「見るのも嫌だ。隣に住んでいたら嫌だ。人権や価値観は尊重するが、認めたら、国を捨てる人が出てくる」(荒井勝喜 総理大臣秘書官)
「国を捨てる人が出てくる」というが
それもこの国では自由なので平等や自由が嫌いならロシアにでも亡命すりゃ良いんだ
自分の主観(個人的好き嫌い)を自分の意識の本質だと倒錯しているからこういうバカみたいな発想が出てくることになる
個人的好き嫌いに拠らず人権や価値観や存在を認めるのがダイバーシティ(多様性)というものである
学校の入学試験というのは教師が決めた基準によって合否を差別するわけだが それは多様性を容認していないことにはならんのかということである
入学試験の問題は教師が決めているが 別に認知科学的根拠に基づいて知能を測っているわけではない
イギリスの大学では教師が主観的に教えたいかどうかを基準に選別するという
そもそもなぜ どこかの学校に合格しなければ知りたいことや学びたいことが学べないのであろうか それは憲法でも保証された「教育の義務」に反していないだろうか
生徒子供が知りたいこと 学びたいことを 大人や社会が勝手な基準で線引きをして制限をかけるというのは 明らかに「教育の義務」を放棄しているのである
知りたいこと 学びたいことがあるのであれば それは誰もが平等に学べるようになっているのが公平というものであって 教育機関が平等を放棄しておいて良い理由は何もない
学歴を目的とした学力偏差値お受験ビジネスの金儲けばかりが蔓延し 教えられた内容に間違いや嘘が混入していても誰も気づかないバカだからこそ東大医学部の学生が地下鉄に毒ガスを撒き散らすような結果にもなる
宮台真司は「犯人の動機が知りたかった」などと述べていたが 「暴力で何かが解決すると思っているようなキチガイの動機」を知っても 所詮は「頭にきた 腹が立った」以上の「動機」は出てこない
本当に社会から暴力を根絶するために必要なのは 「なぜ自分の主観的感情に基づいた身勝手な正義や道徳観を振りかざし 非合理な暴力破壊に暴走破綻するようなバカになってしまうのか」について徹底検証することである
通り魔の「動機」を知っても意味はなく 「行動の動機に合理性が欠如してしまう頭の悪さ」を検証しないことには通り魔事件の根源的原因は藪の中である
ヒトという種の生物は 暴力破壊によって気に入らない相手を攻撃することで満足する習性がある
これはサルでも同じであり ヒトの脳も大脳辺縁系(古い領域)の構造はサルと同じであり 情動そのものはさしたる違いはない
例えば 煽り運転をした奴を特定したとして その煽り運転野郎を寄ってたかって殴ったら 煽り運転が発生する根源的原因が解明されて煽り運転がなくなるかと言えば
関係がない
それは司法手続きによる刑法懲罰でも同じである
ところが「正義のSNS民」共は再発防止などの社会安全性には興味が全くなく 目の前の主観的正義を振りかざすことによって人々を恐怖によって抑圧することによる優越感が優先し デマや嘘でも簡単に鵜呑みにできるようにもなる
これはそもそも懲罰という暴力によって 他人を恐怖で抑圧支配することこそが「安全保障」だと倒錯しているからである
これは「煽り運転をする奴」や「腐敗した独裁政権の発想」と全く同じものである
なぜ「煽り運転」や「SNS上の誹謗中傷」などという身勝手な正義を振り回すようなバカになったのか その根源的原因はヒトの先天的な認知上の重大な欠陥に起因するものである
「罰を与えれば解決」
梅沢富美男ヨロシク凶悪犯罪者に対して「こんな奴は死刑にしちまえ!」と怒鳴り散らせば多数の衆愚人気を集めることは簡単である
凶悪暴力殺人事件の再発防止のために論理客観的に原因究明することよりも 集団で殴っておいた方が気分が良くなるようにヒトの大脳辺縁系は出来ている
ヒトの祖先がどのような進化の過程によってこのような懲罰的正義行動バイアスが組み込まれたのかは知らないが 懲罰的正義というものが物事の根源的解決や問題の再発防止において合理性がないのは明らかである
だから失敗学や危険学では刑法懲罰を一時停止し 再発防止のための根源的原因究明を最優先するのである
それに対して多くのヒトは「被害者感情」を持ち出して主観的納得感ばかりを優先し 刑法懲罰の判決という手続きだけで「解決」したことにしてしまい 根源的原因が全く検証されずに再発可能性を放置しておいても何とも主観的には「思わ」ないのである
東京電力の社員であれば 上司のご機嫌を損ねれば会社に居づらくなることを怖れ 原発の津波に対する脆弱性を放置する
ロシア兵であれば 上官のご機嫌を損ねれば暴力を振るわれることを怖れ命がけで腐敗政権の命令に服従する
外見上は「勇敢」であるかのように解釈することも可能であるが 実際には兵隊というのは上官に逆らうことが怖くて命令に従っているに過ぎない
特攻隊も同じであり 実際には自分の主体的意志など一切なく 世の中の多数が特攻を英霊だと英雄視しているものだと勝手に錯覚していたからこそ 終戦後に特攻崩れは「荒れた」のである
「英霊英雄扱いしてもらえる」という外的動機に「流されて」いただけであって 意志も主体性も一切なかったからこそ 社会に対して報復的に「荒れた」のである
評価承認欲求中毒になると 自分の頭で物事の真偽を一切検証しなくなり 多数や権威の意見をバカみたいに鵜呑みにして平然と非合理な行動もできるようになるのである
迷惑行為を動画で公開するバカも後を絶たないが 目先の再生回数や「目立つ」ことだけしか頭が働かなくなるからこそ迷惑行為を自分から公開して巨大な墓穴を掘っていることには一切気づかなくなる
プーチンや麻原彰晃が戦争を始めてしまうのも 目の前の取り巻き達からの評価承認に流される形で 取り巻き達にウケの良い行動選択ばかりをした結果 破綻への暴走に歯止めがかからなくなる
北朝鮮政府の無謀な挑発行為もメカニズムは同じである
バカが考える形式にさしたる違いはないからだ
兵隊は自分の頭で物事の真偽を検証したりはしない
あくまで上官の命令に従うことで評価承認を得ることだけで頭いっぱいになっているからである
独裁政府が暴走するのも 迷惑系動画が後を絶たないのも 自己客観性が完全に抜け落ち おだてて気分良くさせてくれる相手(信じたい相手)の話だけを信じようとするからである
ヒトは主観的に「信じたい話だけを信じようとする」ものであって それこそが安心であり満足であるからこそバカげた行為も平気でできるようになる
それは「ヒトという種の生物」の意識ではあるものの 主体性のある一人の「人間」としての意識ではない
「ヒトという種の生物」でありさえすれば 短絡的に「人間」として行動できるわけではなく 本質的意識によって論理客観的に「目的」意識に基づいて行動選択して初めて「人間」として行動できるようになるのである
「話が怖い」かどうかは主観である
主観的に「怖い」かどうかは話の真偽とは無関係である
デマや嘘を信じ込んでいるバカというのは デマや嘘に安心満足感を主観的に感じているからバカになるのであって オウム真理教の信者に「お前さんの信じている教祖はキチガイだぞ」と教えても拒絶しかしないのは 嘘やデマに安心している自分を過信しているからである
自分を疑うことは決して楽しいことでもなければ安心満足感もない
だが 自らの頭の悪さを自覚した分だけはバカから脱することにはなるのである
バカのままでいた方が きっと安心満足なのであろう だからプーチンは戦争をやめることができず 金正恩は挑発行為をやめることができず アメリカは核兵器による「抑止力」を正当化するのである
Ende;