書き逃げアンドロイド。

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選択不可能性

2022年02月04日 22時03分10秒 | 意識論関連

遺伝的進化というものは 個体が自由に選択できるようなものではない

バカな生物学権威やマスコミは「〇〇のために進化を選んだ」といった説明を平気でするが これは科学的には著しい誤謬である

例えば昆虫の擬態について 大衆観念的にも旧来の生物学的にも「捕食者から見つからないように枯れ葉などに姿を似せた」といった解釈をしているが 捕食者から見つかりにくいような形質になるよう自らの遺伝子を都合良く改変させることなど原理的に不可能であり とんでもない大間違いである

偶発的に枯れ葉などの似ている姿の個体以外が天敵から喰われ続けた結果として より枯れ葉などに姿の似ている遺伝子への収斂進化が起きた結果を 我々は「擬態」だと形容しているに過ぎない

この話は実は既にマスコミでも幾度か解説されたことのある話であり 一部の生物学者の間では常識となっているのだが あくまで「一部の生物学者の間」だけであって大半の生物学者やマスコミはこれを全く理解していない

国立科学博物館の遠藤秀紀は こうした旧来の生物学上の誤謬を「典型的な間違い」だと説明しているが その具体的内容を理解している者は生物学界においても大衆マスコミにおいても極めて少数派である

2021年暮れに放送されたNHK「ジェンダーサイエンス」では「子宮内膜を厚くすることを考えた」などという非科学的で荒唐無稽な説明をしており これを指摘してもNHKは一切耳を貸さず 訂正もしなければ周知もしていない

一応説明しておくが 子宮内膜が薄いと母子共に死ぬ確率が高いため 結果的に子宮内膜が厚くなる遺伝子を持った個体への収斂進化の結果であり 「考え」などという後天的なものは遺伝要素に影響を及ぼすことはない

エピジェネティクスなどと称して「後天的要素が遺伝的進化に影響を及ぼす可能性」について論じている生物学者もいるが 「後天的要素が遺伝的進化に影響を及ぼす」からといって都合良く「目的に則って遺伝的要素を選択することが可能」であることの論証には全くならない

バカな生物学者は遺伝的進化さえ促されれば常に正しい結果が得られるとでも「思って」いるようだが ヒトの凶暴性や差別というものも遺伝的進化によって結果的に組み込まれた本能習性によるものであり 祖先の生息環境下における環境資源の奪い合い競争に勝ち抜いた個体種への収斂進化として ヒトは差別や暴力紛争という非合理な行動を引き起こすのである

遺伝的進化というものは あくまで「繁殖の継続」という結果以上の何ももたらすことはない

遺伝的進化というものは あくまで「死なずに生き残った個体」が「生物」として現存しているに過ぎず 「生き残って繁殖を継続可能」という結果以外には何の収斂進化も起きることはない

現存生物というものも 所詮は現状において生物として存続しているものの これからも永遠に存続可能であることの保証は何もなく 過去には幾度もの大絶滅(進化の袋小路)も起きており これからも大絶滅が起きない保証は何もないのである

現状ホモ・サピエンスが地球上において異常大繁殖しているが これを短絡的に「繁栄」などと称して全面的成功であるかのように解釈しているのは大間違いで 実際には自らの生息環境を破壊し 環境資源を喰い尽くして絶滅への一途を辿っているのである

ヒトは 主観的・情動的には大半が「死にたくない」と「思って」いるが これはあくまで個人の主観に過ぎず どんなにたくさんの主観の多数決を集計しても「ヒトの目的は死なないこと」であることの論拠には全くならない

個人的に「死にたくない」からといって これを根拠に「生物の目的は生存」などとこじつけるのは 到底論理客観的な科学的根拠にはならない

生物には目的などなく あくまで生息環境に適応して繁殖を継続できている現存種を「生物」と分類しているに過ぎないのである

こんな簡単な理屈すら誰も気付かず 誰も考えもしないにも関わらず 自分達を「知的生命体」などと「思って」いるのは勘違い妄想も甚だしい

 

 


Ende;

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