書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

ピタリ

2020年04月10日 21時42分01秒 | 日記

先日近所の葬式にいった際に線香の煙でノドをやられて

時折咳が止まらずうがい薬でも買おうと思って薬局行ったんだけど

うがい薬の隣に「イソジンのどフレッシュ」っていうノドに噴射するスプレーが売っていて

試しに買ってみたら

効いた

一発だった

咳がピタリと止まった

 

イソジンのどフレッシュ ムンディファーマ

 

Ende;

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筆談推奨

2020年04月10日 17時18分37秒 | 日記

今日薬局に寄ったら 聴覚障害者の方が手話を使いながら大声で店員さんと話をされていたのです

聴覚障害なので 御本人は大声を出しているつもりはなく 聴こえないので声の大きさがうまく調整できないんだと思います

店員さんは手話ができないので マスクを外して聴覚障害者さんに唇を読んでもらっていました

室内(店内)でマスクを外して大声で会話をしてしまうのは危険なので

今は筆談で会話された方が良いと思います

お店の方でもスケッチブックとサインペンみたいのを用意しておいた方が良いかな

 

Ende;

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他人に論理検証を丸投げして主観的感想文送られても困る

2020年04月10日 05時35分02秒 | 意識論関連

他人からの評価なしに本当に自発的な純粋行為でないと心は折れたまま修復すら出来ない。
「じゃまなか」とか言われてもめげない自発性がないとノーベル賞にはならないのかなと。
「スルメ見てイカがわかるか。」で悔しがっているようではダメだし、そんな話に共感しているようでは尚更。

→「心が折れる」かどうかは主観的なものであって 本当に自発的な純粋行為なら他人の評価に惑わされることなく続けることが可能

自発性があればノーベル賞になるかは知らないけど

少なくとも他人からの評価だけが目的で純粋な探究心がなければ教えられた内容の間違いに気づくこと出来ないので

評価承認欲求中毒ではノーベル賞をとることは無理

あと 「スルメ見てイカがわかるか」には共感なんぞしてないので これは曲解

もしかすっと文脈の中で共感はしたかもしんないけど 正当化はしたこたない


 ◇


「その世界でのバカ」っていうのには普遍的価値がないので ノーベル賞受賞者の山中伸弥教授が「じゃまなか」よばわりされていたことにも意味はないと思う。 どっちかつうと論理検証みたいのが欲しかったのであってツイッター上の正義や勝ち負けには興味はないです。

→「その世界でのバカ」扱いというのはガリレオ・ガリレイが地動説で火炙り宣告されたようなことであって それは意味がないって言ってるんだけどね

「ツイッター上の勝ち負け」なんてのは 読む人の勝手な価値観なので 興味があるかどうかも人それぞれの主観的なものであって それは私の知ったことではないです

 

「論理検証性みたいのが欲しい」と言う割には論理的理解がイマイチで 主観的感想を返されても困ります

文系の人って主観的読書感想文と客観的論理検証の区別がついてない人が多くて困るって言ってるんですけどね

 


Ende;

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