書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

必然的結果

2022年02月10日 12時05分07秒 | 意識論関連

ヒトという種の生物は 論理客観的根拠に基づいた真実と主観的安心満足との区別がつかない性質がある

主観的に安心満足してしまえば論理客観的根拠が伴うのかどうかには意識が働かなくなるからである

だから嘘やデマにも簡単に騙される

 

「リアルを感じられる」とは 「感じ」である以上は主観である

論理客観的根拠の伴わぬ実証不能の観念や感覚であっても 主観的に「リアルを感じられる」ことはあり だからこそヒトは騙されるのである

マルクス:ガブリエルは「不安がリアルを歪める」と言っているが 現実には安心満足こそが論理客観的事実を見失わせる原因である

カルト宗教の信者は主観的に安心だからこそ自分のやっていることを疑わないのであり 不安か安心かという主観的感覚を自分の意識の本質や中核だと「思って」いることそのものが根本的に間違いなのである

 

バカだとすぐに「じゃあ 一体何を信じたら良いの」などと感情的に怒り出すものだが 「信じたい」という主観的欲求を満たすために哲学があるのではなく 「信じる」に価する真実かどうかを自分の頭で「考える」ことが「哲学」なのである

真実か それとも嘘やデマや根拠のない観念なのかを区別するために必要なのが論理客観的検証性であり 「考え(哲学)」によって真偽の判定が可能となるのである

ヒトは主観的感覚が優先し 主観的に「信じたい話」ばかりを信用したがる先天的習性がある

進化の過程において 祖先の生息環境に適応できた本能習性への収斂進化の結果として 主観的安心満足に頼った行動だけでも一定の安全性は確保できるものの それは決して万能ではない

遺伝的進化によって収斂した本能習性というものは あくまで「繁殖の継続」以上の何ももたらさない「結果」でしかなく 殺し合いだろうが騙し合いだろうが絶滅していなければ「遺伝的進化の成功」なのであり 「遺伝的進化の成功」もあくまで現状における暫定的なものであって 進化の果てに絶滅しても誰も責任は取ってくれないのである

遺伝的進化というものは いわば「自然に起きている品種改良」のようなものに過ぎず 環境適応以上の何ももたらすことはない

ヒトが未だに殺し合いをするのも ヒトという種の生物は殺し合いによる環境資源の奪い合い競争を勝ち抜いた動物の子孫だからであり ヒトにまで進化してからは数万年程度しか経過していないのである

ましてや民主主義的平等を求め出してからは数百年程度であり 社会持続可能性に至っては数十年程度しか経過していないのである

そんな「ヒト」という種の生物が 先天的本能習性によって社会持続可能性や公平性という「人間としての社会性」を発揮できる保証など何も根拠がないのである

ところが残念なことに ヒトという種の生物は「ヒトには先天的に人間性が組み込まれているはずだ」などという科学的根拠のないデマばかりを信じたがり 論理客観的根拠が伴っていないことには誰も問題意識を持つことはないのである

 

主観的な「リアルを感じられる」話さえしておけば 衆愚は簡単にマルクス:ガブリエルでもイマヌエル:カントでもフリードリヒ:ニーチェでも養老孟司でも鵜呑みにするものである

主観的に「感じ」られさえすれば 嘘でもデマでも安心満足さえすれば簡単に鵜呑みにする それが「ヒト」という種の生物の先天的な認知的欠陥である

 

客観的事実というものは 時に主観的感覚とは乖離することがある

私も未だに一般相対性理論における「同時性の崩壊」が感覚的に理解できず わけがわからない

わからないのだが 重力波の計測が可能であるということは客観的には信用するしかないので信用しているのである

重力加速度によって空間の方が歪むという現象は重力レンズ現象などでも観測されており 疑う余地が今の所ない

だが 私は日常生活において同時性に基づいて物事を判断して行動しているので 感覚的にどうしてもついていけないのである

これは錯覚である

相対性理論だと専門性が高すぎてわかりづらいだろうが 「盲点」なら誰でも体験可能であろう

ヒトの視野の中には見えていない点が存在しているのだが 「見えていない」こと自体が「見えない」ようになっている

右目の視野の中心から少し右側に 「見えていない領域」が存在しているのだが 「見えていない領域」が存在していることを私達は普段知覚することができない

左目の視野にも中心から少し左側に同様の盲点が存在しているのだが 両目で物を見ている場合には盲点を補い合うことで日常生活には支障をきたすことはない

だが 片目で物を見ても 「盲点」は知覚できないのである

全部が見えているような感覚がある

他にも錯視というものはたくさんあって 様々な錯覚によって客観的事実とは異なる現象を「感じ」るものなのである

手足を事故などで失った人が 失ったはずの手足に痛みを感じる「ファントムリム(幻の手足)」現象や

脳の視覚野を損傷した人が視野の片方を認識できなくなる「半側無視」という現象も主観によって作り出される錯覚によるものである

それと同じでデマや嘘を信じ込んでしまう現象も 主観的感覚による錯覚を 錯覚だと認識する客観性が働かないことによる認知上の欠陥が原因である

紙に印刷された図形が動くはずはないことは 客観的に誰でも理解しているからこそ錯視図形は錯覚だと認識できるのだが 学術権威の言っている内容に論理客観的根拠が伴っていないことには多くのヒトは気付かない

「理性や人智を超越した叡智」だの 「絶対に知覚することのできない叡智界」だのといった論理客観的根拠を伴わぬファンタジー妄想であっても 修士や学位を持った「哲学者」という肩書さえあれば ヒトは誰も疑わなくなるものなのである

東大などの国立大学であっても 一般教養課程では未だにイマヌエル:カントの「純粋理性批判」を「近代哲学の最高峰」などと称して教え込んでおり 批判も訂正も何もしていない

フリードリヒ:ニーチェなんぞ基準自体が曖昧で 読み手がどうにでも都合良く解釈可能な話であるにも関わらず まるで論理客観的根拠を伴う「哲学(考え)」であるかのように取り扱っているのである

大学というのは税金から交付金が支給され 更に学生から授業料まで徴収しているのであって 嘘や間違いを教え込んでいたら大問題なはずだが それは大多数によって傍観放置され続けているのである

生徒の大半は就職のために学歴を目的としているだけであって 教えられた内容が真実かどうかは興味がない

それで「社会の諸問題が解決しない」のは もはや必然でしかないのである

 

 

 

 

Ende;

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丸山俊一

2022年02月10日 10時49分35秒 | 意識論関連

丸山俊一って誰だと思ってググってみたら

「 NHKエンタープライズ番組開発エグゼクティブプロデューサー」という肩書が出てきた

NHKで金支払って雇っているらしい

マルクス:ガブリエルなんぞを「哲学」だと思っている時点でかなりイカれているので こんな奴を雇っているNHKに受信料なんぞ支払うべきではない

NHKは番組の内容を訂正し 謝罪した上で一定の受信料の返還もすべきである

 ◇

「哲学」というものは 「考える」ことである

「考える」とは何かと言えば 論理客観的に正しいか間違いかを「考える」ことを言う

マルクス:ガブリエルというのは言っている内容に論理客観的根拠が伴っておらず 到底「真理」であることの論拠が全く立証されていない上に

「世界は存在しない」だの「時間は無限に分割すればなくなる」などという支離滅裂なことを言い出すオカルト野郎である

こんなオカルトがまかり通っている現状の哲学界も問題だが それを鵜呑みにしているNHKにも重大な問題がある

 

 

 

Ende;

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