
ヒトが既にバカしかいなくて もはや誰も何の問題意識も働かないのであれば そんなんどうにもならんわ
Ende;