書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

無駄に頑張らなくて良い

2020年10月10日 16時02分30秒 | 日記
自殺しちゃったり薬物依存になっちゃったりする人って

もしかすると無駄に頑張り屋さんなんじゃないかと思ってみたりする

頑張ればご褒美が必ず貰えるはずだと思っているから ご褒美が誰からか貰えそうにない個人的な人生の楽しみ方を見失っているんじゃないかと

多数他人という世間に飼い慣らされてしまっていて 飼い主のご機嫌取りしか出来なくなって不安になってんじゃないかと

ヒトなんだから 別に環境に左右されなくても適応できるだろうと

思うけどな

生活保護受けていても別に人間として劣っていることの証拠にはならない

そもそも年収1億の人が年収120万以下の人と金額差だけの能力の違いがあるわけがないもの

同じヒトなのに 先天的にそんなに違うわけねぇだろって

多分間違っているのは経済システムの方なんだよ

そもそも障害があって今の社会に適応出来ないからといって存在自体を否定するこた出来ないよ

金ってのは道具であって 目的でも基準でもない

本当の「意味」って本人にしかわからない

だから生き続けることを強制するこた出来ないけど

本人の「意味」くらいは自分でナントカしろよって

大抵の「地獄」なんて松永莉子パパに比べたら大したこたないだろって

ハゲ散らかしたジジイは思うんだ



Ende;

憂鬱という感覚

2020年10月10日 15時32分14秒 | 意識論関連
うつ病の原因にたんぱく質が関係しているという話があるんだが

そもそも気分感情というのは脳内物質の作用に過ぎないので 当たり前っちゃぁ当たり前の話ではある

「心」というものが物質的なものを超越した何か霊妙なものであるかのような感覚をヒトは抱きがちではあるが

所詮「心」も物質である脳の機能の一つに過ぎない この点は養老孟司の「唯脳論」と同じである しかし残念ながら養老孟司の唯脳論というのは科学を逸脱した支離滅裂な話なので 読んでも論理科学的には何の結論も出てこない

出てこないのだが 大衆観念にとって満足感を与える内容であるため 論理検証の苦手な文科系の大衆やマスコミには「人気」だけはある



「憂鬱という感覚」は脳内の不安物質的なものが作り出すものであって かつてヒトにまで進化する過程(ヒトに進化する以前の方が圧倒的に長い)において生存にとって有利な行動を促した「名残り」のようなものだと言える

憂鬱を感じることが出来るということは ひるがえって考えれば憂鬱を解消した楽しさや気持ちよさも感じられることの証明でもあり 大脳辺縁系を損傷した人であれば憂鬱も感じないのだろうが 同時に楽しみも気持ちよさもわからないのであって 憂鬱というのは楽しさに向かうためへのキツイ登り坂みたいなものだと考えれば良いのではないか

人によっては感染症予防のために室内で巣籠り生活に陥っていることが憂鬱な感情の要因となっているようだが 意外と人のいない場所というのは探すとあるもので 「キンシオ」(TVK)のように普段行かないような辺鄙(へんぴ)なところへ出かけてみることも嫌なことを忘れて不安解消になるのかも知れない



脳の機能には幾つかあるが 意識の話において重要なのは主観的感覚と客観的論理検証性の2つである

大脳辺縁系というのはヒト以外の生物でもほとんど同じ構造で 機能もさしたる違いはない

サルやネコの気持ちが理論とは無関係に何となく「わかる」のはそのためである

よく訓練されたイヌがセラピー効果を持つのも同じ理由であろう

だが イヌの場合育て方を間違えると誰彼構わず吠え散らかすようにもなる

気分感情というのはこの大脳辺縁系の働きによって作り出されるものであって 安心とか恐怖とか好き嫌いを作り出すものである

ヒトに進化する以前の生物においては 行動は情動と直結していて 情動のままに行動しても結果的に生存にとって有利な行動結果になるような個体種だけが生き残るという淘汰圧力によって進化が起きた

しかし こうした先天的に決定している条件反射的行動バイアスだけでは環境の変化に対して適応能力が乏しいため より環境変化に対応して生存にとって合理的行動が選択できるように大脳が発達した生物への進化も起きた

とは言っても 別に大脳が発達しなくても昆虫程度の脳でも絶滅することはなく 現在の地球上にはクラゲのようにほとんど脳なんぞないような生物も絶滅せずに現存している

遺伝的進化というものには目的や方向性があるわけではないので 結果的に生息環境に適応さえしていれば絶滅せずに済むのである

絶滅するかしないかは大脳容積とは相関がなく 生存にとって必ずしも大脳容積は必要なものではなく チンパンジー程度の脳であっても生息環境に適応してさえいれば絶滅せずに存続することは可能であり そもそもネズミ程度の小さな脳でも生存にとって必要な容積さえあれば絶滅するどころか世界中で大繁殖することは可能である

ただ ヒト程大脳が大きく肥大すると 様々な環境への適応が可能となって 今では世界中あらゆる地域に大繁殖することも可能となった が それは結果であって目的でもなければ「ヒトは万物の霊長」であることの論拠にもならない

「霊長」などと称して順位序列をつけたがるのは 哺乳類全般に見られる順位序列意識(無意識)がでっちあげた妄想に過ぎない



ヒトという種の生物は 他の生物と比べて大脳が異常に発達しているので 物事を論理客観的に「考える」ことも可能ではある

可能ではあるのだが 残念なことに論理客観的な「考え」と 主観的な感覚が促す「思い」との区別がつきずらい性質があり これが「錯覚」という先天的欠陥も作り出すのである

養老孟司の著作を読んで何かが「わかった」ような感覚に陥ることや マイケル:サンデルの講義で「自分は頭が良くなった」と勘違いするのも イマヌエル:カントの純粋理性批判を哲学だと勘違いするのも 構造的には錯覚という脳の先天的欠陥に起因する誤謬である

紙に印刷されただけの図像が勝手に動くわけがないことは誰にでも「理解」できるために それを錯覚だと認識することは簡単だが VRゴーグルを装着してビルの屋上から突き出た細い鉄骨の上にいるかのような映像を見せられると 意識(論理客観的理解)の上では理解していても落下する恐怖を抑えることは困難になる

振り込め詐欺師による劇場型手法もまた 恐怖心を煽ることで真実味を作り出し 巧妙に大金を騙し取ることが可能となるのである

学力偏差値が高いはずのハーバード大学の学生であってもマイケル:サンデルに簡単に騙されるくらいなので 一般の人が詐欺師に騙されても 他人と比べて特に頭が悪いことの論拠にはならない

私自身も別に先天的に頭が良いわけではなく 「頭が悪いとは どういう状態なのか」を論理的に理解しているから養老孟司やマイケル:サンデルの洗脳手法にはひっかからないだけのことであって 記憶力は人並み外れて悪い傾向もあり 簡単な1,000円以下のお金の計算もよく間違えることがある

ただ 若干のサヴァン傾向みたいのもあって 中学2年生の図形の授業は予習も復習も一切しなかったのにやたらと成績が良くて教師からは「頑張ったわね」と褒められたこともある しかし 実際には何も「頑張って」などいないので褒められても何の感情もわかなかった

サヴァン傾向というのも結局はグラデーションであって 個人の差異が極端に大きい場合にはサヴァン症候群と分類されるだけであって 誰でも得手不得手はあって然りである

「自分は頭が悪い」からといっても そもそも「頭の悪さ」というのは他人との比較における能力差に過ぎないのであって 苦手なことや興味のないことで能力が低いのはむしろ当然のことである

論理客観的思考が苦手であることを自覚していれば 論理的に理解できない話は「よくわからない」と保留して誰か得意な人に頼っても構わないのであって 論理的に理解できない話なのに「わかったような感覚」になったからといって鵜呑みにしない客観性は社会的な責任を持った人間として必要である

ただ 科学的論理思考に関しては多数評価がアテにならないので 誰に頼るのかは最低限の論理客観的判断能力が必要にはなる

とはいえ 養老孟司の著作やマイケル:サンデルの講義を鵜呑みにした人であっても その洗脳手法の構造を説明して理解できれば 本当は何が正しいのかを判定することは さして難しいことではないはずである

厄介なのは ヒトは一度信じ込んだ話に対して 信じ込んだ過去の自分の判断を否定したくないという感情バイアスが働き 事後正当化のための屁理屈をでっち上げ 「認知的不協和を解消する形」で自分にとって気分の良くない話に耳を貸さなくなるという習性があり これが洗脳を解く上において大きな障害となる

洗脳状態というものを論理的に説明すれば とても簡単な構造しか出てこないのだが 簡単であるがゆえに強固で 一旦洗脳されてしまうと解くことが難しいことにもなる

イヌ科の動物が狩りの際に統率的協調行動を採ることによって より多くの獲物を獲得することが可能になり これが生存や種の存続にとって有利に働くことで「進化」を促したとは言えるが ヒトがこうした先天的統率協調行動を発揮することによってイジメや差別といった野蛮な行動の原因ともなる

オキシトシンが仲間内に対する協調性を促すのと同時に 仲間以外の個人や集団に対して差別的行動をも促すことが知られており これがヒトの暴力性を発揮させる大きな要因となっているのである

おそらくは 子供を守ろうとする行動バイアスが別の形で現れているのではないかと思われる

カラスが巣の周囲で凶暴化することや 子供のいるアフリカゾウがヒトに対しても凶暴になることからも 本来は同種同士での紛争のために進化したものではないはずなのだが なにせ先天的習性というものは目的のない「結果」に過ぎないために 状況によっては合理性も必然性もない行動として現れてしまうこともしばしばある

ヒトが実年齢よりも見た目の幼い個体との配偶関係を求める習性によって 結果的に脳肥大などが起きた可能性があるのだが こうした習性は実年齢とは関係なく繁殖能力のない幼児に対する配偶関係を求めてしまう結果にもつながることになる

場合によって幼子を強姦して殺害するという どうにも必然性も合理性も全くない衝動の引き金になってしまうこともある

遺伝的進化というものは偶然の産物であるため 目的も必然性も必要ないため 合理性のない形質や行動習性への「進化」が起きていても何の不思議もないのである

ヒトが欲望のままに行動していれば 自然環境の破壊や社会崩壊に陥ることは明らかであり 社会安全性や持続可能性のためには欲望を制御する理性こそが最も重要であることは理論的に否定不可能である

リチャード:ドーキンスのお伽話の大衆人気に起因する遺伝的進化万能論というものは 遺伝的進化さえしておけば全ての問題は解決するという論理的根拠の乏しい観念に基づいたものであり どんなに大衆人気を得ていても科学的には何の価値も応用性も存在しない

フランシス:ゴルトンによる優生学も 遺伝的進化を万能の願望器か何かと勝手に妄想したオカルト観念にしかなっていないのであり 遺伝的進化万能という観念に対して今まで誰もマトモな論理反証が出てこなかったという大失態を生物学者達は130年以上もやらかしてきたのである

死ぬか生きるかは個人的には一大事ではあるが 社会的には「普通のこと」であり 珍しいことでも何でもない

個人的な「生きるためには」とか 進化万能論に基づいた「適者生存」という「結果」を あたかも社会的「目的」か何かと勘違いしているから 人間社会に生存競争を持ち込むという野蛮な発想に陥るのである

「生き続ける」というのは人生においては「手段」であって 別に目的ではない

苦しむ以外に何の希望もない生存であるならば それは無理な延命をしても意味はない

医者なら「何年後の生存率」という「業績」にはなるのかも知れないが その「業績」には人間としての倫理は存在していない



ある特定のモノサシ(基準)というものが 論理客観的根拠に基づいたものである証拠がない限り そのモノサシだけを鵜呑みにするのは真実を見誤る可能性が否定できない

「生き続けていても 何も良いことなど今後一切ない」と主観的に「思って」も 「思い」である以上は「考え」に基づいた根拠が伴っている証拠はない

大脳容積というのは 本来進化過程において環境適応に有利な行動をできる能力を発達させることも可能となったわけであって 感染症対策に適応した人生の楽しみ方を発見する能力も持っているはずである

大脳容積を活用するために重要なのは 気分感情という主観ではなく 論理客観性に基づいた工夫が必要である

何をしていたら楽しいのかは 「実際にある程度やってみるしかない」とは 小柴昌俊の言葉である



Ende;