迷惑ユーチューバーの〝へずまりゅう〟こと原田将大や 田代まさしの頭の悪さの原因とは 自律的に社会的責任判断選択をしないことである
その意味においては 「刑法判決で解決だ」という短絡性と構造的には同じものである
程度は違えど 自律的に何が本当に正しい選択なのかを主体的に判断していない点においては何も違わないのである
「ハインリッヒの法則」に基づけば一つの大きな事象の陰には無数の小さな事象が隠れているのであって 大衆やマスコミの自律判断の欠如を放置しているからこそ大きな事象の歯止めが効かないことになるのである
多くの大衆に見られる頭の悪さを丹念に治す丁寧さがないからこそ 社会が重大なバカを発現する温床となってしまうのである
原田将大や田代まさしや相模原障害者施設津久井やまゆり園虐殺事件の植松聖のような重大なバカを見ていると 気分的には「自分とはかけ離れたキチガイに過ぎない」と感覚(主観)的には分類しがちだが 実際(客観的)には単なる「程度の違い」に過ぎず 小さな頭の悪さを理解認識していないからこそ 重大なバカの発現を放置してしまう原因になってしまうのである
社会安全性というものは論理客観的根拠に基づいて追求されるべきものであって 感覚(主観)的な気分的安心満足によって論理客観性を放棄することは社会的に無責任な選択なのである
多数がバカだと気分的には安心で 責任が多数で薄まると「思って」いるであろうが そうした主観的な「思い」こそがヒトから論理客観的検証性という「人間としての意識の本質」を喪失させる原因なのである
科学者でありながら「主観が大事」などと言い出す野依良治のような老害が理化学研究の理事なんぞ務めていること自体がペテンも甚だしい
養老孟司が東大名誉教授なのも 山極寿一が京大学長だったのも 松沢哲郎の文化功労賞も 科学というものに対する冒涜である
益川敏英(理論物理学者)だったらそんくらいのことわかりそうだがな
専門外だからといって「よくわからないから 専門家に丸投げしておいて良い話」ではない
私がわかる内容を 益川敏英や畑村洋太郎がわからないわけないだろ
学術会議に限らず 科学界全体の存在意義において専門外であっても批判精神を持って自浄することが必要である
公費で運営されている大学や研究機関であれば その運営において「専門外だから」という責任逃れはできないはずである
Ende;